第32話 伝説はいつまでも語り継がれて
『満月の夜に必ずイヴァー・オアーゼに連れていくと約束しよう』
そう言ってダリオがティアナの部屋を出て行ってから二日が経つ。
王宮のあるロ国首都ワール・パラストから砂漠の手前にある街リヴァブまでは馬車で二日、さらにイヴァー・オアーゼまでは二日かかる。遅くても明日には出発しなければ、満月の夜に間に合わず、ティアナはじれったい思いでひたすらダリオからの連絡を待っていた。
連れて行ってくれると約束したダリオの言葉は信じているが、ティアナには気がかりなことがあって――
サロンのソファーに腰掛けて本を読んでいたティアナは手元の本から視線を上げ、テーブルに置かれた揺れる灯火を見つめて、細いため息を漏らした。
※
時は遡って二日前――
ダリオが約束を残して食事室を去った後、マティルデとフィネも片付けに出て行き一人残ったティアナは、最近の日課になってしまった薬作りをしていた。
中庭で採ってきた薬草を乾燥させたり、常備薬を作ったりしていると、机の上に置かれた灯火がゆらりと揺れ、パチパチと火のはぜる音と共に室内に見知った人物が現れる。
「ごきげんよう、私の姫君――」
すらりと背が高く時代錯誤の黒いマントを羽織り、長い黒髪を無造作に後ろに流し腰のあたりで束ね、不敵な笑みを口元に浮かべたルードウィヒを、ティアナは片眉を上げて迎える。
「ごきげんよう、ルードウィヒ」
以前はルードと呼んでいたが、ルードウィヒが森の魔法使いだと思い出した今はあえてルードウィヒと呼ぶ。未だに彼と自分との関係を思い出すことは出来なかったが、ティアナは以前よりも警戒心を持ってルードウィヒを迎え入れた。
『いいか、――? 魔法使いに会った時決してしてはいけないことは取引だ。魔法使いと取引する時はそれ相当か、それ以上の代価を支払わなければならない。魔法使いは巧みな言葉で誘導し、必ず取引を持ちかけてくる。だから気をつけろ。決して、魔法使いの言葉に惑わされるな』
自分にそう言って聞かせたのは誰だったか――
だが、ルードウィヒのことを思い出した時、警告の様にこの言葉を思い出した。
ルードウィヒが話したことすべてが嘘だとは思わないが、隠されたわずかな真実を正確に読みとらなければならないと感じた。用心をするにこしたことはないと――
彼の話では、は戦の最中、恋人と離れ離れにならなくてはならなかったと言っていたが、彼が住むドルデスハンテ国ではここ数十年間戦は起こっていない。彼が話した“過去”とティアナの知る“現実”のズレに疑問が渦巻く。
もしも彼がドルデスハンテ国の出身でなければ――?
彼が恋人と別れたのが最近ではなく、もっと昔ならば――?
自分はピアスなんて身につけないし、ルードウィヒの恋人のピアスを持っているなんて考えられないが――関わりがあるのだとしたら?
ルードウィヒと自分の間には何らかのつながりがある――?
そんな疑念を抱いて、ルードウィヒの言葉を思い出す。
『君のことは――ずっとずーっと昔から知っているよ』
『つくづく悪運なのは血筋なのかい?』
昔から。血筋――
鋭利な瞳に宿す慕情の炎、恋人の話をした時の切なく揺れる瞳――その中に真実は隠されているように感じてならなかった。
仮に――自分がルードウィヒ……いや、彼の恋人の血縁ならばピアスを持っている可能性は高いかもしれない。
そんな考えに思い至って、胸にじくじくとした熱い痛みが広がる。ルードウィヒに会ってからたびたび痛む胸に首を傾げながら、ティアナは決意を固くする。
とにかく、ルードウィヒの言葉の中に真実が隠されているのなら、それを正確に読みとるように会話には細心の注意を払うように心がけよう。
そう決意したのに、ルードウィヒはティアナを混乱させる言葉ばかりを言う――
「今日もまた解毒剤作りかい? 飽きないのかねぇ」
「ええ、楽しいわよ。余計なこと考えないで済むし……あなただって魔法使いなのだから、薬の調合はお手の物でしょ?」
調合の手を止めたティアナは、気だるげに壁にもたれるルードウィヒに注意深く視線を向ける。
「あいにくだが、私にはそんな陰気くさい趣味はないのでね。いちいち調合などせずとも魔力でどうとでもなる」
肩をすくめて馬鹿にするように言ったルードウィヒがぱちりと指を鳴らした瞬間、ティアナの手元の薬が合わさってじゅーじゅー音を立ててオレンジ色の煙を上げたから、ティアナはぎゅっと唇をかみしめる。
いちいち嫌味な言い方でかんに触る。ティアナはルードウィヒを睨みつけたのだが、彼は気にした様子もなく口元に意地悪な笑みを浮かべる。
「そんなことよりも、まさか君があの男ではなくてあいつと恋を成就させようと思っているとは――驚きだね」
「えっ……?」
もったいぶって言ったルードウィヒの言葉の意味が分からなくて、訝しげに顔を顰める。
あちこち意味不明なところはあるが、一つだけ、ルードウィヒが言うあいつというのがダリオを指している事だけは分かって尋ね返す。
「ダリオ様が……なに?」
「あいつと星砂漠に行きたいと言ったのだろう? しかも満月の夜に――」
正確にはダリオと一緒に行きたいとは言っていないが、ダリオと一緒に行くことにはなっていて、ティアナはどう訂正するべきか迷う。
下手に訂正して、話を誤魔化されたら困ると思って口をつぐんでいると。
「確実に誤解しているだろうなぁ」
そんな意味深なことを言って、目元を細めて怪しい光を反射するルードウィヒに、ティアナは瞬いて視線を向ける。
「なぜ、そんな訝しんだ顔をしている。星砂漠の伝説を知っているのだろう? 聡明な君ならば、あいつが君に何を期待しているか分かるだろう――?」
ダリオに星砂漠に行きたいと言った時に伝説を聞いてとは言ったが、ティアナはそれがどう誤解を招くのかいまいち理解できない。
「伝説って、イヴァー・オアーゼで流れ星を見ると願い事が叶うという言い伝えのことでしょう? それがなに? ダリオ様が誤解するって……?」
キョトンと首をかしげるティアナを見て、ルードウィヒは片眉を上げ瞠目する。
「なんだい、君はもう一つの伝説を知らないのかい?」
「もう一つ――?」
「星の砂の降る丘、満月の夜、恋人同士で流れ星を見ると恋が成就する――という伝説だ」
くすりと口元に意地悪な笑みを浮かべてルードウィヒは額にかかる黒髪を大きくかきあげて、それからゆっくりと壁際からティアナは座る椅子に近寄る。
「星降る丘……満月……恋、人……!?」
一致する符号にティアナはすとんきょうな声を上げる。
「そう、君が行きたいと言った星降る丘、満月の夜を指定して――あいつは君が自分のことを好きだと勘違いしているぞ」
「なに、それ……私は知らないわ、そんな伝説。星砂漠に行きたいのはただ、満月の夜に月下星珠の蜜を採りに行きたいからで……」
伝説の話を聞いてと言ったのはただの口実なのに、自分が知る伝説以外にもう一つ恋の伝説があるとは思わなくてティアナは気が動転して手に持っていた試薬瓶を落としてしまう。
小瓶の落ちた床からは異臭を放つ青い煙がもくもくとあがり、皮肉げな笑みを浮かべたルードウィヒの姿がぼやける。その中に、くつくつと陰湿な笑い声がこだまする。
「まあ、せいぜい頑張りたまえ、私の姫君――」
ルードウィヒが消えると同時に食事室の扉が慌ただしく叩かれ、マティルデの声が響く。
「アデライーデ様、なにやらこちらのお部屋からただならぬ匂いがいたしますが――」
ティアナはマティルデの声を遠くで聞きながら、ルードウィヒの言葉が頭から離れなかった。
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