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ビュ=レメンの舞踏会 ―星砂漠のスルタン―  作者: 滝沢美月
第4章 忘却のロンド 鳥籠のハセキ
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第14話  タクティクスの華



 ハレム、アデライーデの部屋――

 サロンの中央のソファーにゆったりと腰掛けたダリオは、向かいのソファーに座るアデライーデを頭の先からつま先まで見、そしてまた顔を見て氷の瞳を僅かに和ませる。

 部屋の隅には付き添いできた侍従のエマが立ち、マティルデとフィネはお茶の準備をしている。

 今日のアデライーデの装いはローズピンクのドレス。ゆったりとした襟、幾重にもなる透けた素材の裾からは雪のように白い腕が覗いている。この辺りではめずらしい豊かな銀髪は複雑に編みこまれ背中に流している。

 息を飲むほど美しいアデライーデは伏し目がちに姿勢よく座り、生まれ持っての気品なのか動き一つ一つがとても優美だった。

 ダリオがアデライーデの部屋を訪れたきっかけは、自分が安易に少女をハレムに入れてしまったことに少し後悔していたからだ。

 瞳を陰らせ、帰る場所がないといった少女を放っておけなくて引き取ったが、ハレムに連れて行ったのは自由を奪ったことにならないだろうか――と。

 しかしそんな後悔など吹き飛ぶくらい、泥だらけの少女の正体が美しくて、執務を終えると毎夜ハレムへと足を向けていた。

 出会った時、最初に目がいったのはめずらしい銀髪だったが、今は意志の強い新緑を映す翠の瞳が気に入っていた。

 アデライーデの瞳は、誰もが恐れてまっすぐに自分を見つめてこないダリオを映していて、それが小気味よかった。

 ダリオはふっと口元に微笑を浮かべ、手に持っていた本を二冊机の上に置く。

 その表情に、アデライーデは気づかれないほど小さく瞳を動かし、離れたところに立っていたエマは眉をわずかに動かしたが、ダリオは二人の表情の変化には気づいていなかった。


「昨日、ロ国の歴史に興味があると言っていたからな、私が読んでいた本だ、参考になるだろう」


 ダリオとアデライーデの間の机に置かれた分厚い本と薄い本に、アデライーデは手を伸ばして受け取ると、ふわりと薫るような笑みを浮かべて頭を下げる。


「ダリオ様、ありがとうございます。毎日、私の為にいろいろな物を持ってきてくださり、感謝しております」


 ダリオ――というのは彼の幼名で、本名はリヒャルト・ダリオ・ロルツィング。ほとんどの者は彼をスルタンと呼び、幼名で呼ぶのはごく限られた人物だけだった。

 アデライーデも初めはマティルデに教わったようにスルタンと呼ぼうとしていたが、すぐにダリオ本人から名前で呼ぶように言われて、今はダリオ様と呼んでいる。

 花の様な笑みを浮かべたアデライーデに、冷酷非情のスルタンと言われるダリオはふっと皮肉気な笑みを口元に浮かべる。

 アデライーデはその表情にドキンッとし、慌てて視線をそらすように本を持って書棚にいく。

 氷の瞳が愛おしげにアデライーデに向けられていることに唯一気づいていたエマはダリオを見つめ、ダリオ自身すら気づいていない気持ちの変化に気づき、懸念に眉根を寄せた。



  ※



「ダリオ様、なぜ毎日アデライーデ様のお部屋に通われるのですか?」


 足早に執務室に向かうダリオの後を小走りに追うエマが小声で不満を滲ませて言う。それに対してダリオは、冷たく言い返す。


「その質問は聞き飽きた」

「アデライーデ様がハレムに馴染まれるまで――はじめはその理由で納得できましたが、すでに七日。連続でこれほどハレムにお通いになられるのは初めてのこと、しかもお一人の元へ毎日です。臣下達の中にはよからぬ噂を立てる者も――」


 ダリオの纏う空気がひやりと険しくなったのを感じて、本当はもっと文句を言いたかったがエマは渋々言葉を切った。

 不満顔のエマを視線だけで振り返って見たダリオは、大きなため息をついて執務室に入り、端に置かれた一人掛けのソファーに座りこむ。腰を深くかけ、開いた足の上に肘を置き頬杖をつく。


「本当に聞き飽きたな。そんなに私がハレムに通うのがいけないか? 私のハレムだぞ、以前はもっと足繁く通えだ、早く世継の顔が見たいだ、古狸達はうるさかったが、今度は通うなと言うつもりか――」


 もう一つ大きなため息をついて背もたれに寄りかかり天井を仰ぎ見る。

 エマの言う通り、ダリオのハレム通いについては様々な噂が飛び交っている。

 ハレム嫌いのスルタンがやっとハレムに通うようになった。世継の顔を見られるのも近いかもしれない――楽観的な者たちはそう言って喜んだ。現在、ハレムにはイクバルやカドウン・エファンデはおらず、ウクスが数人いるのみ。だが、どのウクスも二度以上スルタンが部屋を訪れたことはない。寵妃はおろか、子すらいない。王位継承権二位にあたるのはダリオの遠縁の叔父が一人のみで、血を受け継ぐ世継を望む臣下達は多かった。

 しかし、妃が誰でもいいと思っていない一部の人間がいる。ダリオいわく古狸――古くから王宮に仕える大貴族の大臣達は、自分の娘をハレムに入れ自分の血縁なる後継者が生まれることを願っている。

 大臣達の下ごころに気づいているダリオはそれをよしとは思わず、建前上一度は部屋を訪れるもののそれきり貴族の娘達に目を向けることはなかった。

 そんなダリオが連日通いつめ執心のアデライーデを、快く思っていない臣下も一部。

 アデライーデをハレムに迎えて数日後、宮廷中に噂は広がっていった。スルタンが寵愛する女性がハレムに現れた――と。

 ダリオは天井から視線を戻し、側に姿勢よく立ち控えるエマを見て、意地悪く口元を歪める。


「ふっ、古狸達の期待に答えてやろうではないか――」


 悪だくみを思いついたようにくつくつと笑うダリオをエマは不安そうに見つめ、だけれど口に出して言うのをやめる。

 どうせ止めても無駄だから――この時そう思ったことを、エマは後で激しく後悔することになる。



 二日後。月に一度、義務としてハレムに顔を出す日。

 ダリオは執務室で夜を明かし、朝、部屋に入ってきたエマに嫌な顔をされる。


「ダリオ様……寝室でお休みになられなかったのですか……?」

「ああ……」


 長椅子にもたれかかり片膝を立て、肩から上着を羽織ったくつろいだ格好で書簡に目を通していたダリオは、書簡に視線を落したまま頷く。最後まで目を通し終えると、その書簡をエマに放り投げる。

 不意に投げられ、エマはあたふたと放物線を描いて飛んできた書簡を受け取る。


「それに目を通しておけ。これからハレムの集会に顔を出して、午後から会議をするからそれまでに大臣達を会議室に集めておけ」


 言われて書簡を見たエマは目をくっと見開く。


「ダリオ様っ……これっ……」


 ぱくぱくと口を開け言葉を失ったエマを、ダリオは意地の悪い笑みを浮かべながら立ち上がると、着乱れた服を簡単に直して執務室を出てハレムの方向に歩きだした。その後ろで、エマの動揺の声が響いた。


「これっ、アデライーデ様をハセキになさるって……本気で仰ってるんですか――!?」




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