第24話 悲愴のカナリア
「棘と茎部分に毒が塗られていたと報告を受けた――」
ティアナが横になるベッドの側に置いた椅子に座ったダリオは言って、ティアナから入り口付近に立つマティルデとフィネとエマに視線を向ける。
視線で退室を促された三人は無言で会釈をしてティアナの寝室を出ていく。
それを確認したダリオは、氷の瞳をティアナに向ける。
「塗られていたのは即効性の毒だったが、女官の対処が早かったため大事には至らなかった。医師が驚いていた、どんな方法を使ったのか――」
問いかける言葉ながらも、対処したフィネとマティルデからすでに聞いているのだろう。ティアナがなぜ毒から助かったかを――
正面から見据えるように向けられる氷の瞳に覚悟を決め、ティアナは上体を少し起こして、倒れる前から手に握ったままだった小瓶を差し出す。
受け取ったダリオは親指と人差し指で小瓶を掴み、天井に掲げてわずかに残る緑色の液体を眺める。
「これ――か?」
※
棘に触れ出血した血を舐めたティアナは急激に襲い来る目眩と吐き気の中、毒が花束に塗られていたのだと冷静に状況を把握していた。
医師を呼びに行こうとしたフィネを咄嗟に止め、自分で調合しサロンの棚に置いていた解毒剤を持って来させてそれを飲んだ。
毒を口にしてすぐの吐血――即効性のある毒ならば、医師を呼びに行く間に毒が体に廻り取り返しがつかなくなる。だからティアナは、医師を呼ぶよりも先に自分の解毒剤を服用した。
それに――騒ぎを大きくしたくなかったというのも本当の理由だった。
誰にも言っていなかったけれど、毒を盛られたのはこれで二度目――犯人は確実にティアナを狙っている。犯人を探すためにも、事を荒立てたくなかった。
ティアナが解毒剤を飲んで倒れた後、騒がないでというティアナの言葉をしっかりと聞いていたマティルデの采配で、内密に医師を呼びダリオに使いを走らせ、ティアナに毒が盛られたことをハレムに漏れないようにしてくれた。
そして目覚めたティアナの元に駆けつけたダリオから、説明を請われていた。
※
「はい、私が中庭で集めた薬草から調合した解毒剤です。たまたま解毒効果のある銀輪草を見つけたので、ちょっと久しぶりに薬でも作って見ようかと思いました――」
ティアナはそこまで言って、喋りすぎてしまったことに気づいて口をつぐむ。
ダリオは氷の瞳をわずかに見開き、ティアナを威圧的に見つめる。
「記憶を――思い出したのか?」
「いえ、その……少しだけです。自分のことは何も思い出せていないのですが、薬を作ったことがあるという記憶を……」
「銀輪草――私も聞いたことがあるが、この辺りには生息していないはずだが……」
ダリオは訝しみ、ティアナは困って首をかしげる。
「そうなのですか? 私は確かに、中庭で見つけたのですが……」
言いながらよくよく思い返してみると見つけたのは初めの時だけで、その後何度か銀木犀を探したが見つけることは出来なかった。
それならば、あれは夢だったのかしら――
中庭に一本佇む銀木犀を思い出して、そこで出会った黒髪の美女を思い出す。
「花束に付着していた毒は銀霜だと医師が言っていたが、銀霜に有効な解毒剤は限られている……にもかかわらずお前の調合薬は見事に毒消しの作用を働いた……なぜ、このような解毒剤の調合法を知っている――? なぜ、調合することができる――? お前は何者だ――?」
蜂蜜色の瞳に鋭い光を宿し、射抜くような視線を向けられたティアナは、背筋に冷たい物が伝う。金縛りにあったように微動だに出来ず、冷や汗だけが頬を伝って落ちていく。
「分かりません――っとしか、お答えできませんっ……」
閉じた瞼と唇に力を込め、握った両手を震わせる。
ティアナ自身も、なぜ自分が普通の人が知らない様な薬草の知識を持ち、解毒剤の調合が出来るのか分からないのだ。一番思い出したい記憶を何一つ思い出せず、焦燥に駆られているのは――誰よりもティアナだった。
痛ましげに瞳を揺らし悲愴に顔を曇らせるティアナを見て、ダリオはちっと舌打ちをする。
嘘や罠があちこちに潜む王宮で、ダリオはティアナの事さえも疑わしく思い詰問してしまったことを悔いる。
震える小さくティアナの手に、ダリオは自分の手を重ねる。
「すまなかった、アデライーデ。一番辛いのはお前なのに……きつく言いすぎた、許してくれ」
顔を上げたティアナは、目の前にいつもの威圧的な氷の瞳ではなく、自分を気遣って揺れる蜂蜜色の瞳にドキンッと胸が跳ねる。
至近距離に悩ましげに輝く瞳があって不意をつかれ、鼓動がどんどん早くなっていく。慌てて視線をそらす。握られた手から熱が伝わり、安心感が胸に広がっていく。
「はい、ダリオ様……」
ティアナはダ自分の手に重ねられるダリオの大きな手を見つめ、それからダリオの瞳を正面から見据える。
「ダリオ様に――お話しなければいけないことがあります」
そう言ったティアナの瞳には先程までの悲愴さはなく、いつもの芯の強い輝きが満ちていて、ダリオは、きゅっと痛む胸の内を隠して、顔を引き締めた。
「なんだ、アデライーデ?」
「事を荒立てたくなくて黙っておりましたが、以前にも毒を盛られたことがあります」
その言葉にダリオは片眉を上げ、氷の瞳に険呑な光が漂う。
「そのような報告は受けていないぞ――」
威圧的な物言いにティアナは肩を震わせ、ぎゅっと唇をかみしめて続きを言う決意を固める。
「口にする直前に毒の混入に気づき、私の一存で報告致しませんでした。マティルデさんもフィネも知りません。毒は私の手に付着していました。私が触れる身の回りの物に塗布させておいたか、もしくはなんらかの方法で直接私の手に……」
黙っていたことを怒られると思っていたティアナは恐る恐るダリオに視線を向ける。しかし予想外に、ダリオは怒りではなく苦渋に顔を顰めていて首をかしげる。
「あの、ダリオ様……?」
「すまない――」
「えっ――?」
「アデライーデをハセキにすると公言した時に、なんらかの反発は予想していた。しかしこうも早くお前を直接狙うとは予想もしていなかった私の愚かさが――お前を危険な目に合わせてしまった。すまない……すべて私のせいだ」
痛ましげに顔を歪めたダリオの手が小刻みに震えていることに気づいたティアナは、先ほどとは反対にダリオの手を優しく握りしめる。
「花束を送ってきた商人は警備兵が捕らえる前に姿を消していた。一介の商人に銀霜を用意できるわけがない、黒幕はまだいるはずだ――またお前を狙ってくると分かっていて、私はお前を守ることも出来ない……」
毒を盛られ一時こん睡状態になったティアナを心配し、心を痛めているダリオを見て胸が熱くなる――護ってあげたいと、ティアナは思った。
「ダリオ様」
そう言ったティアナの顔はだれよりも美しく、そして挑戦的に輝いていて、ダリオは不覚にも見とれてしまう。
「私のことは心配いりません。それよりも、この好機を逃す手はありませんわ――」