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ビュ=レメンの舞踏会 ―星砂漠のスルタン―  作者: 滝沢美月
第4章 忘却のロンド 鳥籠のハセキ
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第19話  走り出した鼓動



 その日の夜、ティアナはいつものようにサロンのソファーに座って読書をしていたが、その頁は数時間前からまったく捲られていなかった。

 ティアナは本から顔を上げ、壁に置かれた書棚に視線を向ける。本が置かれている棚の隣に、小さな白い箱が置かれている。その中には、昼間出会った黒髪紫瞳の女性から手渡された銀細工の華飾り――

 結局、彼女が誰なのか分からずあれは夢か幻だったのかとも思うけれど、手のひらに握らされた銀細工が、彼女の存在が幻ではないことを語っていた。

 しかし、投げかけられた意味深な言葉と銀細工がなにを意味するのかは分からなくて、本棚にしまってからも銀細工が気になって仕方なかった。



 扉を叩く音がサロンに響き、隣の侍女部屋に待機していたマティルデが出てきて扉を開けダリオが室内に入ってきた。

 ティアナは読みかけの本にしおりを挟んで閉じると机に置き、立ちあがってダリオの側まで進む。


「ダリオ様、ようこそお越し下さいました」


 はじめてダリオが部屋を訪れた時と言葉は同じだが、あの時のように膝をつき顔を伏せてではなく、立ったまま前で腕を組みまっすぐとダリオの顔を見て言う。


「ああ、遅くなってすまない」


 ダリオはティアナに近づき、その氷の瞳に優しい光を宿しティアナの頬に愛おしげに触れる。

 ハレムで毎日会うようになって、ダリオは時々ティアナの前で笑顔を見せてくれる。港での冷酷で威圧的な印象が強く、滅多に笑わない人なのかと思っていたが、そうではなくよく笑う人だとティアナは思っていた。

 実際はティアナにだけ見せる笑顔で、エマやマティルデは滅多に見ることのないダリオの笑顔に密かに衝撃を受けていた。

 ティアナは触れられる頬が熱くなるのを感じて、ぱっと視線をそらす。ドキドキと高鳴る胸を悟られないように笑顔でダリオを見上げて。


「いいえ、ダリオ様は執務がおありなのですから、お忙しいのでしたら無理をしてハレムにお越しにならなくても……私のことなど気にされなくてもよろしいのですよ?」

「そう言うな、アデライーデ」


 ティアナの言葉にダリオは切なく瞳を細め囁くと、ティアナを胸に抱きしめる。


「私はお前の顔を一日と見ないでいることはできない」


 ダリオの甘い囁きに胸がきゅっと締め付けられて、ティアナはそれを誤魔化すように顔を上げて言う。


「そんな……今朝はお会いしたではありませんか」

「そうだな。しかし、私はお前の顔が見たかったのだ」

「はあ……そうですか……」


 ダリオはティアナの皮肉を気にした様子もなく、不敵に微笑んでソファーへと移動する。


「今日はアデライーデに話すことがあってどうしても来る予定だった。思ったより会議が長引いて終わった後も大臣達に足止めをされてこちらに来るのが遅くなってしまった」


 はぁーっと会議のことを思い出したのか煩わしそうにため息をつき、長い足を汲んでソファーにゆったりと腰掛ける。

 向かいのソファーに座ったティアナは、ダリオが自分の前で王宮の出来事を話すのが初めてだと気づいて、わずかに顔を顰める。


「会議……ですか?」

「ああ、アデライーデをハセキにする――その決定を会議に通した」


 言われた言葉にドキンっと大きく胸が跳ねる。


「あの……本当に私がハセキ……になるのですか?」

「ああ――」

「ですが、お聞きしたところハセキとはスルタンの寵愛を一身に受けた方のことで、私は――」


 私は違いますよね――そう言おうとしてティアナは言葉の続きを飲みこむ。

 すっと表情を引き締めた氷の瞳で見つめられて、ティアナはドキドキと胸が早鐘を打つ。


「私のハセキになるのは嫌か――?」


 真剣な光を帯びた瞳で見つめられて、ティアナは言葉に詰まる。しばしの沈黙を挟んで。


「私は……」


 勇気を振り絞って口を開いたティアナだったが、そこにちょうどティーワゴンを押したマティルデが現れて、ティアナは唇をきゅっと引き結ぶ。

 沈黙の中、カチャ、カチャと銀器の並べられる音がやけに大きく響き、テーブルにカップとお菓子の乗ったお皿が並べられ、ティータイムの準備が整えられる。完璧に準備を終え、マティルデはポットからお茶を注ぐと一礼をして、ワゴンを押して壁際へと移動する。

 ティアナは横目でマティルデが部屋にいることを確認して安堵のため息をつき、ダリオは片眉を上げてふっと肩で息をつく。


「今のハレムにウスク以上の階級の女がいないことは知っているな?」


 突然話を振られて、ティアナは驚きのあまり大きく肩を震わせてお茶をこぼしてしまいそうになる。


「大丈夫か?」

「はいっ、大丈夫です。ええ……存じております」


 ティアナは布巾で僅かにこぼれたお茶をぬぐい、ダリオをまっすぐに見つめて頷く。


「王位継承権を持つ者が私以外に一人しかいないことも知っているな?」


 ティアナは答える代わりに頷き、ダリオはそれを見て予想通りの返事をもらって嬉しそうに薄く微笑む。


「臣下達、特に年頃の娘を持つ者らはハレムに自分の娘を入れたがり、世継を望む声が多い。不満を解消するために、長年王宮に仕え歴史ある臣下や政治の中心を担う大臣の娘をハレムに入れウスクにしたが、それ以上の位を与えるつもりはない。だが私は今すぐに妃を持ち子を作るつもりはない。私がスルタンに即位して一年――内政が安定したとはいえ、まだまだやらなければならない事は山積みにある。そんな中、ハレムに通っている時間が惜しい。だが、後継者を望む声を無視することも出来ない――」


 王族として自分の血縁を残すのも仕事――ダリオはそのことを理解した上で、今はその時じゃないと判断している。

 ティアナは静かに頷き、ダリオは言葉を続ける。


「そんな時、お前と出会ってハレムに連れてきて――ハレム嫌いの私が毎夜通う寵妃が出来たと臣下達は噂している。この噂を、私は利用してやろうと思う。スルタンより寵愛を受けるただ一人のハセキがいれば、世継を望む臣下は安心するだろう。ハセキを前に、自分の娘をイクバルへと望むことは出来ないだろう――」


 不敵な笑みを浮かべ、氷の瞳を鋭く光らせたダリオに、ティアナは久しぶりに背筋の凍るような威圧感を感じた。

 だけれども、それを恐ろしいとは感じなかった。国を治める者として、臣下の頂点に立つ者として、立派な考えを持っての行動だと理解して、敬意を強くした。


「わかりました、ダリオ様のお役に立てるのでしたら、私はハセキにでもなんにでもなります。ダリオ様は私の――恩人ですから」



  ※



 古狸達の期待に答えてやろうではないか――

 はじめはそんな思いつきで、アデライーデをハセキにすることを思いついた。一番の寵愛を受けるハセキを設ければ、世継を望む声と自分の娘の寵愛を望む声をいっぺんに押さえることが出来るという奇策。

 だけれども、ハレムの集会と同じように会議でもアジェミをいきなりハセキにするのは前例がないと言われ、ダリオはそれを強引に押し切った。

 その様子をエマが何か言いたそうな顔で見ていたことに気づいて、ダリオは心の中で言い訳をする。

 煩わしいハレムに通うつもりはないし、執務が忙しいことは事実で、縁談避けの目くらましのハセキだ――

 そう考えて矛盾点に気づく。

 煩わしいと思っているのに、なぜ私は毎夜ハレムに通っているのか――

 アデライーデが心配だというのは建前で、本当は私がただアデライーデに会いたいから――

 目くらましのためとはいえ、自分が好きでもない女をハセキに仕立てようなどと考える人間ではないことを、ダリオ自身が一番よく知っている。

 いい訳をして――それが本当にただのいい訳だということに気づいてしまって、ダリオは眉間に皺を刻む。

 私はアデライーデに惹かれているのか――?

 ハレムに連れて来た日、彼女を見て瞳を奪われたのは確かだ。港で見た泥だらけの姿とはあまりに違いすぎて驚いたんだ――いや、それだけじゃない。初めから美しい銀髪が気に入っていた。自分が気づいていない時にそれをエマに指摘されて、怒りが湧いたくらい。それから強い意思を宿す翠の瞳、誰もが恐れてまっすぐに見ようとしない自分の瞳を初めからまっすぐに見つめてきたあの瞳が気に入っていた。

 彼女に会うためならば、いつもは馬鹿にしているハレム通いも苦ではない。彼女の顔を見るだけでその日の疲れが吹き飛ぶ。彼女の柔らかい肌に触れれば、もっと触れたいと思ってしまう――

 だからあの時――アデライーデに本当に自分がハセキになるのかと尋ねられた時。


「私のハセキになるのは嫌か――?」


 彼女の本心が知りたくて、ただそれだけで問うていた。彼女の答えが『いいえ』ならば、本気でハセキにするつもりだった。

 だけどアデライーデは――


「わかりました、ダリオ様のお役に立てるのでしたら、私はハセキにでもなんにでもなります。ダリオ様は私の――恩人(・・)ですから」


 自分のことをそういう対象としてしか見ていないことに、心が切なく締め付けられた。

 それでも、走り出した鼓動はダリオ自身にも止められなかった――




ダリオは自分の気持ちに気づいてしまいました。

次話はいよいよあの人登場です!

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