第4話 手のひらのブルー
時は遡って、ドルデスハンテ国の王城を出発しイーザ国に向かう馬車の中。簡素な衣装に身を包んだティアナは窓の外に目を向けて、眉を曇らせる。
「すごい雨ね……」
馬車は四日前に王都ビュ=レメンを出発し、バノーファ、チェ、ザッハサムの街と順調に街道を南下してきたが、チェの街を過ぎたあたりから馬車の外は土砂降りが続いていた。
ザッハサムの街に寄った時、行きに売ったイザベルの服が売れたのかどうかイザベルが気にしていたので古着屋に行ってみることにした。
店主の話では売れ行きは好調で、ぜひまた売って欲しいと乞われる。今あるのは旅行用と舞踏会用の衣装だけだからと断ったがどうしてもと頼まれて、イザベルの作った服が評価された事がすごくうれしくて、国に帰るのに必要な服だけを残し舞踏会用の衣装と旅行中に来ていた服を数着売ることにした。
だからティアナが今着ている服はイザベルの侍女用の服を借りていて、丸襟がついた膨らみの少ない裾のセピア色のワンピースを着ている。
古着屋の帰り、店主にこの辺りでは雨が多いのかと聞くと、雨の少ない地域だがここ数日ずっと降り続けていると浮かない顔をしていた。
ティアナ自身、バノーファの街を過ぎた時に南の空を覆う雷雲を確認していたけれど、まさかここまですごい大雨だとは予想していなくて怪訝に眉を顰める。
ティアナが暮らすイーザ国は南の温暖で気候に恵まれた土地だった。雨は春と夏の間に集中的に降ることもあるが、季節はすでに夏を終わろうとしている。
国境を隔てて隣接するザッハサムとイーザ国ではそれほど気候は変わらないはずで、現に店主もこんな雨は初めてだと言っていた……
嫌な予感が胸に渦巻き、落ち着かなくて小さなため息をつく。
「そうですね。せっかくのドルデスハンテの街の見納めだといのに、こうも雨が強く降っていては素晴らしい景観も眺められなくて残念ですね」
左隣に座ったイザベルはふんわりと柔らかい笑みを浮かべる。
きっとティアナが雨をうっとうしがっていると思ったのだろう。ティアナはイザベルに心配をかけないように不安を隠して頷き返した。
レオンハルトが用意してくれたのは四頭仕立ての四輪箱型馬車。長距離に適した揺れを伝わりにくくするばねがついていて乗り心地が良く、客室は箱型で二人ずつが向かい合わせで座る四人乗り、サイドと前面がガラス張りで道中景色を楽しめる造りになっている。軽量化のため客室は少し狭いけれど、快速を誇る。
人の足ではイーザ国からドルデスハンテ国の首都までは二十日かかる道のりも、この馬車でなら六日着くという。
ふっと正面――進行方向側の座席の中央に一人で座るジークベルトに視線を向けると、室内が狭いからか、足を汲んで右隅に斜めに寄りかかり、羽織った漆黒のマントの裾を座席の上に乗せていた。
水面の様な透き通った水色の双眸は今は閉じられ、寝ているのか考え事をしているのだろう。
なんとなくジークベルトを見つめていたティアナに、イザベルがあらっと首をかしげる。
「ティアナ様、大切そうに握っているその箱はなんですか? ずっと持っていますよね?」
イザベルに尋ねられ、ティアナは手のひらに握る白い小さな箱に視線を落とす。
それは帰国の日、見送りに来たレオンハルトが出発直前にティアナに渡したものだった。
『友人の印に……約束の果たされる日を願って――』
そう言ってレオンハルトは、馬車に乗り込んだティアナを一瞬切ない瞳でみつめ、薫るような甘い頬笑みを浮かべた。
約束というのは――今度は私があなたに会いに行きますと言ってくれた言葉のこと。
ティアナはその約束が嬉しくて、その日を支えに日々を過ごして行こうと思っていた。だからこの箱はとても大事な証――ティアナがただ一つ確かに手にしている約束の証で、それと同時に友人の証でもあった……
あくまでレオンハルトと自分の関係は友人だと一線を引かれたようで、胸が締め付けられるように痛んだ。
嬉しいけど、寂しい。開けたいけど、開けたくない――
そんな複雑な心情で、王都を出てからずっと開けられずにいた。
「えっと、レオンハルト様にいただいたのよ」
愛おしそうに小箱を見つめて言うティアナに、イザベルは優しく促す。
「まぁ、それは素敵ですね。中はなんなのでしょうか?」
開けられずにいるとは言えず、ティアナは苦笑して首をかしげる。
「それが、まだ開けていないのよ……イーザに帰ってから開けようと思っていて……」
開けていない理由を誤魔化す。きっとイーザについても開けられないだろうと思って、苦笑する。
「まぁ、それはダメですよ。贈り物はすぐに開けてみなければ失礼になっちゃいます」
切羽詰まったような口調のイザベルに急かされて、そういうものかな――? と首を傾げながらもティアナは手を胸の位置に持ち上げて小箱をまじまじと見つめる。
「んー……そうね……」
迫力に押され、好奇に瞳を輝かせるイザベルを横目で見ながら、白い小箱に結ばれた淡い桜色のリボンの端を指で掴み、ゆっくりと引っ張る。
結び目がほどけ、はらりとリボンが床に垂れさがる。解いたリボンを膝の上に置き、左の手のひらの上に小箱を置き、蓋に右手をかける。
「じゃあ、あけるわよ」
誰に言うでもなくティアナは呟き、えいっと勢いよく蓋を持ち上げると、中には輝く大粒のラピスラズリのネックレスが入っていた。
「まぁ……ネックレスですか。素敵ですね」
箱の中に恭謹に収まる涙型のラピスラズリはブルー、中に混ざった金色の鉱物がまるで星の様で、宇宙を丸めたような輝きのネックレスだった。
パイライトの鎖の先についたラピスラズリを持ち上げて、右腕にはめたラピスラズリのブレスレットと交互に見比べる。
胸に熱い想いがわぁーっと押し寄せて、泣きそうになる。ティアナはネックレスを掴んだ手で顔を隠すようにして俯き、イザベルに頷き返す。
「ええ、そうね……」
レオンハルトがくれた贈り物はラピスラズリのネックレスだった。数年前、初めて貰った贈り物もブレスレットと同じ――ラピスラズリ。
ブレスレットを貰ったお礼を言ったから思い出してくれたのかもしれない。ラピスラズリはドルデスハンテ国で採れる鉱石の代表格であるから、偶然だったのかもしれない。
不安に揺れながらも、ブレスレットと揃いでくれたのだと確信する心があって、胸が熱くなる。
隣に座るイザベルに気づかれないように目元を拭い、ネックレスを首にかける。
胸元で揺れるブルーが切なげに瞬いて、ティアナは遠い北方――ビュ=レメンの方向を見やった。