第43話 魔法使いの思惑
決闘場で激しい攻防が繰り広げられている頃――
王宮の一室で、翠色の双眸を不安に揺らしたティアナは、落ちつかない様子で室内を歩きまわっていた。
『用事がすみ次第、迎えに来る――』
そう言って自分を閉じ込めたダリオが去ってしばらくして、扉の前にしゃがみ込んでいたティアナの耳に飛び込んできた女官の話声は、思いもよらない内容だった。
「目の覚めるようなあざやかな銀髪の――……」
それが自分のことを指しているのではないことが分かったティアナは、すっと顔を青ざめる。
周りに銀髪の人が当たり前のようにいたティアナにとって銀髪がめずらしいとは知らなかったが、ダリオやマティルデなどから何度となくロ国には銀髪がいないことを聞かされ、自分以外の銀髪でいまロ国にいる人物を、ティアナは一人しか知らない。
レオンハルト様が王宮にいる……?
その考えが脳裏にひらめき、星砂漠でのレオンハルトに対して向けたダリオの威圧的な瞳を思い出して、胸がひやりとする。
そして聞こえた……
「それで、闘技場にスルタンと――……」
闘技場という言葉に、ざわりと不安が大きく膨れ上がった。
ダリオ様が言っていた用事というのは……決闘!?
辿り着いた思考に、ティアナは瞠目する。
まさか、だけど――
去り際のやりきれないような苦しさを秘めたダリオの声を思い出して、不安を打ち消すことが出来なかった。
どうしてダリオ様がレオンハルト様と決闘を――?
いくら考えてもその理由は分からなくて、それでも、二人の決闘を止めに行かなければならないと思った。
決闘が行われる以上、どちらかが傷つくことは絶対だ。最悪の場合、命の危険もある――
ロ国の歴史書の中に伝統の決闘について書かれている文献を読んでいたティアナは、顔を青ざめさせた。
今すぐにでもここから出て闘技場に向かいたかったが、声を出して人を呼んでみても、誰も来なかった。先程の女官が通った後は人が通る気配もない。この部屋に来るまでかなり歩いたことを思い出し、ここが人気の少ない王宮の端の方なのかもしれないと思った。
今頃は決闘場で――
そう思うと、いてもたってもいられない気持ちで、じっとしていることが出来なかった。
その時、室内を照らしだす灯火がゆったりと揺れたことにティアナは気づかなかった。
「ごきげんよう、私の姫君――」
突然後ろから声をかけられて、ティアナはビクッと肩を震わせる。
ここ数日姿を現していなかったから、もう自分の前には姿を見せないかと思っていたティアナは、その瞳に動揺の色を走らせる。
「ルード、ウィヒ……」
すべてを思い出した今、ティアナはどんな表情で接すればいいのか困ってしまう。
ルードウィヒが七十七年前滅んだホードランド国の皇子だということも、彼の愛した女性が自分の高祖母にあたる人だということもすべてを知り、対面するのはこの時が初めてだから。
もちろん、ルードウィヒはティアナが自分の過去を知っているとは思いもしないだろう。
動揺するティアナを見て微かに片眉を上げ、すぐに翠がかった黒い瞳に陰鬱な影を浮かべる。
その陰りの真実を知っているから、以前のような身にすくむような恐怖心を感じることはなかった。
ルードウィヒに会ったら、言わなければならないことがあった。ティルラとの間にある誤解を解かなければと思った。だけど――
ルードウィヒは部屋の中央に置かれた小卓に寄りかかり、扉の側に立つティアナをまっすぐに見すえる。
その瞳があまりに悲しく美しいから、ティアナは心臓を掴まれたように切なくて苦しくて、胸がつまった。
言葉が上手く出てこなくて瞳を揺らしたティアナを、ルードウィヒは何かを面白がるようなくつくつと不敵な笑みを浮かべた。
「なにやら、面白いことになっているようだ――」
その言葉に、ルードウィヒに気を取られていたティアナは、目の前の最重要問題を思い出させられる。
「あっ……」
ルードウィヒが二人の決闘について知っている様な口ぶりに、彼が炎を媒介に移動したり、その場の様子をうかがい知ることが出来ることを思い出す。前のめりになるようにルードウィヒの側に駆け寄ったティアナは、悲痛な声音で尋ねる。
「あなたは決闘場の様子を知っているのね!? 教えて、決闘はどうなっているの――」
緊迫した空気をまとい詰め寄るティアナ。くすりと意味深な視線を投げかけられて、胸に熱い痛みを感じる。無意識に胸元に手を当てて、痛みの場所が刻印のある場所だと気づいて、きゅっと唇をかみしめる。
ルードウィヒは非情な笑みを浮かべ、翠がかった瞳をきらめかせる。
「どっちが勝つと思う――?」
その言葉にドキンとする。
決闘が行われている――そう思っていても、どこかで信じることが出来なかった。それが、ルードウィヒの言葉によって確信へと変わる。
ダリオの実力もレオンハルトの剣術の経験も分からないティアナにはどちらが勝つかなんて予想もつかなかった。
黙りこんだティアナを見て、ルードウィヒは嘲るような笑みを浮かべる。
「聞き方を変えよう。君はどちらに勝ってほしいかい?」
決闘が行われる以上、二人とも無傷では済まない――
レオンハルトにも、ダリオにも傷ついてほしくなかった。
胸に当てていた手がなにかに触れ、すがるように握りしめる。それがレオンハルトから貰ったラピスラズリのネックレスだと気づいて、記憶喪失の間にルードウィヒと交わした言葉を思い出す――
『記憶? それってそんなに大事かい? 失くしてしまったということは、君にとってその記憶はたいして価値のある物じゃなかったのだろう? ここで人生一からやり直して愛する男と幸せに過ごす――結構じゃないか。君はそれを望んでいるのだろう?』
そう言われてティアナは気づいたのだ。
自分の一番大事なもの。一番の望みを――
記憶を取り戻し、自分のやれることをやる。
私が愛しているのはダリオ様ではなく、レオンハルト様。
レオンハルト様を愛している――
たとえ、その気持ちが届くことはなくても、私は自分の気持ちを大切にしようと望んだこと。
揺れていた翠の瞳に強い意志があざやかに燃え立つのを見たルードウィヒはわずかに口元に笑みを浮かべ、それに気づかれないように皮肉な笑みを張りつかせる。
「君は――王子に勝ってほしいようだ。先程様子を伺った時は勝負は互角、どちらが勝つかは予想がつかない。それならば――」
そこで言葉を切り、その瞳にことさら悪意をにじませる。
「スルタンに魔法をかけてあの男を始末してしまおうか――」
思案するように顎に手を当てたルードウィヒを、驚愕の眼差しで見つめる。
「そんな……」
「あの男は私の大事なものを奪った血族だ。死して償うのが当然だろう……?」
悪びれた様子もなく、鋭利な瞳に悲憤の炎がごうごうと音をたてて燃え上がる。
ルードウィヒがなにを指して言った言葉なのか分かってしまう。でもだからといって、時を越え、血のつながりだけを理由に罰を与える正当性はない。
「やめて……お願い。そんなことはやめて――」
悲痛なティアナの叫びに忌々しそうに目を細めたルードウィヒは、炎のはぜる音と共にすっと姿を消してしまった。
刃物のような瞳で睨み据えた瞳が忘れられず、ティアナはぎゅっと瞳をつぶる。
ルードウィヒが悲しみのあまり真実を見失っていることに、やるせない思いだった。
自分の言葉を聞き入れることもぜず姿を消したルードウィヒが、決闘場に向かったことを確信して心を痛めた。
レオンハルトとダリオが傷つくことも嫌だったが、ルードウィヒが過去に囚われて心を傷つけていくのを見ていられなかった。
いますぐに闘技場に行かなければ――
必死の思いに、ティアナは扉に駆けより、無我夢中で声を上げる。
「誰か――、誰かいませんか――? ここを開けて……」
最後の方は涙声になりながら、手が擦り剥けるまで何度も扉を叩いた。
しかし、ティアナの声を聞きつけて、人が来ることはなかった……
どうしたらいいの――
絶望感に打ちのめされそうになった時。カタリと小さな音が聞こえて、扉の前にくずおれていたティアナはぱっと顔を上げる。
突然、自分の上になにかが落ちてきて目を瞬き、後ろに転がるようにして抱きとめた。
ゆっくりと身を起こしたティアナは、腕の中にいるのが猫だと気づく。抱き上げられた猫は、漆黒の美しい毛並みに紫のあざやかな光彩を放った双眸でティアナを見つめる。
「ニャーゴ」
甘えるような声で鳴き、くっと首を仰向かせえる。つられて上を見たティアナは、扉の上方部の小さな飾り窓が開いている事に気づく。
おそらく、猫はその飾り窓から身を滑り込ませてきたのだろう。
大きさは肩幅ほどの小さな窓。だけどどうにか通り抜けられそうな大きさに、ティアナは後ろを振り返り、覚悟を決めてごくりと喉を鳴らす。
抱き上げていた猫を床に下ろすと、部屋の中央から小卓を扉の前に移動させ、その上に椅子を乗せる。
慎重に小卓に乗り椅子に足をかけ、飾り窓によじ登る。そうしてどうにか窓を通ったティアナは、廊下側にどしんと尻もちをつく。痛みに顔を歪めながらも、ゆぐさま立ち上がり、駆けだそうとして、決闘場の場所がどこなのか知らないことに気づく。
「ニューゴ」
いつの間に出たのか、右の通路を少し進んだところで振り返った猫が、先ほどよりも低く威厳のある声で鳴く。
まるで、ついてこい――と言っているように。
猫はくるっと頭を前に戻すと、四肢を素早く動かして駆けだした。
迷っている余裕はない。ティアナはあわてて猫の後を追いかけ、王宮の中を走りだした――
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