第22話 純愛恋歌
「――というわけで、私は恋人の形見を探しているのだよ」
月の光が差し込む窓際の壁に寄りかかったまま、ルードウィヒは“彼の過去”というものをティアナに語って聞かせた。曰く――
彼には永遠の愛を誓い合った女性がいた。しかし敵国との戦争の最中、離れ離れにならなくてはならず、誓いの徴に自分が身につけていたルビーのピアスの片方を女性に送ったという。恋人との約束を果たすために――そのピアスを探していると言い、ティアナが持っているというのだ。
「私――ルビーのピアスなんて持っていないわ」
両手で耳に触れ、ピアスをしていないことを確認する。
もしかして、海で遭難した時に失くしてしまったのかしら――思い当たる不安に翠の瞳を曇らせると、ルードウィヒはくすりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「ああ、そうだな。君はピアスを身につけていない、が――確かにピアスは君の持ち物だ」
意味深なその言葉に、ティアナは言われている意味が分からなくて首をかしげると、ルードウィヒはくつくつと不敵な笑みを浮かべる。
結局、教えてくれるといいながらもはぐらされたように感じて、ティアナはこれ以上追及することをやめて、編み物に集中し始める。
しばらく、ティアナが編み物をやっているのを黙って見ていたルードウィヒは、窓の外に視線を向け、夜空に浮かぶ黄金に輝く月を悲しげに見つめる。
「君と分かれたあの夜も――こんな風に月が綺麗だったな……」
ルードウィヒの独り言はティアナには聞こえていなかったが、ふと視線を上げた先、窓の外を見つめるルードウィヒの後ろ姿を見て編み鉤をにぎった手を止める。
「その……あなたの恋人の形見が無事に見つかるといいわね」
ティアナが知る限り戦争はこの数十年起っていないはずだが、ロ国では去年まで内乱が続き、海には海賊、砂漠には砂賊が出ると聞く。ティアナが知らないだけで、いまもなお世界のどこかでは戦争が起こっているのかもしれない。
ルードウィヒの語った“過去”が七十七年前のことだと、記憶を失くしてそのことすら気づいていないティアナは、ルードウィヒと恋人が分かれたのはつい最近の出来事だと思っていた。
ルードウィヒの翠がかった瞳。すべてを切り裂くような鋭利なその瞳に宿す慕情の炎の正体が、恋人に対する愛情からなのだと悟る。
彼が恋人を思って必死になるように、その形見を探すように――ティアナにも大事な人達がいて、失くしてしまった記憶を取り戻すことに必死になていた。
ルードウィヒと自分の状況を重ねて身につまされて、ティアナはただ心からルードウィヒと恋人の幸せを願って言った。
予想もしていなかったティアナの言葉に、ルードウィヒは片眉を上げ、それからふっとその瞳を翠に揺らす。
「ああ――必ず……」
ティアナの顔に愛しいティルラの面影が重なり、ルードウィヒはきゅっと奥歯を噛みしめる。
雪のように白い肌、優しい翠の瞳、月の光よりも鮮やかに輝く銀の髪――そのどれもがティルラにそっくりで、あの日、砦の森で出会った時のことを思い出す。
※
ティルラが自分以外の男と結婚し、子を産んだ――そのことは知っていた。一度だけ、イーザ国に会いに行ったこともあったが、その時にはティルラは……
恨みつらみすべての感情がティルラに向かい、ティルラが亡くなったと知って、今度はドルデスハンテの王族へと向けられる。
ライナルト王子との約束を果たした後、王城から砦の森に移り、一人で――たった一人で幾年が過ぎ、何度も季節を廻る。ティルラの子が娘を産み、またその子が娘を産み、そのまた娘が生まれ――
ティアナの存在は知っていたが、会おうとは思わなかった。愛した人の血を受け継ぎし子――だけれどもその血には自分以外の男の血が混ざっていることが、許せなかった。
ただなんとなく年を重ね、ドルデスハンテ国の王城でいたずらを仕掛け――そして、出会ってしまった。
砦の森で会った時、すぐにティルラの子孫だと分かったがそれだけ。ティアナはティルラではないし、あの時は魔法をかけて猫にしたドルデスハンテ国のレオンハルト王子以上に興味を持っていなかった。だが。
王子の魔法を解いてほしいと言った時の強い意志を宿した瞳――
ひたむきさ、誰かのために動く強さ――
それがどうしようもなくティルラを思い起こさせて、憎むべきドルデスハンテの王族よりも、ティアナに興味が移ったのだったが。もう一つ、ティアナに興味を惹かれたことがあって――
※
突然黙り込んでしまったルードウィヒに、ティアナは何度か呼びかけたが返事は帰ってこなくて困ってしまう。
「ルード……?」
何度目かの呼びかけで揺れていた漆黒の瞳がティアナを映し、ティアナは安堵の息を漏らす。
「急に黙り込んでしまうから、どこか具合が悪いのかと心配したわ」
不安げに瞳を揺らして微笑むティアナを見て、ルードは皮肉気な笑みを浮かべて前髪を掻きあげる。
「少し……恋人のことを思い出していただけだ」
「そう、それならいいのだけど」
ルードウィヒが髪をかき上げた時、左耳に光るルビーのピアスを見つけて、ティアナは思わず手を伸ばしていた。
「これが、あなたの大事なピアスの片方ね?」
なんとはなしに触れたのだが、その瞬間。
脳裏が焼けつくように痛み、いくつもの光景が頭を駆け抜けていく。
真っ白な森と雪の降りしきる連峰――
紅蓮の炎に包まれる漆黒の森――
寂しげな光を放つ黄金の月――
二十代の男女と小さな男の子――
爽やかな風の吹き抜ける緑の森――
新緑の森。そこにいる黒髪ウォーターブルーの瞳の青年と茶毛の少女と銀色の毛並みの猫と、それから――
いろいろな場面の断片が浮かんでは消える。ティアナは慌ててピアスから手を離すと、混乱する頭を押さえてその場にしゃがみ込む。
ルードウィヒは突然うずくまったティアナの異変に眉根を顰める。
「どうしたのだ――?」
「あ……っ」
顔を青ざめさせ、体を小さく震わせたティアナは瞳を不安に大きく揺らす。
今の光景は――?
あの人達は――
思い出しかけた記憶についていけずに、酷い頭痛が襲って顔を顰める。
あまりにも痛ましげな様子のティアナが気がかりで、ルードウィヒは落ち着かなく問いかける。
「おい、大丈夫か――」
「あ……っ」
顔を上げたティアナの瞳が切なく揺らぐ。
「森の、魔法使い……ルード、ウィヒ……?」
ティアナのとぎれとぎれの言葉に、ルードウィヒはずんっと胸に重い痛みが走った。