第3話 悲報と吉報
王子の執務室のサロンに無作法に現れた部下のヴァルターを一睨みし、レオンハルトと王妃に詫びたフェルディナントは控えの間へと移動した。
フェルディナントに続いて控えの間に入ったヴォルターは失態に落ち込みながらも、自分がなぜ駆けつけて来たかを思い出してはっと顔を上げる。
フェルディナントも、信頼している部下の一人であるヴァルターが取り乱すくらいだから、余程のことがあったのだろうと察して、表情を引き締めてヴォルターを見据える。
「フェルディナント隊長、報告致します」
ぴんっと背筋を伸ばし姿勢を正したヴァルターはきびきびとした、だけど押さえた声で話しだす。
「先程、イーザ国に向かう馬車の護衛をしていたロルフから早馬の知らせが届きました」
イーザ国に向かう馬車――というのはレオンハルトがティアナの為に用意した帰国のための馬車で、馬車を守る護衛武官を四名つけていた。ロルフはそのうちの一人――
フェルディナントは眉間のしわを深くし、無言で話の先を促す。
「報告によれば、ティアナ姫様は行方不明と――」
沈痛な面持ちで言ったヴァルターは、ロルフからの手紙をフェルディナントに差し出す。
手紙にさっと目を通したフェルディナントの表情が曇った。
※
控えの間からサロンに戻ったフェルディナントは報告することがあると言って、レオンハルトだけではなく、王妃の同席も願い出た。
テーブルを挟んで座るレオンハルトと王妃の間、テーブルの横に立ったフェルディナントは、眉間に皺を刻みながら話しだす。
「ティアナ姫様帰国の護衛についた者から早馬の知らせが届きました」
早馬――の単語に、何かよからぬことがあったのだと察して、レオンハルトが表情を引き締める。背もたれに預けていた背を起こし、膝の上で手を組んでフェルディナントを見据える。
レオンハルトからの視線を受け、フェルディナントは続きを話す。
「三日前、国境付近の街道を進んでいたようです。しかし国境を越える手前の街道が数日間の豪雨による土砂崩れで塞がれ、隣国のフルス国の国境を越えオーテル川沿いの街道へと迂回したらしいのですが……その途中、氾濫した川にティアナ姫様が流されてしまったそうです……」
「……っ」
「まぁ……」
レオンハルトの息をのむ音と、王妃の不安に揺れた声が重なる。
ヴァルターが駆けこんできた時から、なんだか胸騒ぎがしていた。何かよくないことが起きたのではと考え、頭の片隅に浮かんだ不安をまさかと追い出していたのに――
「ティアナ様が……」
驚愕の出来事に言葉を失っているレオンハルトに、ロルフからの手紙を差し出す。
「ジークベルト殿と侍女殿はユンゲンが王宮まで送り、ロルフは早馬を出した後、国境の兵士を集めティアナ様捜索部隊を編成し捜索中です。しかし、国境付近は連日の豪雨で街や村の被害も酷く捜索隊に避ける人員も限られているとか……」
手紙に素早く目を通し、驚いた感情を落ち着かせて今やるべきことを瞬時に考える。
「至急武官を召集し、国境に向かわせる――三分の一を国境の街道整備に回し、三分の一を国境の街や村の復興に、残りをティアナ様の捜索隊に派遣する。王の許可は後だ、今すぐ伝令をまわせ」
威厳に満ちた鋭い瞳で言ったレオンハルトに、フェルディナントは頷き返す。
「すでにヴァルターに武官の招集に走らせました。半時後には国境に向けて出発できるでしょう」
「しかし……」
それまで黙っていたアウトゥルが、懸念の声を上げる。
「国境付近の豪雨はまだ続いているそうじゃありませんか。悪天候で視界も優れず、捜索は難航しそうですね……」
誰もがティアナの行方に思いをはせ――沈黙に包まれる。しばらくの間を挟んで、王妃のぱちんっと扇を閉じる音で、思考から現実に戻される。
「私達には……ティアナ姫の安否を、ただ願うことしかできないわね。ひとまず婚約の話はティアナ姫の行方が分かるまで先延ばしにします」
優雅に立ち上がった王妃は伴ってきた女官を引きつれてサロンを退室した。
やっと王妃が退室し、レオンハルトは肩の力を緩めるが、複雑な気持ちに顔を顰める。
立ち去り際に言った王妃の言葉が胸に突き刺さって抜けない――
ティアナが行方不明と聞いていてもたってもいられなかった。出来ることならば今すぐ国境に向かい捜索隊の陣頭指揮をとりたかった――でも。王城を離れるわけにはいかない。
執務室から部下に指示を出した後は報告が来るのを待つだけ。ただ願うだけしか出来ない自分に――王子という肩書に嫌気がさしてくる。
沈黙しているレオンハルトを気遣わしげに見るアウトゥルと何か言いたそうにしているフェルディナントの視線に気づいて、レオンハルトは苦笑いを浮かべる。。
「さて、執務室に戻るか……」
言いながら立ち上がったレオンハルトを見つめる二人を安心させるように、わざとらしく肩をすくめる。
「心配するな……城を抜け出してティアナ様を探しに行こうだなんて考えていない。私が国境に行っても出来ることはほとんどない。それよりも……ここでやらなければいけないことをする――」
精悍な顔つきで、レオンハルトは窓の外のうねる黒い雨雲に向けた。
※
ティアナを見送ってからずっと執務室に籠っていたレオンハルトの元には、各地からの異常気象の報告が上がってきていた。
いや――それ以前、レオンハルトが最初に猫にされて王城に戻ってきた時には、僅かだが異常気象についての報告を受けていた。
その処理のため――各地に武官を送り、対策会議への立案などで舞踏会前から忙しかった。
初めこそ報告の数は少なかったが、南での集中豪雨、東での地震、北――王都での風害は目に見えて酷くなっている。
時空の裂け目の出現報告についても、日に日に件数が増え続ける――
その対応に明け暮れる中、国境からの定期報告を待ち望み――報告の度に、未だ消息がつかめないことに落胆する。
ちょうど、ティアナ行方不明の報を受けてから十二日が経った頃。
仕事の書類と一緒にレオンハルト宛の手紙を携えてアウトゥルが執務室にやってきた。
「レオンハルト様、しばらく手紙類には目を通されていないようですね」
そう言ってアウトゥルは片手では抱えられない量の手紙をレオンハルトの執務机の端に置く。
「大半は貴族からのくだらない手紙だ。今は目を通している時間はない」
くだらない手紙というのは――私の娘を婚約者にどうか、とか。王位継承に有利になる財力を持っているから昇格させてくれ、だの。自分の欲望のためにレオンハルトに取り入ろうとする下心を持った貴族からの手紙だった。
一時もおしいこの状況で、そんなものを読んでいる無駄な時間はなかった。
アウトゥルははじめから素直にレオンハルトが手紙を読むとは思っていなかったようで肩を落とす。
「分かっています。ですが、大事な手紙もあるかもしれませんよ? 休憩がてら、手紙に目を通してみてはいかがですか?」
そう言って、さっき置いた手紙の山とは別に持っていた数枚の手紙を差し出す。
面倒くさそうに手紙に視線を向けたレオンハルトは、手紙の差出人の中にエリク王子の名前と、もう一人の名前を見つけて――
衝動的に手紙に手を伸ばして受け取り、手紙を読むために執務机から移動して部屋の中央のソファーへと座る。側の小卓の上に数枚の手紙を置き、その中から一つの手紙を取り出す。
差出人の名前はジークベルト――レオンハルトが森の魔法使いにかけられた魔法を解いてもらうために見つけた実力の計りしれない魔導師であり、ティアナと共に馬車で帰った人物である。
ティアナが行方不明になった時すぐ側にいたジークベルトなら、行方不明になった時の状況についてより詳細な情報を得ることが出来るかもしれないと思ったが。
ペーパーナイフで封を切り取りだした手紙を読み進めるうちに、レオンハルトの顔色はどんどんと青白くなっていった――