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ビュ=レメンの舞踏会 ―星砂漠のスルタン―  作者: 滝沢美月
第6章 月影のスルタン 月虹の王子
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第38話  再会の約束



 まさか、どうしたいかと自分の意見を聞かれると思っていなかったティアナはしばし考え込み、それから、強い意志を宿した翠の瞳をキラリと輝かせる。

 すっと顔を上げたティアナは凛として、あでやかさの中に気品が満ちていた。


「どうしても――会わなければならない人がいるのです。私は……国に帰ります」


 皮肉気で非情な笑みを浮かべ、耳をくすぐるような甘く切ない声を私の姫君――そう自分を呼ぶ黒衣のマントを羽織った青年を思いだす。

 記憶を失っている間も、幾度となくティアナの前に現れた森の魔法使いルードウィヒ。

 彼に会わなければならなかった――



 黙りこんだティアナを見たダリオは、氷の瞳に一瞬、苦しげな色を浮かべ、すぐに鋭い輝きを戻す。


「分かった――ハレムにいるのは記憶を取り戻すまでの約束だった。その後、アデライーデがどうするかは、お前の自由だ。だが、国に戻る前に一度王宮に戻ろう、一緒に……」


 ティアナはダリオの申し出に、二つ返事で頷いた。

 記憶を失った時に見につけていた自分の持ち物はラピスラズリのブレスレットとネックレスのみだが、ハレムに住んでいる間、わずかだが持ち物も増えていた。それを取りに戻り、お世話になったマティルデやニコラにも挨拶したかった。


「お前たちも今日着いたばかりだと聞いた、明日はゆっくり休んで、明後日の早朝に王宮に向けて出発する」


 これで話は終わりと、自室に戻ろうとソファーを立ち上がったティアナの後ろで、それまでずっと忘れ去られたように会話に加わることもなかったレオンハルトがすっとダリオに近づく。


「レオンハルト様……?」


 咄嗟のことにエマは反応しきれず、ティアナは瞠目し、ダリオは自分に近づいてきたレオンハルトを冴え凍る氷の瞳で睨み据えた。

 ダリオの側で、床に片膝をついたレオンハルトは群青色の瞳に真剣な光を宿す。


「ロ国のスルタンとお見受け致します。お初にお目にかかります、私はドルデスハンテ国の第一王子、レオンハルト・エルヴィン・ドルデスハンテと申す者。どうしても、スルタンに申し上げたいことがあり、無礼を承知でまかり越しました」


 まっすぐに自分の瞳を見据えるレオンハルトに、ダリオは無言で威圧的な視線を向ける。レオンハルトはそれを無言の了承だと解釈し、話を続けた。


「すでに各地で起る異常気象についてはご存じだと思いますが。集中豪雨、地震、風害、そして、時空の裂け目の出現――我が国だけにとどまらず、被害は各国に広がりつつある、もはや国内だけの問題ではなくなってきています。そこでドルデスハンテ国の代表として、ロ国のスルタンに条約のお願いに参りました」


 レオンハルトの精悍な顔つき、強い志を秘めた群青色の瞳で見つめられたダリオは、ゆっくりと口を開く。


「断る――」


 その言葉は冷たく、吐き捨てるように素っ気ない。

 まさか即答で断られるとは思っていなかったレオンハルトは、瞳を大きく見張り、それから我に返って、食い下がる。


「どうかご検討下さい。各地で起こる異常気象はロ国の問題でも――」


 しかし、ダリオはレオンハルトに氷の瞳で威圧に睨みつけるとソファーから立ち上がり、奥の寝室へと入って行ってしまった。



  ※



 エマは一礼するとダリオの後を追って奥の部屋へと行ってしまい、その場にティアナとレオンハルトの二人が残された。

 床に片膝をついていたレオンハルトはふっと視線を上げて、ティアナに苦渋の顔を向ける。


「どうやら、スルタンには嫌われてしまったようですね……」


 どういう意味なのか分からずティアナはキョトンと首を傾げる。それからソファーに座りなおして、先程までダリオが座っていた場所に座るようにレオンハルトに勧めた。


「レオンハルト様は、ダリオ様にお会いするためにロ国においでになられたのですか?」


 翠の瞳にあざやかな光を浮かべたティアナがまっすぐにレオンハルトを見つめる。


「ええ、それが用件のような、口実のような……」


 そう言って言葉を濁したレオンハルトは、きまり悪そうに苦笑する。それから空色の瞳に長い睫毛を伏せ、ため息のように続ける。


「ずっと――……ティアナ様が行方不明となられてからずっと身を案じておりました。まさかこのような異国の地でお会いすることが出来るとは思わず……だけど、ご無事な様子で安心いたしました」


 レオンハルトの澄んだ空色の瞳に甘やかな光をきらめかせて見つめられ、ティアナはきゅっと締め付けられる胸を押さえながら、行方不明になっていた間の出来事を話して聞かせた――



「――そうでしたか、記憶喪失になったところをスルタンに助けられてハレムに……」


 事情を聞いて納得したレオンハルトはふっと、それまでの緊張の色を解きほぐす。


「ええ、港でお会いした時はまさかスルタンだとは思わず、頼る者もいなかったのでお世話になることになったのです。記憶がない間も――」


 そこで言葉を切ったティアナはわずかに頬をそめて。


「このラピスラズリのネックレスを見るたびに、とても愛おしくて大切な気持ちでいっぱいになって、早く記憶を取り戻して国に戻らなければと思いました。覚えていなくても、心のどこかで、レオンハルト様との約束を心のよりどころにしていました」


 ふわりとはにかみ、けぶる睫毛を落としたティアナの表情に、レオンハルトはぎゅっと胸を締め付けられる。

 ふっと視線を上げたティアナとレオンハルトの視線が絡み合い、甘やかな空気が流れる。

 ティアナが再会の約束を覚えていてくれたことに、会えたことを喜んでくれることに、どうしようもなく愛おしい気持ちが溢れてくる。

 レオンハルトも、どれほどティアナに会いたいと思ったことか――

 焦がれる思いのまま、群青色の瞳に甘やかな輝きを宿したレオンハルトが、ティアナの方へと腕を伸ばした時。

 ガタンッ――

 隣室からの物音に、あとわずかでティアナに触れそうだった手を慌てて引っこめる。

 ここがスルタンの寝室に隣接するサロンだったことを思い出したレオンハルトは、すっとティアナから視線を斜めにそらし、わざとらしい咳払いをする。


「あー……、イーザ国の王宮に早馬で知らせを送りますか? 国王もジークベルト殿も、ティアナ様のからの安否を知らせを待ちわびているでしょう」

「えっ……、ええ、はい。お願いいたします」


 ティアナはつられるようにぎこちなく答える。

 ソファーから立ち上がったレオンハルトは、ゆっくりとティアナの横に周り、優雅に腰をおる。


「それでは私は部屋に戻り、イーザ国への使者を立てます。ティアナ様は一度、ロ国の王宮に行かれてから、国に戻られるのですよね」


 確かめるように尋ねられて、ティアナはこくんと首を縦に振る。


「はい」

「私は明日、一足先にイヴァー・オアーゼ(ここ)を発ちますが、また、すぐにお会いすることになるでしょうね」


 そう言って、ふわりと薫るような甘い微笑みを浮かべたレオンハルトは、ソファーに座ったティアナの膝の上に並べられている手をすっと引き寄せ、指先に指先を絡め、そこに口づけを落とした。

 ティアナは頬をさくら色に染め、レオンハルトは優雅な足取りで部屋を後にした。



  ※



 パタンッ――とサロンから寝室に入り扉を閉めたダリオは、ぎらぎらと氷の瞳に苛立ちを滲ませて、窓辺に置かれた椅子に乱暴に腰かける。

 星降りの丘でアデライーデと一緒にいた男の髪色が銀髪なのを見た時から、胸騒ぎに頭がどうにかなりそうだった。

 王宮を出る前に北の密偵より、ドルデスハンテ国の第一王子とイーザ国の姫との婚約が内々に勧めている――という情報を聞かされていたダリオは、ただ銀髪の男が北の国の者でなければいいと願った。それと同時に、確信に近いものを感じてもいた。

 婚約が国同士の政略的なものかもしれない。そう思いながらも、星降りの丘で流れ星を見上げた二人の後ろ姿を見て、胸が切なく、張り裂けそうな心地だった。

 その上、アデライーデは記憶を取り戻し、国に帰りたいと言った――

 ずっと側にいてほしいと願いながらも、アデライーデ自身の幸せを願わずにはいられなかったダリオは、引き止める言葉を言うことが出来なかった。

 だから、男が声をかけてきた時、予想通りとはいえドルデスハンテ国の王子――しかも第一王子と聞いて、ダリオは持ち合わせていた矜持で平静を装いながら、苛立ちと焦りに見えないところで、爪が手のひらに食い込むほど強く拳を握りしめた。

 自分が愛おしく呼んでいたアデライーデがイーザ国のティアナ姫で、その婚約者が目の前に現れて――敵意をぶつけずにはいられなかった。



 まっすぐに自分を見つめる澄んだ空色の瞳を思い出して、ダリオはぎりっと奥歯を噛みしめ、側に置いてあった小卓を蹴りとばした。

 自分を見つめたあの瞳が、愛おしいアデライーデの強い意志を宿した瞳と重なって、行き場のない苛立ちに、余計いらいらとした。

 レオンハルトの言う通り、西に隣接するフルス国との国境沿いで大雨が続き、その影響がロ国にも出ている。都を無数にめぐる水路の水が増して水害の報告が後を絶たない。そうかと思えば、砂漠に近い場所では干ばつの被害が出ていた。その対策のため、ここしばらくは忙しく執務に追われ、星砂漠へとアデライーデを先に行かせなければならなかったのだ。


『ドルデスハンテ国の代表として、ロ国のスルタンに条約のお願いに参りました』


 その提案を、私情で一蹴してしまったが、ダリオは今更ながら後悔していた。

 アデライーデと婚約者であるレオンハルトのことは気に入らない。だが、八方手を尽くしても被害報告の減らない異常気象に、ダリオはもう打つ手がなくなっていた。

 自分一人の力で出来ることの限界に立たされて、これまで他国との国交をほとんど行っていなかったロ国のスルタンとして、他国の協力が必要だった。

 そう考えて、自分が冷酷非情のスルタンの仮面をかぶりながら、私情をはさみ国益を考えもせず、国同士の話し合いに応じなかった。幼稚で、アデライーデを愛するただ一人の男としてレオンハルトに接していたことに気づいてしまう。それに対して、レオンハルトが国の代表として自分に接していたことも――

 大きな敗北感を味わい、ダリオはぎりりと奥歯を噛みしめた。その瞳には、嫉妬の炎がめらめらと燃えていた。




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