生還3
『正夫の父と順番を入れ替える』という、玄さんには思い出したくない魔物ドビーと交わした忌まわしい一つの約束があった。
「海に落ちた男がどうなるか。玄治、お前も知らぬはずがない」
「やめろ、たくさんだそんな話は。取引しよう、お前にとって都合のよい話だ。よく聞け、もう十分だ、俺を殺せ。それでいいだろう、俺も逃げない。ただし、正夫の命は助けてくれ。どうだ、お前にとって損の無い話だろう」
「フム、検討に値する良いアイデアだ。頭の悪い玄にしてはよく考えたものだ。しかし、ワシはもっと良い案を持っているぞ。玄、お前の命は頂戴しよう、約束だからな。正夫もだ、どうだ。さらにもう一人頂くこととしよう。これでよい」
「何、もう一人? 誰だ! それは」
「サチ子だ。以前露天風呂であの娘を見た事がある、ワシの嫁にしよう。そして永遠の生命を吹き込んであげよう、私からの愛の証しとして。そして永遠に愛し合うのだ」
「だめだ、そんな事が許されるはずが無い。お願いだ、それだけは諦めてくれ」
「玄、何千年と一人で生きている寂しさはお前にはわかるまい。生命は有限であるが故に尊いものだ、永遠の生命は虚しい。ワシにもよき伴侶を得る権利がある、邪魔をするとひどいぞ」
玄さんはヘタヘタと腰を抜かし、その場にしゃがみ込んでしまった。そして両手で砂を掻きあげて、オイオイと泣きだした。
早朝、サチ子たちの車は砂塵を巻上げて対策本部前に到着した。
「夜が明けた。風向きが変わったぞ、救助隊は準備して待機せよ」
本部長の命令がマイクから流れる、現場では警察官や消防レスキュー隊が慌ただしく動き回っている。サチ子は行き交う人の波の中に玄さんの姿を目で追った。玄さんは本部の中に見ることは出来ず、少し離れた砂浜にうずくまっていた。サチ子は「玄さん」と声を掛け走り寄った。振り向いた玄さんの顔は砂だらけで、涙の後や鼻水の後に砂がこびりついていた。瞳は虚ろに空をさまよい、明らかに常人のそれとは異なっていた。〈玄さん、何があったの〉サチ子はその場に立ち尽くしてしまった。