生還4
対策本部へ帰ると探索機から連絡が入った。
「現場海域に到着したが霧が深くて目視探索が不可能、レーダ探索に切り替える」
〈どうかレーダに映ってください〉
サチ子は聖母マリアに祈った。
対策本部も水を打った静けさで、皆、柱にくくり付けられたスピーカを見つめている。長い、あまりにも長い時間が経過して、突然スピーカに雑音が入った。
そして、「レーダに反応あり、高度を下げて確認します」
続いて、「釣り舟発見。ヒト・マル・ヒト・号、二名の生存者確認」
対策本部は、このドラマチックな展開に沸いた。
対策本部長は、大声で「救援ヘリ出動。遭難者を吊り上げて救助するのだ、急げ」と顔を真っ赤にして怒鳴った。
この知らせはすぐさま南の海上を捜索している作蔵達にも伝えられた。
「末男は無事だったか、そうか。皆の衆、港へ帰ろう。大漁旗を掲げてくれ」
興運丸は先頭に立ち、見た目にも派手な大漁旗をはためかせ、船団は皆白波を蹴立てて盛大に海上パレードをしながら帰港した。
玄さんは砂浜に跪き、何やら呟いた後、沖に向かって大声で叫び始めた。
「出てこいドビー、お前は失敗した。正夫は一〇二号には乗っていなかったのだ。お前が気付いた時には正夫達は危険水域を脱していた。慌てたお前はガスで隠そうとしたが、それもサチに見破られた。お前の完全な敗北だ。もう俺の前に出ては来られまい。言い分があったら言ってみろ、お前なんかどこかへ行ってしまえ、二度と俺の前に現れるな」
玄さんは両手を天空高く掲げ、硬直したままその場で失神してしまった。
「サチ子さん、早く来て」
加瀬君がテレビの前で叫んでいる。何事かとテレビを覗き見ると、あのパイロットがインタビューに応じていた。
「そうなんです、第一発見者は私なのです。いや、自分の口から言うのも変ですが、厳しい訓練を受けた優秀な男だけがパイロットになれるのです。ですからこの様な事は簡単な事で、取り立てて騒ぐほどの事ではありません。エー、警察署長が表彰してくれるのですか。エヘッ、金一封はありますかね」
サチ子は口に含んだビールを『ブー』と吹き出し加瀬君と一緒に抱腹絶倒、お腹を抱えて転げ回ってしまった。正夫の母は狐に取り付かれたかのようにピョンピョン跳ねまわっている。サチ子が見る限りここには正常な人間は一人としていない、皆狂っている。
救援ヘリが帰ってくるぞーという声に、皆は砂浜に飛び出した。東の空から現れた救援ヘリ二機は、サチ子たちの頭上を旋回してヘリポートに向かった。窓には正夫の顔があった。
斯して正夫、生還す。
窓から外を眺めると、紫外線の強い日差しが降り注いでいる。
あれから一週間が経って、正夫の母から大きな宅配便が届いた。中には一通の礼状と沢山のアジの開きが入っている。
「前略、加瀬さんから真実を聞きました。正夫を取り戻していただきありがとうございます、お礼の言葉もありません。玄さんも『サチ子さんが正夫のお嫁さんになってくれたなら』と残念そうに申しております。
地元で取れたアジの開きを少しですが送ります。ご笑納ください。 かしこ」
玄さんとの別れ際、サチ子は「魔物ドビーはどうなったかしら」と尋ねた。
玄さんは眩しそうに沖を見つめて、「俺達には始まりと終わりがあるが、あいつにはそれが無い。きっと何処かにいるずら」と力なく笑った。
サチ子は正夫にもらったCDを聴きながら、特産のアジの開きを焼いた。
部屋中に香ばしい匂いが漂って、こいつを突きながらビールを片手に原稿を書き始めた。
了