ひきこもり×姉
「……ハァハァ」
水澤かなたは息を乱していた。
部屋の中で、それも最低限物の配置が分かる程度の薄暗さの中、部屋には若い女性が二人となると、あらぬ想像が膨らむが、単に疲弊して息を整えているだけである。
疲弊する理由もいかがわしいものはなく、単に動き回った結果体力を消耗しただけだ。
家中でトムとジェリーのような追いかけっこを姉弟でしていたとはいえ、球数を投げた先発投手のように肩で息をし、胸の辺りを手で押さえているのは、深刻な体力不足だというほかない。
それは無理もない話だ。ひきこもりである彼にとって運動は無縁なものでしかなく、落ちる一方の彼の体力は調べるまでもなく同年代の平均水準を大きく下回るだろう。
「だらしないわねぇ」
かなたの姉、小春が呆れたように言った。
ゲーム機が入った箱を持ちながら走り回っても、小春に疲れの色は微塵も感じない。
「…………」
事実なのと、疲労でかなたは反論できない。
「んじゃ、取れなかったからコレはみずきにあげる」
と、小春は最新ゲーム機の箱をベッドの縁に腰掛けて、黙って成り行きを見ていた相原みずきの膝に乗せた。
「……あの…………」
一拍置いてみずきは、置かれた箱をズリ落ちないように押さえながら、困惑した様子で小春を見上げる。
「いいのいいの、気にしないで」
小春は手を振って軽い口調で言う。
「かなたが世話になってるってことで、そのお礼みたいな感じでさ。貰っちゃってよ、ね?」
パチリと小春はウインクする。
「……でも、これは……」
みずきはかなたに視線をやる。
かなたはそれを見て『貰えるもんは貰っとけ』と頭を掻きながら動作でそう伝える。
所有権は二人の間柄ではそれほど重要なことではない。基本的に何時でも借りることはできるし、返却期限もない。かなたはどちらでも構わないと考えた。
「あ、こっちは嫌だった? かなたのツバとか付いてるかもしれないから?」
「手垢の方が多いだろ。凹んでるし」
ボソリとかなたが呟く。言うとおり、壁に何度かぶつけて角が凹んでる部分がある。
「……そうじゃなく……」
小春には二年振りに会うからか、みずきの声は普段より小さい。小春との付き合いは長く、昔から気のいい姉のような関係ではあったのだが、時間が空くと緊張が生まれる。それでも赤の他人に接する十分の一程度ではあるが。
小春はみずきの声は聞こえてはいたが、スルーして再び紙袋を漁って、もう一つ箱を取り出して見せた。
「じゃ、こっちがいい? 汚れもツバも付いてない新品同然だし」
「たった今手垢は付いたが……って何故二個あるんだ!?」
珍しくかなたは驚きの声をあげた。
無理もない。発売間もない最新型ゲーム機がもう一箱登場したのだから。金額にして合わせて約五万円。
最先端のゲーム機が二台並ぶ。普通の大人ならば給料で叶えようと思えば叶えられるが、ひきこもりであるかなたにとっては難しい望み。叶わない望みかもしれない。
そんな光景が目の前に現実としてある。驚かずにはいられなかった。
「買ったからに決まってるでしょ」
澄ました顔で小春は言った。
続けて『働いてればこれくらい買える』などとニヤケながら口に出しそうになったが自重する。姉の言葉として冗談で流せるかなたはともかく、みずきを傷つけるような言動は慎みたい。
「何で二個買う必要があるんだよ」
「一つはみずきの分。そしてこれは」
と、小春は手に持った箱をかなたに差し出し、かなたは受け取ろうと手を出しかけたところでサッと手前に戻す。フェイント。
「ワタシの分」
しれっと言う小春に、かなたは憎らしそうに睨みつけ、
「ゲームしないのに必要ないだろ」
「今から始めるのよ。ゲームを始めるのに年齢制限はないでしょ。ね?」
と、みずきに同意を求めるようにウィンクをするが、みずきは数瞬の戸惑いの後こくんと頷く。
それを見て満足げに小春は頷くと、次にかなたに顔を向ける。かなたは苦い表情をして、黙って二人の様子を眺めている。
小春は意地の悪い笑みを浮かべて、
「まあ、どうしても欲しいなら土下座して懇願したら考えないこともないけど。どうする?」
「……クッ」
かなたは唇を噛みしめ更に眉間にしわを刻む。
「麗しき姉上様お願いしますって付けてね」
豊かな胸を張り、小春はニヤニヤと口角を上げる。
言われたとおりにしたら屈辱ではあるが、かなたのプライドは揺れ動く。元々プライドは無いに等しく、土下座で済むなら何時間でもできると考えるかなたではある。もっともそんな機会は今までないが。
姉に対しては、ノミよりも小さなプライドは大きくなる。かなたの心中では、姉に頭を下げることと、最新ゲーム機を天秤に掛け微妙なバランスを保って揺らいでいる。
「ほら、早くしなさいよ、これが欲しいならさぁ〜」
小春はクスクスと笑声を漏らし、ゲーム機の箱をもてあそぶ。
みずきは止めることをせずに傍観者と化している。結果は決まっているからだ。小春はその過程を楽しんでいるに過ぎない。
もしかしたら計算の上でやっているとみずきは思ったりもしている。素直に誕生日プレゼントとして渡していたら、かなたは受け取りはするだろうが、小春に対して引け目を感じたり、罪悪感や劣等感に悩まされるかもしれない。
だから、意地の悪い姉を演じて、それらを和らげようとしているのかもしれないと。
「まあ、したくないんならいいんだけどね」
もっとも、実際に楽しんでる節は感じられはするが。
「ワタシへの感謝を忘れないことね」
「覚えているまでな」
かなたは適当に答えて、ようやく受け取ることができたゲーム機の箱を開けている。
プライドを投げうったかなたの描写は控えるが、その様子に小春は大笑いしてあざとくも録画までしていた。
「小春……さん。私まで……ホントにいいの?」
まだ開けずに箱を抱えたままのみずきは、心底申し訳なさげに訊ねる。
「いいに決まってるでしょ。これ以上遠慮なんかしたら怒るわよ?」
「……うん。ありがとう」
みずきが頭を下げると、小春は満足げに頷いた。
「つか、ソフトはないのか?」
新品のゲーム機の触感を確かめながら、かなたは聞いた。
この最新機、一つ前の機種で販売されたソフトをプレイできる互換性が付いてはないのだが、元々かなたもみずきも前世代の機種を持ってはおらず、ソフトも当然ない。
ソフトがなければ最新機種も宝の持ち腐れでしかない。
「贅沢ね」
と言いつつ、小春は三度紙袋を漁る。
「ちゃんと買ってあるに決まってるでしょ」
取り出したのは二つのゲームソフト。小春は二人手渡し、
「人気作らしいわよ。モンスターを狩るゲームだとか言ってたけど」
小春はゲームに疎い。店員にお勧めを訊ねたらこれを推された。
買えずともゲーム情報だけは仕入れている二人は、当然このソフトのことは知っている。
「姉さんが選ばなくてよかった」
かなたは胸をなで下ろす。昔、誕生日にゲームソフトを何度か貰ったことがあるが、小春の選んだソフトは絶望的につまらなかった苦い思い出がある。
「……この話の時期が分からない」
みずきの漏らした言葉に小春とかなたは首を傾げた。
この物語はフィクションであり、実在するゲーム、ソフトとは関係ありません。
「ん、VITAじゃないし、モンハンでもなく似てるだけ」
そういうことです。
「何の話をしているんだ?」
かなたが怪訝な表情をみずきへと向ける。
「ん、なんでもない」
みずきが小さく首を振って答えると、かなたはこれ以上は聞かずにパッケージを開いて中身を確認する。
汚れのない新品ソフトを丁寧に取り出すと、童心に帰ったような目の輝きでまじまじと見つめた。
「大事に扱いなさいよね」
「ああ。ありがとう」
その輝きを持って礼を述べるかなたに小春は思わず表情を和らげる。
「まあ、他のソフトが欲しかったら自分で頑張ることね。ワタシはもう何もあげないから。あ、みずきは誕生日に何か欲しいのある?」
唐突に聞かれてみずきは咄嗟に首をぶんぶん振った。
「ん……これで十分だから……何も……」
「そう? じゃ、ワタシが選ぼっかなー」
「……ホントに何も……」
「じゃ、ワタシは出掛けるから。二人で楽しみなさい。別のことでもいいけどね」
と、ニヤニヤ笑いを浮かべながら姉は部屋を出て行った。
かなたは説明書を読みながら、
「開けないのか?」
「……でも」
「素直に貰っといたほうがいいと思うぞ。気持ちを知りながら、さらに高い物を押し付けるとか姉さんならやりかねんし」
「ん、ありがとう」