ひきこもり×誕生日
「おめでとう」
春の麗らかな陽気も無関係とばかりに、遮光された部屋で、祝いの言葉が出るのは珍しい。
しかし、部屋に来て早々にその言葉を放った人物の表情は“無”を頭に付けるのが相応しく、声にも感情が籠もってないのは明白で、本気で祝う気持ちがないのは明らかだった。
「とりあえず、ありがとうとでも言っておく」
言われた側もそれは分かった上で、やる気なく返す。彼、水澤かなたには、たとえ名役者が感情を込めて言おうとも喜ぶことはなく、皮肉と受け取るだろう。もしくはそれを知った上で喜びを演じるかもしれない。
「ん、めでたいわけがないよね」
言いながら相原みずきは、物がやや散らかって足の踏み場が限られた床を、飛び石を渡るような慣れた足取りで、指定席のようになっているベッドへと向かい腰掛ける。
「何かプレゼントでも貰えるなら、多少は喜べるとは思うけどな」
かなたは苦笑して言った。椅子に座り、二枚のトランプを組み合わせてタワーを作っている。深い意味はない単なる暇つぶしである。
誕生日。
その価値の大きさは人によりけりではあるが、一般的には嬉しいイベントだと感じるのが多数を占めるであろう。
しかし、かなたとみずきにとっては単純に歳を一つ加えられる日でしかない。社会というのは歳で人を基準を判断する節がある。
年相応の経験。それがなければ差別的に見てしまう人だっている。
それは普通に人生を歩んでるならば自然と身に付いていくものだろう。
だが、二人は世間から見たら普通とは言えない生き方をしている。十代で社会から外れた彼と彼女に、年相応の社会性が身に付いているとはとてもじゃないがいえない。それどころか止まったままなのかもしれない。
時間は止まることはない。経験を追いかけれないまま、立ち止まったままでも、歳は積み重なっていく。歳を重ねることで社会から距離を離されていくのを実感させられる誕生日を手放しで喜べるわけがない。
もっとも、ひきこもりである二人と社会との距離は既に追いつけぬところまで開いてしまっているのかもしれないが。
「例えば、何が欲しいの?」
長い黒髪を撫でるようにいじりながらみずきは聞いた。
かなたは二枚のトランプを慎重な手つきで運びながら考える。
「最新ゲーム機とか」
「昔と変わってない」
冷ややかにみずきは言った。
かなたがまだ親からプレゼントを貰えていたころ、決まってねだっていたのはゲームであった。かなたにとって最新のゲームソフトを得られる数少ない機会であり、毎年新作のソフトを買ってもらっては暇を潰すのが、かなたの誕生日恒例の過ごし方だった。
「じゃあ、他に何があるんだ?」
かなたの質問返しに、今度はみずきが考え込む。
アクセサリー、服。そんな一般的な答えも浮かびはしたが結局、
「ん、私も似たような感じ」
「まあ、そうなるだろ。今の状態じゃ現実的に考えて欲しいものは結構限られるだろうしな」
「現実的じゃない……希望とか?」
「……その類だが。そっちに話広げる気か」
振り向かずにかなたはため息が出そうになったが、タワーが崩れるかもしれないため堪えた。
「やめとく。ん、確かに限られるかもね。服とかアクセサリー貰っても使う機会はないと思うし」
「年に数回あるかないかの物を貰ってもだしな。だったらゲームとかの方がいい」
「クソゲーだったら困ると思うけど」
みずきが言ったクソゲーとは、内容が残念な部分が多く、プレイしていくのに苦痛を強いられるゲームである。
「それは嫌だが、当たる可能性は低いだろ。ファミコンならともかく」
「私は、貰わない方がいいけど」
「あー、それは分かるな」
同意するようにかなたは頷いた。
「そこまで欲しいのもないし。心苦しくなるしね。私は何も返せないから……」
俯き加減になり、みずきの表情に影が射す。些細な変化ではあるが。
「まあ、貰えることなんてないと思うが」
みずきの声色から微細な感情を読みとり、自虐するようにかなたは言った。
「そうだね」
みずきは顔を上げると、いつもの無表情で淡々と言った。
会話はそこで終わり、二人は無言で無為なる時を過ごす。かなたは三段目に取りかかり、みずきは床に置いてあった古いゲーム雑誌を適当にパラパラとめくる。
二人にとっての平穏な時間を破ったのは、蹴破るようにドアを開けて現れた人物だった。
「やっほー! 生きてるー?」
まるでここが山の上のような大音声で、生存確認の言葉を発したのは、みずきとかなたではないことは明らかだ。二人は自分たちだけに聞こえる程度の声量でしか話さないし、そもそもここまでの近所迷惑になりうる大声を出せるかは疑問である。
発したのは開け放たれたドア近くに立ち、二人にはない輝かしい笑みを浮かべている人物だ。
顔にかかった艶のある栗色のセミロングヘアーを手で払い、吸い込まれそうな大きな瞳で部屋を見渡す。形の良い赤い唇の端を上げ笑みを作る。それだけで二人にはない存在感を漂わせていることが分かる。
「……あ」
みずきは小さく声を発し視線を向ける。その瞳には、他人を見るような恐怖は見受けられない。
「…………」
一方かなたは視線は前を見据えたまま固まっていた。目の前には表裏バラバラに散乱したトランプ。言い替えるとタワーの残骸。崩れた原因は、勢いよくドアが開けられたことによる空気の流れの変化か、はたまた震動か。威勢のいい声が空気を震えさせて――も考えられるが、どれであれ目の前の現実は変わらない。
暇を持て余して始めた遊びとはいえ、そのショックは思いの外大きかった。
「かなたどしたの?」
肩を落とすかなたを不思議そうに見てから、現れた女性はかなたを指さしてみずきに聞く。
みずきは無言で首を左右に振った。緊張で言葉が出ないのではなく、真面目に答えるのもバカらしい。
「何の用だよ、姉さん」
かなたはゆっくりとドアの方に顔を向け、つっけんどんに言った。
「帰省に決まってるでしょ」
腕を組んで、当然のようにかなたの姉、小春は言う。
「いつまで居るんだ?」
「一週間ほどね」
それを聞いてかなたはあからさまに顔をしかめた。
「不満そうね。みずきちゃんとの時間を邪魔されたからかなー?」
小春は意地の悪い二ヤリと笑みを浮かべるが、二人の反応が至極薄いのを見るとすぐに引っこめ、
「まあ、いいわ。それより今日アンタ誕生日よね?」
「ああ」
小春は屈んで、先ほど足下に置いた紙袋に両手を突っ込み、勢い良く取り出した物を突きだした。
「どう?」
見せびらかすように小春の持った箱に、二人の視線は釘付けになった。
「……凄いな」
感嘆するかなたは童心に帰ったような……いや、ゲームを趣味とするものならば誰でも目を輝かせずにはいられない。
「凄い」
いつもの調子で言うみずきも興味深げに視線を箱から外さない。
「当然二人とも持ってないわよね?」
最新型携帯ゲーム機の箱を持つ小春が聞いて、
「当たり前だろ」
かなたは答え、みずきは頷く。
「そりゃそうか。もしアンタが持ってたら、警察に突き出さなきゃいけないしね。買えるわけがないし、盗品確定だし」
「俺にやれるわけがないだろ」
面倒くさそうにかなたは頭をかき乱して言った。姉の質の悪い冗談は適当に流すに限る。
「別に部屋でも刑務所でも変わんないでしょ。ひきこもりには」
クスッと笑う小春を、かなたは非難するように睨みつける。
「そういうのはやめてくれ」
はっきりと怒りごもった声で言われ、小春はばつが悪そうに髪を払う。
「悪かったわよ」
素直に非を認め、小春は仕切り直すように箱を抱え直し、
「それよりコレよコレ」
と、小春は最新ゲーム機が入った箱を床に降ろす。かなたは座ったまま前屈姿勢になり、自分だけでは手の届かない品物を見つめる。
「これをくれるのか?」
と、誕生日プレゼントであることを半ば確信気味のかなたは、一応聞いた。
「そのつもりだったんだけどね」
小春は勿体ぶるように言う。
「貰うと心苦しくなるみたいだし、やめとこうかな……って」
眉尻を下げ物悲しげな表情で小春は箱を自分の側へ下げた。
「どこから聞いてたんだよ」
呆れ気味にかなたは言った。姉は物音に敏感なかなたやみずきさえ気付かないくらい、さながら忍者ばりに音を立てない動きをして無邪気な子供のように驚かしたりすることがある。
だが、ほぼ無音の空間で玄関ドアを開ける音に気付かないわけがなく、会話の途中に来た可能性が高いとは考えていた。
「とりあえず、ありがとうとでも言っておく。辺りから」
小春はやる気ない動作をしながら言った。その言い方は知る者が聞いたらかなただと分かるであろうくらいに上手い真似だ。もっとも片手で足る数しかいないが。
「最初からか……」
聞かれてた怒りより、長時間聞き耳を立てていた姿を想像すると呆れの方がはるかに上回り、かなたは頭痛がするように頭を手で押さえる。
「だから、これを貰っても嬉しくないかなって思って」
「……嫌がらせか」
悔しそうにかなたは苦い顔になる。姉とはいえ、高価な品物を受け取るのは心に重くはあるが、貰える物の嬉しさを天秤に掛けたら嬉しさに傾く。姉の態度も乗っかり圧勝だった。
「分かったわよ。せっかく買ったのに売るのもアレだしね」
小春は微笑し、箱を持ってかなたへと渡す。かなたも表情は乏しいながらも心は小ジャンプ程度に弾ませながら受け取ろうと手を伸ばして――直前で箱は上へとかなたの視界から消える。
小春が立ち上がって、箱を頭上に掲げ持ったのである。
「欲しかったら自分で取ってみなさい!」
「子供か……」
ため息を吐きツッコミつつも、かなたも立ち上がり一所懸命に箱へと手を伸ばすが、数センチ届かない。
背が小春の方が僅かに勝っているから当然である。
かなたはジャンプして取りにかかるが、小春も同じように跳ねたり、ひょいと素早く持った手を動かしたりして、一向に取れる気配はない。
そんな微笑ましい姉弟の光景を見て、みずきは小さく頭を振り、再び雑誌を読み始めるのだった。