第34話 砂漠の華
「ハセキ様っ! このようなところで何をされているんですか!?」
切羽詰まったオスヴァルの声に、ティアナはうとうとしていた目をはっと開けて、砂の上に横たえていた身をわずかに起こす。
「夜の砂漠は冷えますから、どうか馬車の中でお休みくださいっ」
星空を見ながらうたた寝をしてしまったことに気づいたティアナは頬を染め、促されるまま大人しく馬車へと戻った。
翌日。太陽が中天を過ぎた頃、ティアナを乗せた馬車はイヴァー・オアーゼに辿り着いた。
もうすぐだというオスヴァルの声に、馬車の窓を開け放ったティアナは、ある境界から地面を覆う砂がキラキラと眩しいほど太陽の光を反射して輝いているのを見て、驚きの声を上げる。
「まあ、まるで海の中に入っていくみたい……」
颯爽と駆ける馬車が水面のように輝く砂地に入っていく。輝く砂漠をしばらく進み、馬のいななきと共に止まった馬車から降りたティアナは、すぐに足元の砂を手にとり、その形が星であることを見て、翠の瞳をふわりと細めて微笑む。
「アデライーデ様、本当に星の形をしていますわっ!」
同じく地面にしゃがみ込んで砂を手にしたフィネが、興奮気味に言って、ティアナを見上げた。
「すごいですね……」
うっとりと星の砂に見とれたフィネに、ティアナは頷き返し、手のひら大の小瓶に星の砂をさらさらと流し入れ、コルクの蓋をしてから胸元に大事にしまった。
馬車が止まった場所のすぐ先には、青々とした葉をつけた木が生い茂り、その近くには傘のような屋根の丸い建物がいくつか立っていた。
建物の方へと近づいていくと、オアシスの全体が見渡せた。
中央には不思議な形の池があり、それを囲むように円状に建物と木々が生え、その向こうに高くそびえる砂丘が見えた。砂丘を見て、なぜだか急に胸が高鳴りだしたティアナだったが、フィネに声をかけられてなんでもない風を装う。
宿に荷物を運びいれるまでの間、イヴァー・オアーゼの中をぐるりと一周して見ることになり、フィネと護衛としてオスヴァルが同行することになった。
イヴァー・オアーゼは昼間だというのに、通ってきた砂漠と違い、さぁーっと涼やかな風が吹き抜けて暑さをあまり感じなかった。
池を囲むように立てられた建物の一部はイヴァー・オアーゼの住宅で、ほとんどが星砂漠を横断する商人や旅団、観光客の宿だった。中にはお店もあり、ロ国よりさらに南に位置する連合国の特産品や、イヴァー・オアーゼの辺りでとれるサボテンの砂糖漬けなどが売られていた。
ティアナは観光しながら、イヴァー・オアーゼの住人や商人にそれとなく月下星珠のことを聞いてみたが。
「サボテンは近くにたくさん生えてるが、大きな花を咲かせるサボテンは見たことないなぁ~」
「ここ数年、ずっとサボテンは花をつけんよ」
「星なら、明晩あたりからたくさん流れるがなぁ」
そんなかんじで、収穫はゼロだった。
しかし、ティアナが何度もサボテンの花のことを尋ねているのを側で聞いていたオスヴァルは、ティアナがその花を探していることに気づき、昨夜、自分も同じことを尋ねられてことを思い出す。池のほとりに腰かけたティアナに尋ねる。
「ハセキ様、あっ、アデライーデ様……」
慌てて言い直したオスヴァルをくすりと仰ぎ見たティアナの翠の瞳は憂いを帯びていた。
「白い大きな花を咲かせるサボテン……をお探しなんですか?」
尋ねられたティアナは、わずかに目を見開き、それから眉尻を下げて困ったように首をかしげる。
ティアナはどう説明しようか迷って、それから差し支えのない部分だけを説明する。
「つまり、アデライーデ様はそのサボテンを見つけるためにイヴァー・オアーゼにいらっしゃったのですか?」
顎に手をあてて黙りこんだオスヴァルの横で、フィネが大げさな身振りで口元に手を当てる。
「まあ、私はてっきり、スルタンとの恋の成就を願うためだとばかり思っていました。あんなにスルタンに愛されていますのに、星に願いをかけるなんて可愛らしい方――と密かに思っていましたわ」
まさか、フィネにまで誤解されているとは思わなかったティアナは脱力して肩を落とし、ここはちゃんと誤解はといておかなくてはと、コホンと咳払いする。
だが、ティアナが口を開こうとした時、それまでずっと黙っていたオスヴァルがゆっくりと口を開いた。
「砂漠の華……」
オスヴァルは悩ましげに眉を寄せて、澄んだ瞳で空を見据える。
「イヴァー・オアーゼには古くからの言い伝えがあります、それが確か白い花を咲かせるサボテンがどうとか……」
「本当ですかっ!?」
思いがけない手がかりに、ぱっと顔を輝かせたティアナを、困ったようにオスヴァルは見下ろした。
「ええ。ですが、内容が思い出せなくて……」
「そうですか……」
分かるほど気落ちした様子のティアナに、オスヴァルは慌てて付け加える。
「でもっ、この話はイヴァー・オアーゼの長老様にお聞きしたので、長老様に尋ねれば分かるかと……」
オスヴァルが元気づけるように勢い込んで言った時、三人のもとに少佐と護衛兵の一人が近づいてきた。がっしりとした体格で礼儀正しく頭を下げた少佐をティアナは振り仰ぐ。
「アデライーデ様、宿の準備が整いました。それから……長老様がぜひご挨拶をしたいと申されておりますが」
タイミング良く長老に会えることになり、ティアナはごくんと喉を鳴らし、優雅に立ち上がる。
「長老様にお会いしますわ」
「おお、砂漠の華の言い伝えを聞きたいと?」
挨拶をおえたティアナは、さっそく長老に尋ねてみる。
小柄な体系に白くふさふさの口髭を揺らし、白くたれた眉毛がかかった奥で栗色の瞳がまばゆい光を宿す。
「昔、まだこの辺りのサボテンが花をたくさんつけていた頃、一組夫婦が住んでいた。仲睦まじい夫婦だったが、ある日、女が謎の病に倒れた。男は近くに咲いていたサボテンの花を摘んでは池に投げ込み、月に願掛けをした『どうか妻の病気を治してほしい』と――一日と空けず願い続け九十九日が経った夜、ついにあたりのサボテンの花はすべて摘み取ってしまって願いをかける花がなくなってしまった。みかねた月の精霊が、池に映った月から姿を現した。『私の力で花を咲かせましょう。この蕾は白き月が満ちる頃、満開の華を咲かせる。その花の蜜を飲ませなさい。さすれば、万の病は治るでしょう』男は言われた通りに、サボテンに付いた一つの蕾を大切に育て、花開いた白い花からとった蜜を飲ませた。するとどうだ、女の病はたちまち治ってしまった。しかし――その噂を聞いた者がまたも砂漠の華をすべて摘み取ってしまい、怒った月の精霊はこの辺り一帯のサボテンに花を咲かせないようにしてしまった――という話じゃ」
「それで、この辺りのサボテンは花を咲かせないのですね」
長老の話を聞き終えたティアナは納得して俯く。
おそらくこの砂漠の華の言い伝えが脚色されてサボテンの花の蜜を食べると忘れた記憶を思い出すことができるという言い伝えが魔女の間に伝わっていたのだろう。
予想どおり、月下星珠がイヴァー・オアーゼの近くに生えていることは分かったが、花をつけることはないと聞いて、絶望的な気分だった。
やっと確かな手掛かりをつかめたと思ったら、花が咲かないだなんて――
今度こそ記憶を取り戻せると思って希望に胸を膨らませていただけに、動揺を隠せなかった。
黙りこんでしまったティアナを眉毛の下の栗色の瞳を細めて見つめた長老は、髭をさすりながら、ほっほっほっと陽気な声で笑う。
「じゃがな、ときたま、精霊の気まぐれで大きな白い花を咲かせるサボテンがある。本当に砂漠の華を必要としている者が現れる時、月の精霊が花を咲かせるという。そのサボテンがどこにあるのか場所は誰も知らん――というがな、わしは知っておる。手がかりは星の砂の降る丘、満月の夜、流れ星――じゃ」
ほくほくと好々爺ふうに微笑んだ長老の瞳が一瞬強い輝きを放ったのをティアナは見逃さなかった。
まるで見透かされたような瞳で見つめられて、ティアナはぎゅっと拳を握りしめる。それからお礼を言って、用意された宿へと向かった。
長老が言った手がかりがなにを示しているのか――
ティアナは分かっていて、尋ねずに長老の部屋を出てきた。
『星の砂の降る丘、満月の夜、恋人同士で流れ星を見ると恋が成就する』
その言い伝えがもともとは、長老が語って聞かせた砂漠の華の言い伝えだったなら――そう考えればなにもかもの辻褄が合う。
言い伝えの中で月の精霊が言った白き月が満ちる頃――というのは満月のこと、星の降る夜――流れ星。
さっき、商人が明日の夜からしばらく星が流れると言っていたのを思い出す。
流れ星の時期と重なったのはたまたまだが、月下星珠の花開く条件がすべて整っている偶然の一致に、ティアナの胸がいっきに高鳴りだす。
明日の夜――星降る満月の夜に、月下星珠の花は咲く――
その場所は星降りの丘――イヴァー・オアーゼの向こうに見えた砂丘、その先だとティアナは確信した。
確かめに行こう――そう思ったら、考えるよりも先に体が動き出していた。
少し離れた場所で眠るフィネを起こさないように布団から抜け出し、護衛兵がいる表の入り口ではなく、裏からこっそりと忍び出る。
空には、ふっくらと太った月がもう少しで満ちようとしていた。
次話、ついにあの人が……!