嵐5
やがて雨は小降りとなり、波も穏やかになってきた。暗闇の中で正夫は『乗り切った』と確信した、と同時に耐えきれない疲労感に襲われた。末男は舟の舳先にもたれ掛りピクリとも動かない。正夫も何時しか意識が遠のいていき、舵柄を握ったまま深い眠りに落ちた。
どの位の時間が経ったのだろうか、正夫は夢を見ていた。いや、夢だと思ってそこに寝ていた。そこには若い男が立っていて、何も言わず正夫の顔を食い入るように覗きこんでいる。その瞳は暖かく、慈愛に満ち溢れていた。正夫はこの男は父であると思った。
覚醒した意識が、また深い闇の中に溶け込んでいき、意識がまどろんでいく。そのようなことを何度か繰り返しているうちに、末男の声で目が覚めた。既に辺りは明るくなっていたのである。
「正夫、ヘリだ。きっと俺達を探している。早く起きろ」
北西の方角に黒い点が見える。その方向からヘリのエンジン音が聞こえてくる。正夫と末男は大声で助けを叫び、必死に手を振った。
しかし、ヘリは引き返してしまった。
黒い点が消え、ヘリのエンジン音も消えた。
希望は大空の彼方へ吸い込まれるように消え、再び静寂な世界に戻った。
この静けさは、先ほど以上に侘びしく波の音ひとつ聞こえない。
この位置では左に富士山、右手には湾の奥深く見慣れた半島の連山が、かすみたなびいている筈だが、それが見えない。誠に心寂しい限りである。
海は蒼く水平線などは無い。果てしなく続くその蒼さは湾曲した球体となって正夫の見る世界は海も空も全ては蒼く塗りつぶされている。
発狂しそうな静寂の中で、末男も、正夫も生きる気力を失いかけていた。四辺は知らず内に視界が妨げられ、発生した乳白色のガスが舟を覆ったのである。
「正夫、ここは何処だ。何も見えん、この世の果てか、それともあの世か」
末男は幻想的な景色に自分の居場所が分からなくなっていた。状況は正夫も同様で、桃源郷に居るようでもあり、何とも力が入らない。生きているのか、死んでしまったのか確かめる手立ても無く、無気力に波間を漂っている。