嵐4
波が引いた、正夫達の舟は真逆さまに奈落の底に落ちて行く。その嵐の中で正夫は声を聞いた。『重心を後ろに移せ、船尾に移動しろ』。正夫達は船尾に移り「南無観世音菩薩」と叫んだ。舟は棒立ちとなって空に飛び出し、次に山のように大きな波が舟の後ろから襲いかかる。『追い波だ、重心を前に移せ。船首に移動しろ』、正夫達は前に移った。舟は大波の頂上に乗ってものすごい勢いで斜めに滑った。
正夫達の舟は、木の葉のように揺れ、嵐の中を彷徨った。
「正夫、もたんぞ、このままでは持たん。早く陸に向かって漕ぎだそう」
「いや、末男、無理だ。引き潮が強い、沖へ流されていく。戻れない」
「しかし、このままでは波をかわし切れん。沈むぞ」
二人の声は、雨と波の音にかき消され各々が勝手に叫んでいる。
「陸へ向かえば追い波がかぶってくる、沖へ出よう。波を突っ切るぞ」
「正夫、それでは漂流してしまう、遭難してしまうぞ」
「沈むよりましだ。とにかくこの場をかわそう、次の事はそれからだ」
大波は二の手、三の手となって次々と正夫達を襲い、波をかぶるたびに今度こそはダメかと何度も思った。
ヒューヒューという不気味な風の谷間から再び声が聞こえてくる。『右だ、面舵いっぱい、波をかわしたら左に舵をとれ、左だ。取り舵、そうだ、よーそろー、うまいぞ』。
正夫は舵柄をしっかりと握り、舵を左舷側に目いっぱい切った。そしてエンジンを全開にした。船首は右を向き大波をかわした。正夫はそのタイミングで舵を右舷側に切った。船首は左を向いて泳ぐように波をかき分け、舟はジグザグに波をかわしながら沖へと進んだ。
さすが、梶取家の血筋。梶取正夫の操船は神がかり的に素晴らしく、見事な舵さばきであった。