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ひきこもり×理由

 チャイムの音が閑静な住宅街まで届いた。

 古めかしい建物が並ぶ、この場所から少し離れた所に位置する中学校の昼休みを告げる音だ。

 狭い道の脇にはタンポポが根を張り、春という季節を静かに告げている。既に当たり前のように聞こえるチャイムに人々は今さら何も感じることはないだろうが、敢えて尋ねたとしたらどう答えるのか。

 誰かは、昔を懐かしのかもしれない。

 誰かは、今その音に動かされているのかもしれない。

 誰かは、思い出が全くないのかもしれない。そこに在学していたのにだ。感情がないわけでも記憶を失ったわけでもない。理由は単純だ。一度として通ってないのだから。稀有な存在だろうが、中にはそんな者も確かに存在しているのである。

 そして、誰かは――




 相原みずきは窓を閉めきった部屋に微かに届くその音を気づくと、壁掛け時計にいつも眠たげな目をやった。

 二つの針は互いに天を指して重なりあっている。その時間になれば、普通であれば誰もが昼食を取り、午後への活力とするだろうが、昼食を食べないみずきにとってはただの十二時でしかない。

 簡単な家事を以外、特にエネルギーを消費する生活をしてないのもあるが、もう何年もそうしてきた慣れもある。仮に食べたとしても、動きが活発になることもなく、寝起きの幽霊のようなままに違いない。

 他人から見たならば変に思われるかもしれないが、近しい者が五年前のみずきと今のみずきを比べたらならば、見違えて見えるだろう。そして、こんな時間に自ら部屋を出るみずきは、感涙ものの進歩だ。

 もっとも、みずきが未だひきこもりであることは変わらない事実で、その先の壁は遥かに高いのだが。


 部屋を出たみずきは、勝手口から出ると、用心深く耳を研ぎ澄ませながら、隣家の垣根に設けられた戸をくぐり、隣家へと入る。

 もし、人の声が聞こえてきたならば、みずきは警戒心の強い猫のようにさっと身を隠し、部屋に戻っただろうが、多くの人が自宅で昼食にしているこの時間帯は大丈夫だと長年のひきこもり生活で知っている。

 隣家の勝手口に潜り込むように入ると、安堵の息を吐く。台所にはみずき以外に人はおらず、それどころか一階に人の気配ない。

 些か不用心な気もするが、一応家の者はいる。不法侵入者に対し役に立つかどうかは不安なところではあるが。

 みずきは慣れた動作で台所を出て階段を上がる。そこから続く廊下を少し進んで右手側にあるドアをノックもせずに開けた。

 そこは昼間なのにカーテンが閉めきられた薄暗い部屋で、テレビが放つ光の方が光源としては強いと感じられるほどだ。

 みずきの幼なじみのかなたは、テレビの前に座りテレビゲームをしている。その表情に浮かぶのは無そのもので楽しんでいるという印象は受けない。

 みずきが来たことに音で気付いてはいたが、かなたの視線はテレビに向けられたままで、一言も発することはない。

 みずきも同様に、何も声を掛けることはなくとりあえずとばかりにベッド端に腰掛けてから、何となくテレビの画面を眺める。

 部屋に来た明確な理由はない。それこそ、とりあえず、何となく、等と答えるしかないだろう。何となく寂しいから――というのが一番しっくり来るが、互いに言葉にすることはない。行きにくくなることが分かってるから。

 みずきは何かをするでもなく、かなたの背中の先、ゲーム画面をボーっと眺めている。

 ゲームはRPGなのだが、美麗なイベントムービーが始まることはなく、剣を背負った主人公が緑広がるを草原を犬が自分の尻尾を追い回すように、グルグルと回っているだけだ。

 やがて画面が切り替わり、モンスターとの戦闘が始まると数秒で片が付き、円を描く。それをなにかに取り付かれたがごとくただただ繰り返す。

 説明すると、確率が1%に満たないレアアイテムをモンスターが落とすのを待っているのだが、そのアイテムは既に主人公一行のレベルでは全くといっていいくらい役に立たない代物だ。

 第三者から見たらひたすらにつまらない映像であり、五分も持たずに『それ、楽しいのか?』と問いたくなるに違いない。

 みずきも内心でそう訊ねたくなるが、レアアイテムを得る喜びはネットゲームで知っているのもあり、敢えて口には出すことはない。

 それに訊ねたところで、返答は容易に想像ができた。数秒考えてるような間を空けて「少しは」などと半分寝ているような答えが返ってくるだけだと。

 みずきはしばらく眺めていたが、当然ながら飽きて視線を部屋に巡らせる。雑多な物が散らばる床、必要性が薄い机を介してから、本棚で止まる。

 そのまましばし眺めるが、部屋の薄暗さとみずきの視力では、ベッドの上から見るだけではただカラフルな背表紙が並んでいるようにしか見えない。

 だが、何が並んでいるのかは分かっている。記憶にはしっかりと残っている。台詞を一言一句ソラで言えるほど――読み込んだわけではないが、何度も見ていればおのずと望まずとも記憶に焼き付く。

 その記憶がたとえ一年前の物でも、今に通用する。何故なら数年前からかなたは本をほとんど買うことはなくなったのだから。

 本が嫌いになるほどの衝撃的な出来事があったわけでもなく、理由は至極単純で財政的に買うのが困難になっただけである。みずきだと対人的に買うのが困難なのだが、買い物程度の外出は何とかなるかなたはいつからか本に金を使うことはめっきりと減った。

 読み続けていたコミックスから、買い続けていた雑誌も、ある時期を境に買うことはなくなった。躊躇いがなかったわけじゃないが泣く泣くそうするしかなかった。なので、大技を放った瞬間やら、犯人が分かって探偵がニヤリとするシーンで、次巻に続いたままのコミックスが何冊もあったりする。

 飽きるほど読んだのもあり、今日は読む気にはならず、結局みずきはベッドに横になることを選択する。

 眠たげかな半目で単調極まるゲーム画面を無言で見続けていたが、次第にうつらうつらとなり、自然に眠りへと入っていった。


 みずきが目覚めたのは、陽が町を赤く色づける時間だった。怠い体を起こし、顔に掛かる長い髪を払い、未だに退屈な作業を続けていたかなたに時間を訊ねると、何も言わずに帰宅した。

 こんな風に会話も交わさずに同じ空間で過ごすのも珍しくない。何もなくとも、いることだけで少しだけ安心できる。それを口には出さないが、互いに。


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