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ビュ=レメンの舞踏会 ―星砂漠のスルタン―  作者: 滝沢美月
第6章 月影のスルタン 月虹の王子
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第40話  月影の波紋

 


 揺れ動く気持ちに戸惑いを隠せず、不安から身を守るように強く瞳を閉じていたティアナは、静まっていく鼓動にゆっくりと呼吸を整える。それからダリオの下から体をずらし、横で寝ているダリオに視線を向ける。

 けぶる睫毛、通った鼻筋、何度見てもため息がこぼれるような端正な顔立ちを見て、その頬にかかる蜂蜜色の髪に指をからませ、かきあげる。

 ダリオが昨夜は一睡もしていないというエマの言葉を思い出し、きっとその前日も王都からほとんど休まずに馬を駆ってきたのだろうと想像する。

 意識が飛ぶように寝てしまったのは疲れが溜まっているからだろうと思い、そうしてしまった要因に、星砂漠に行きたいと言った自分の我が儘があることに気づいて、ティアナは切なく瞳を細め、何度もダリオの髪を優しくすいた。

 しばらく髪を撫でた後、自室に戻って休もうと思ったが、ダリオがティアナの左手を強く握っていて解くことが出来なかった。無理に解いて、ダリオを起こしてしまうのも申し訳ないと思い、ティアナは天井を仰ぎ、それから思い切ってそのまま寝てしまうことにした。ダリオの隣で。



 翌朝。目が覚めたティアナは、左手に温もりを感じないことに気がついて、がばっと身を起こす。横を見て、ベッドにダリオの姿がないことを確認すると、ゆっくりとベッドからすり抜ける。

 焦がれるような激しい熱を帯びた瞳で自分を射るように見つめるダリオの瞳を思い出してしまったティアナは、ほてる頬に手を当て、サロンへと続く扉を押しあけた。

 サロンにはダリオの姿はなく、フィネとオスヴァルの姿があった。


「おはようございます、アデライーデ様」

「おはようござます」


 わずかに頬を染めたフィネと、ぴしっと姿勢を正して言ったオスヴァルに挨拶を返したティアナは、一度自室に戻り着替えを済ませてから、ダリオのサロンに用意された朝食の席に着く。

 ティアナが座ってしばらくして、ようやくダリオが姿を現した。

 護衛になにやら指示を出しながらサロンに入ってきたダリオは、席についているティアナに視線を向け、氷の瞳をわずかに細め、席についた。


「ダリオ様、おはようございます」


 そう言ったティアナに、ダリオは言葉少なに答え、手にフォークとナイフを持ち、朝食を食べ始めた。 

 ティアナはわずかに首を傾げながらも、尋常ではない威圧感をまとった昨日のダリオの様子に比べれば、気にする程の事もないと思った。

 不機嫌そうに眉間に深い皺を刻み、氷の瞳をギラギラと鋭く光らせているかと思えば、うっとりするほど甘やかなきらめきを浮かべて見つめたり、抱くようにティアナを側に置いて執務をした昨日のダリオは明らかに様子がおかしかった。だが、そんなことがなかったようにあまりにいつも通りに接する方がおかしいとは、ティアナは気づいていなかった。

 ダリオが氷の瞳の中にやりきれないほど切なげな一筋の光を帯びてティアナを見つめている事も。

 ダリオの中に静かなる波紋が広がりつつあることも――



  ※



 イヴァー・オアーゼから馬車で四日かけて戻ってきたティアナは、ハレムで与えられた自室で荷物を整理する。自国に持ち帰る荷物はほとんどなく、川に流された時に身につけていた侍女服、ハレムにいる間にダリオからの贈り物の一部――本や珍しい金飾りなど、本を書き写した手記、銀木蓮の下で出会った黒髪紫瞳の女性から手渡された銀細工の華飾りが入った小箱、帰国の途中での着替えとして数着。それだけだった。

 行李一つに荷物をしまい終えたティアナは、渋るフィネから箒や雑巾を奪い取り部屋を掃除し、使っていたベッドのシーツやテーブルクロスを洗濯して、サロンから続く庭園に干した。

 ティアナがイーザ国の姫だったという事実は公にはせず、国に帰ることだけを周りに告げる。

 だがティアナは、今までお世話になったマティルデとフィネには、自分が記憶喪失だったこと、イーザ国の姫で国に帰ることを打ち明けた。

 薄々事情を察していたマティルデはとくに表情を変えることなく。


「そうですか、よろしゅうございましたね」


 と言い。フィネは驚きを露わにし、それから涙ぐんでしまった。


「国に戻られてしまうのですね……、もうアデライーデ様のお世話を出来ないのかと思うと寂しいです」


 言いながらティアナに抱きついてすすり泣いた。

 普段ならば、行儀がなっていないと小言を言いそうなマティルデも、この時ばかりは横でわずかに眉根を寄せながら、困ったように苦笑しただけだった。

 それから、部屋の掃除の合間にニコラに会いに行った。すべての事情を聞いたニコラは。


「そういうことでしたか――」


 目を瞬いてため息をつき、好奇心を宿した漆黒の瞳をティアナにまっすぐと向けて尋ねる。


「それで、月下星珠の花の蜜を食べると忘れた記憶を思い出すことができる――という言い伝えは正しかったのですか?」


 私は視線を半ば伏せ、複雑な笑みを向ける。


「分からないわ――、蜜を飲んだのかどうか、定かではないから」


 曖昧な私の答えに対して、予想外にニコラは満足げに微笑んだ。


「そうですか。砂漠の華の言い伝え、月の精霊の気まぐれ――研究する価値はありそうですね」


 そう言って、月下星珠について調べてみると瞳にまぶしいほどの情熱を輝かせ、ニコラは意気揚々と席を立った。


「それではティアナ様、いずれお会いすることもあるでしょう。それまで、ごきげんよう」


 優雅に一礼したニコラは、その背に豊かな黒髪をなびかせて行ってしまった。



 ティアナはハレムの庭園の一角に設けられた椅子の背もたれに体重を預け、ぐーっと両手を空に向けて伸ばし、視界いっぱいに青空を映す。

 白い猫足の円卓を挟んだ反対側には、先程までニコラが座っていた同じく猫足の白い椅子が置かれている。

 ティアナは円卓に片肘をつくと、うっとりと目を細める。

 この一月の間にあった出来事を思い出して、色々な事があったと感慨にひたる。

 ドルデスハンテ国からの帰途、氾濫した川に流され、気が付いたら見知らぬ土地、おまけに記憶を失っていて。拾われた先はハレムで、スルタンに偽りの花嫁として協力し、命を狙われ、魔女の友人も出来た。初めての砂漠、伝説の土地、そして――

 レオンハルトとの再会――

 胸をかきたてるような甘い疼きの中に、激しい炎が時折ちらつく。

 星砂漠でダリオに抱きしめられた夜、ティアナの胸を荒波のようにかき乱し、支配していた嵐は凪いでいた。

 このままもっと長い時間をダリオを共に過ごせば、今はまだ小さな気持ちが――愛に代わる予感はした。だけど、ティアナはダリオとこの先、未来を共にすることはない。ティアナにはイーザ国に帰、やらなければならないことがある。ダリオの側にはいられない。

 そして――

 いつか未来を歩く自分の隣にいてほしいと願うのはダリオではなかったから。

 切ない囁きのような吐息をもらしたティアナは、ぎゅっと締め付けられる胸を押さえ、ダリオに最後の挨拶をするための、決意を強く抱きしめた。



 自室に戻ったティアナを待っていたのは、ダリオからの使いの者だった。

 普段、昼間は執務で忙しいダリオは夜にならなければハレムに来られず、ティアナも夜までダリオを待つつもりだった。

 だがタイミング良く呼ばれたことを好機と思い、ティアナは決意を胸に案内役の女官について王宮へと向かった。

 王宮に足を踏み入れたのは、ここに来た日以来だったことに気づく。あの時は、十分に王宮を見る余裕がなかったが、白い壁に、高い天井に描かれた絵は趣味が良く、気品にあふれた美しい王宮にため息をもらした。

 ドルデスハンテ国の王城も素晴らしかったが、ロ国の王宮は華やかさが際立っていた。

 ティアナが案内されたのは、長い通路をいくつも通り、何度も角をまがった先の部屋だった。初めは、あまり人目につかないように遠回りをして案内されたのかと思ったが、足を踏み入れた室内はがらんとし、調度品はほとんどなく、簡素な小卓と椅子とベッドが一つあるだけだった。

 てっきりダリオの執務室に案内されると思っていたティアナは首を傾げ、案内してくれた女官を振り返ったのだが。

 パタンと目の前で閉ざされた扉の向こうで、金属のカチャカチャという音がやけに耳に響く。ティアナは、すっと背中に冷たい汗を流した。


「あのっ、ダリオ様はどこでしょうか……?」


 大きな声で、扉の向こうの女官にティアナは問いかける。


「スルタンは間もなくお見えになりますので、こちらでしばらくお待ちくださいませ」


 女官は落ち着き払った声で静かに告げると、するすると衣擦れの音を立てて遠ざかっていってしまった。

 ティアナは呆然と、扉の前に立ちつくす。

 ダリオが来るのだとしても、なぜ部屋に鍵をかけるのか腑に落ちない。

 しかし、部屋から出ることも出来ず、近くを通りかかる人の気配もなく、この部屋から出ることは出来そうになかった。

 女官の言葉が真実ならば、いずれダリオは来るはずだ――そう思い、ティアナは部屋に置かれた椅子に腰かけ、大人しく待つことにした。

 それから、どのくらい待っただろうか――

 コツン、コツンという足音が近づき、扉の前で止まったのを聞いてティアナはぱっと顔を上げる。

 声を聞かなくても、そこにいるのがダリオだと感じたティアナはためらわずに声をかける。


「ダリオ様――。ダリオ、さ、ま……?」


 返事がないことに不安を感じ、ダリオの名を呼ぶ声がだんだんと小さくなる。

 ぴゅーっと吹き抜ける風が、扉をカタリと揺らす。その向こう側で、ダリオがきゅっと足元を踏みしめる音がする。それから、少しの間を挟んでダリオの声が聞こえた。


「アデライーデ、ハレムにいるのは記憶を取り戻すまでと約束したが――お前にはもう少しの間、ここにいてもらう」


 その声は、喉の奥から絞り出したようにかすれ、やりきれないような苦しさを秘めた、悲痛な叫びのようで、ティアナの胸をついた。


「用事がすみ次第、迎えに来る――」


 決意のこもった声で付け加え、ダリオの足音は静かに遠ざかっていく。

 ティアナはざわざわと押し寄せる胸騒ぎに、きゅっと自分の体を強く抱きしめる。波紋のように広がっていく不安を落ち着かせるように浅く呼吸を繰り返し、その場にしゃがみこんだ――




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