ひきこもり×髪
夏の熱光線が道路をホットプレートのように熱し、陽炎が古い住宅街の姿を歪めていた。
そのうちの一軒、木造の家。その二階の一室の窓はこの暑さでも開けられず、その薄暗い部屋には熱気が籠もっていた。
ドアも閉められ、チカチカと光るパソコンのファンから逃げる熱気と、外の熱気が混合し砂漠のような暑さであった。
そしてその部屋には人間も籠もっていた。
パソコンモニターに向かい合う女性は、格好こそショートパンツに、Tシャツという涼しげな姿だが、額からは汗が滲み、目まで覆う前髪がぴったりとくっついている。
その女性は肌がとても白く、見るからに不健康そうに見え、長く伸ばされた黒髪なのもあり、さながら幽霊のようにも見えた。
女性は今にも頬を伝いそうな汗を拭うとパソコンの電源を切り、椅子から立ち上がると部屋を出ていった。
女性の隣家、同じく趣と歴史を感じさせる二階建ての家。その一室はカーテンが閉じられ、暗かった。
その部屋内はまるで大樹が作る日陰にいるかのように涼しかった。
古い型の扇風機が懸命に首を振って、風を送っているおかげだ。
薄暗い部屋には人がいた。男である。彼は扇風機の風を浴びながら、うなだれていた。時折、思い出したかのようにため息を吐いていた。
ガチャリとドアノブが回る音がして、女性が入ってくる。彼は首だけを回し、
「……みずきか」
女性の名を呟いた。
みずきは彼の髪を見て、ほんの少し驚いたように瞬きをし、
「髪切った?」
「タ○リみたいな言い方だな」
彼、かなたの髪型はみずきが以前見たのとは違っていた。以前のかなたの髪は、肩下まで伸ばされ、前髪はまるで恋愛ゲームの男主人公のように目を覆っていた。全て垂らせば、顔全体が髪に覆われ、黒いのっぺらぼうのように見えるくらいに。
だが、今のかなたの髪は随分スッキリしている。前髪をかき分けなくとも、目がはっきりとさらけ出されている。
みずきは風が当たる位置に座り、
「床屋行ったの?」
かなたは髪をかき乱すように触り、
「ああ」
「どうだった?」
「……MP切れだな」
肩をすくめながら苦笑してみせる。
「やっぱりね」
みずきは扇風機を自分側に向け、風力を強くする。風音も一段階増す。
「何も聞かれなかったとはいえ、それはそれで疲れるしな」
かなたが行った床屋は、よく利用していたこともあり、ひきこもり状態を何となく察せられているのか何も言われることもない。ただ黙々とカットしていくだけである。かなたは絶えず話しかけないでくれと念じつつ時が過ぎるのを待つしかなかった。
カットが終わるまでの時間をかなたはこう呼ぶ『地獄の一時間』と。
「ん、そか」
みずきの額の汗は引き、風により髪がなびいている。
「でも年に一度は行っとかないと、マジで外に出られなくなりそうだからな。外見で」
「けど、年に指で数えるほどしか出かけてないよね」
「……まあ、そうだが」
かなたの外出といえば、ゲームショップに数ヶ月に一度足を運ぶのみである。みずきに関しては更に少ない。
みずきは、短くなったかなたの髪をジッと見つめる。かなたは怪訝な表情を浮かべるくらい見た後、
「ボウズにしたら楽だと思うけど。バリカンで」
「それは嫌だな。何となく負けた気がする。何より俺は頭の形が悪いだろうし。……みずきこそ、短くしないのか? つか、ずっと切ってないだろ」
座った状態のみずきの黒髪は、半分が床にと接して流れている。立ち姿だと、膝まである長さだ。アニメならばよくある長さだが、現実では滅多に見ない。
「ん、美容院には結構行ってない。前髪は自分でしてるけど」
「……貞子みたいになってきたな」
「君に○け?」
「……スマンがそれ観たことない」
かなたは○に届けのヒロインがその容姿と性格から、某ホラー映画の貞子だと呼ばれてたらしいという、あらすじしか知らない。
「アニメキャラだと、割と私ぐらいの長さの人とかいるけど、実際は手入れとか大変だよ」
「そういうもんなのか」
「うん。シャンプーだけでも時間掛かるし……。髪を束ねるのとかも。私はそれくらいしかしてないけど、ちゃんと手入れする人はもっと時間とか取られると思う」
「まあ、みずきの髪はわりかし綺麗な方だと思うぞ。比べる相手がいないわけだが」
「……ん、そう……かな?」
みずきは華奢な白い指で黒髪を梳く。抵抗もなくスーと毛先まで指が通る。かなたの言うとおり、みずきの長い黒髪は滝のように流れる癖のないストレートで、光に当てればブラックダイアのような輝いて見えたりもする。もっとも、普段は暗い部屋に同化するような後ろ姿だが。
「あくまでも髪のことだからな」
「わかってる」
素っ気なく言いながらみずきは扇風機の向きを変え、風を独占する。
「……怒ったのか?」
「別に」
涼しい風を諦め、かなたは何気なく気持ち良さげに風を浴びるみずきを見る。吹き流しのように後ろになびく黒髪に、想像を膨らませ、
「ツインテールとかしないのか?」
みずきはクルリと首を回し、目を細くし、
「なんで?」
「何となく」
「メンドクサい」
後日、髪を左右に二つに分けて結ったみずきの姿があった。