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嵐6

 末男は幻想的な景色に自分の居場所が分からなくなっていた。状況は正夫も同様で、桃源郷に居るようでもあり、何とも力が入らない。生きているのか、死んでしまったのか確かめる手立ても無く、無気力に波間を漂っている。


「正夫、死後の世界とは、このような所かも知れんな」

 正夫も頷いた。生きている証とは何だ。正夫は体から気だるく抜けていく気力をどうする事も出来ず、だらりと舵柄に身を預けていた。

 もう死んでしまったのかも知れない。

 そのように思うと正夫はとても悲しくなった。

 生きていたならば、もっと親孝行もしたかった。

 素敵な恋もしたかった。

 何よりも自分の人生に結果を出したかった。

 全ての事が中途半端な事となって、この世を去るということは、死んでも死にきれない。ここで、この世の未練を断ち切ることなどできなかった。生きている時の、何でもなかった事が、今では手の届かない大切な宝物のように思えたのである。

「きっと俺達、助かるさ」

 末男の声を背中に聞いた。しかし、ガスはさらにその濃度を増して、全くの視界不良となった。目の前のものですら、乳白色の無意味な空間と化した。


 時が経つにつれ、正夫の意識はもうろうとして、幻覚が表れてきた。

 目の前の玄さんが、寿司を食いながら話しかける……

「いいか正夫、こんな時は観世音菩薩に祈るんだ」

「玄さん、マリア様ではないの?」

「あ、そう? あの時のことか ……」

 玄さんの話は意味不明、何の脈絡もない。

 あの時とは ???

「その日の海水浴場はとても混んでいて、所謂イモゴジの状態だった。俺は浜辺から一メートルほどの、水深が約三十センチの所で泳いでいた。」……

 玄さんは子供のときのことを酒を飲みながら

「今でも不思議でならねえのさ」と、言って首をかしげた。

 つまり……

 波が来るたびに起こる歓声やざわめきのなかで、ふと砂浜に目をやると、日傘を差してジーと玄さんを見つめている婦人がいたという。

 その婦人は、鍔広つばひろの黒い帽子を被り、サングラスに紺のワンピースの水着を身に着けていた。

 ふくよかな胸、健康そうに張った腰、小学生だった玄さんは、その美しい婦人をウットリと眺めていた。

 すると突然、その婦人はとても慌てて玄さんに向かって走り寄って来たというのだ。

 玄さんはその迫力にたじろいたが、その婦人は玄さんを押し退けて、玄さんの横から海中に沈んでいた小さな女の子をすくい助け、抱き寄せたのである。

 その婦人は、女の子の母親であり、その子が水浴びをしている間、日傘を差して見守っていたのであろう。その子が溺れて海中に沈んだので、慌てて助けに来たのだ。玄さんはとっさにそのように理解した。

 ただ、不思議に思うことは、当時現場には身動きも出来ないほど人がいて、その中には子供だけではなく大人もいたはずである。

 それなのに、玄さんも含めてその女の子が溺れたことに誰も気が付かなかった。水に沈んだことも、誰も知らなかったということが……

「今でも不思議に思えてならない。

 母親が気付かなければ、女の子はあの時、命を落としていただろう。女の子を抱いたその姿は、聖母マリアのようだった」

 玄さんはそう言って空を仰いだ。

「婦人は水から上がりはな、振り返り俺を見た。いや、正確には『俺の足元』だな。その時、足元が急に冷たくなり、白いモヤーとしたものが沖の深みに潜って行くのが見えたんだよ。あれはドビーだったかもしれないな」……

 海の底からジーと正夫を見ている黒い物体があった。

「正夫、気をつけろ」

 正夫は、ドビーが近くにいると感じた。



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