第46話 翠宝玉の輝き
ダリオを追いかけて闘技場を出たティアナは、まっすぐに自分の閉じ込められた部屋へと向かった。
決闘が終わったらここで会うはずだった――そう思ったのだが、そこは扉が閉ざされたまま人の気配はなかった。
ティアナは逡巡し、それから執務室にいるかもしれないと思ったが、王宮の中に来るのが初めてのティアナには執務室の場所が分からず、まずは人がいる場所まで行こうと思う。
ハレムから女官に案内された道順を戻り、通りかかった人に尋ねようと考えて、とにかく、暗い王宮内をひた走った。
しばらく走って、角から曲がってきた人物とぶつかりそうになてティアナはよろめいた。
「あっ、すみません……」
「いえ、こちらこ……アデライーデ様っ!」
涼しげな声に少しの苛立ちを乗せたエマの声に、ティアナはぱっと振り仰ぐ。
「エマ様!」
「どうしてあなたがここに……?」
「ダリオ様を探しているのですが、執務室の場所が分からなくて……」
言い淀むティアナに、エマは、きゅっと眉間の皺を深くする。
「私もダリオ様を追って闘技場を出たのですが、執務室にはおられませんでした」
執務室にいない……?
思考を巡らせるティアナに、エマは付け加える。
「他にも王宮内の思い当る場所は一通り探したのですが……」
その言葉を聞いて、ぱっとティアナは顔を上げる。
王宮内にいないのならば、それ以外にダリオが行きそうな場所を、ティアナは一つしか知らない。
「ハレム……」
ぽつっとこぼしたティアナの言葉に、エマは涼しげな目元にひゅっと光を瞬かせる。
「アデライーデ様のお部屋か……」
ティアナとエマは瞬時に走り出した。
ティアナの部屋の前まで来たエマは、扉の前をティアナに譲り、ティアナはごくんと喉を鳴らしてからゆっくりと扉を押しあけた。
カチャリ――というドアノブの音に、窓辺に腰かけていたダリオはぴくっと肩を震わせる。
ダリオの姿を確認したエマは扉のすぐ側に立ち、ティアナは薄暗い室内を月の光の差し込む窓辺へ進んだ。
「ダリオ様――」
ティアナの声に、ダリオは振り向かない。
「こちらにおられたのですね……」
その背中に頑なな陰りがあり、ティアナはなんと声をかけていいのか迷う。
「用事がおすみになったら、迎えにきて下さるとおっしゃいましたよね……?」
用事が決闘のことだと悟っていたティアナは、戸惑いながらもそう声をかける。
ずっと窓に視線を向けていたダリオは、すっと肩越しに振りかえり、その瞳ににやりきれないほど切なげな一筋の光を帯びてティアナを見つめた。
その顔が泣いているように見えて、ティアナは胸をつかれる。
ダリオ様――?
声にならない声で呟く。
ティアナを見つめるダリオの精悍な横顔は、たまらないほど苦しげだった。
澄んだ蜂蜜色の瞳の底に、焼けつくような悲しみの影がちらついて、息がつまるような気がした。それが鮮烈な傷のようで、心が避けてしまいそうに揺れた。
やがて、掠れた声でダリオが呟く。
「二人きりにしてくれ――」
その言葉はティアナではなく、扉の側に立ちエマと、女官室から出てきたマティルデとフィネに向けた静かな願いだった。
エマ達は静かに頭を下げ、サロンから立ち去った。
二人きりになったサロンに沈黙が広がり、ティアナは胸に不安が押し寄せる。それでも、口を開くことは出来なくて、ただひたすらダリオの言葉を待った。
窓辺に立ちつくすティアナにゆっくりと近づいたダリオは、ふっと切なげに微笑み、くしゃりと顔を歪ませる。
瞬間、たまらないといったように腕を伸ばし、胸の中に引き込んで、息も止まるほど強く抱きしめた。
ダリオは今にも消えてしまいそうな幻を抱きしめるように、腕の仲のティアナの存在を何度も確かめ、優しく包み込む。
「ここにいてほしい、ずっと一緒にいたい……」
絞り出すような声でダリオはやっとの想いを伝える。
「愛している、アデライーデ。心から、お前だけを――愛している」
ティアナが国に帰りたがっていることを知っていても、言わずにはいられなかった。自分の想いを、知ってもらいたかった。
痛いほど激しく、そして優しくダリオに包まれたティアナは、すぐ側にダリオの熱い胸を感じてドキンとする。
目を上げると、悲愴な影を浮かべたダリオの瞳が切なく揺れていて、その焦がれるような熱が、強く求めるような光が――悲しいほど胸に沁みた。
ダリオの孤独を感じ、愛おしい気持ちが込み上げてくる。
絶望の中から自分を救ってくれたように、ティアナもダリオを救いたいと思った。だけど――
その気持ちは、愛情ではない。ダリオの気持ちに答えることは出来ない。
俯いたティアナはきゅっと唇をかみしめる。揺れる心に、確かな気持ちを抱きしめる。
ダリオに包まれたまま、ティアナは心の全部をそそぎこむようにして、ダリオの瞳を見つめ返す。
瞬間、ダリオの瞳が切なさを帯びて深い輝きを放つ。
「私には――やらなければならないことがあります。イーザ国の王族として、各地で起る異常気象に対処しなければなりません。だからダリオ様とずっと一緒にいることはできません。だけど――いつでもまた会うことができますわ」
ダリオを見上げるティアナの翠の瞳に、強い意志があざやかにきらめき、ふわりと少し哀しい感じのする微笑みを浮かべる。
ゆるぎないその眼差しが眩しくて、信念のこもったその言葉が胸に沁みる。微笑みはため息が出るほど綺麗で、儚げだった。
ダリオはティアナを包み込んでいた腕を解くと、もどかしげに眉根を寄せる。それからスルタンの仮面をかぶり、氷の瞳をきらめかせる。
強い意思を宿す翠の瞳、誰もが恐れてまっすぐに見ようとしない自分の瞳を初めからまっすぐに見つめてきたこの瞳に惹かれた事を思い出し、こうして変わらず自分を見つめるティアナの瞳が愛おしかった。
たとえ、想いが報われることがなくても、吸い込まれるように美しい翠の瞳に、あざやかな輝きを失わないでほしいと思った。
自分がその輝きを奪いたくないと思った――
ダリオはわずかに赤くなった目元を隠すように横に視線を向ける。月の光を浴びて輝く艶やかな蜂蜜色の髪がさらさらと頬にこぼれ、色っぽかった。
「分かった――」
決意のこもったあざやかな瞳をティアナに向けて、ダリオは切なさの残る瞳に笑みを浮かべる。
「ドルデスハンテ国と――各国と条約を結ぶ。スルタンとして各国の協力を仰ぎ、協力を惜しまないことを誓おう」
そこですっと膝を折る。片膝をついたダリオは腕を床と平行に曲げ、誓いをたてる姿勢をとり、ティアナに真剣な眼差しを向ける。その顔は、冷酷非情で威圧的な、だけど精悍な――スルタンの姿だった。
次話で完結となります。
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