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ひきこもり×文集(1)

 三月。

 中旬を過ぎると、冬から春への季節の交代は着々と進行しているようで、冬の間降り積もった雪は道路脇の山を残し、溶けて消え、濡れたアスファルトを晒し、黒と白のコントラストを見せていた。

 民家の屋根に白い帽子のように降り積もった雪も、春の到来を告げているかのような麗らかな陽光により量を減らしていく。

 端から滴り落ちる雫が女神の涙のように煌びやかで、軒に肉食獣の牙のように鋭く連なるつららも宝石のように輝き、先端から雫を垂らしてその身を削る。

 閑静な住宅街ではまだ正午過ぎだというのに、学生の姿が見える。雪解けの水溜まりに注意し、隣に並ぶ仲間と談笑しながら歩く。

 一様に手には細長い黒い筒を持っている。学生達が浮かべる清々しい表情と、帰宅時間を併せると、その中身が卒業証書だと思い当たるに時間は要しないだろう。

 見た目から高校生と思わしき学生達は春からどんな道を歩んでいくのだろうか。

 進学か就職か。第三に、どちらの道も歩めなかった場合も考えられるが、もしそうならば、揃ってこのような朗らかな笑顔は浮かべられないはずだ。

 春の始まりと共にそれぞれが翼を羽ばたかせ旅立つ。

 行く道に光を見る少年少女を、行く道が闇しか見えない者が見たらどう思うだろうか。眩しくて目を逸らすのか、或いは自分のようにはなるなと念を送るがごとく黙って見送るのか。

 それは、分からない。

 外界を区切るようにカーテンで閉ざされた窓からでは、見ることはないのだから。




 カーテンで閉ざされた窓の内側。

 昼の陽光を拒む部屋の中はまるでお化け屋敷のように薄暗い。そんな雰囲気を増長するかのように、机の側にある椅子には髪の長い女性が座っていた。

 不気味な程色白い肌に、日常生活には不便と思える程伸びた長い黒髪で俯いた表情が隠されている姿は、何も知らずに部屋に訪れた者がいたならば寿命を三日は縮ませるくらいの恐怖はあるだろう。

 しかし、部屋に彼女以外の誰かが訪れることは滅多にない。精々、彼女の妹か部屋の主の姉くらいである。

 ひきこもりである部屋の主の交友関係はそれほどまでに狭く、広がる可能性は限りなく低い。同じくひきこもりである彼女と幼なじみという関係がなければ、主の声帯は衰えていく一方だっただろう。

 彼女――相原みずき――には今生に未練の残る幽霊を演じるでも、誰かを恐怖に陥れる意図もなく、単に漫画本に目を落としているだけである。

 みずきは絵しか見てないのは明白な速度で読み終えると、何度も読んで色あせた漫画本を机に放ってから、ベッドに横たわる部屋の主を見た。

「どうかしたの?」

「ああ」

 みずきは心配するようでもなく他にすべきことがないから仕方なくといった風に聞いて、部屋の主である水澤かなたは生返事をする。余談だが二人ともこれが今日初めての発声だ。

 かなたは寝ていたわけではなく、みずきもそれに気付いていた。かなたは壁際にくっつくくらいの距離で虚空を見るかのように目を開けていたが、みずきがそれを見たから分かった訳じゃなく、長年の付き合いによる雰囲気から半ば確信していた。

 かなたは体を仰向けにし、天井へと重苦しいため息を吐く。その眼は開けながらも何も見えていないかのように虚ろだ。

「うつでも来たの?」

 その様子からみずきは聞いた。

 正式な診断を受けたわけではないが、かなたには気分の落ちる周期がある。ただでさえ低いテンションがより下がり、行動に支障を来すこともある。

 かなたほどではないが、みずきにもそれがあり、下がってる時期をうつ周期と二人は呼ぶ。

「いや。そうじゃないが……そんな変わらないとも言えるか。ちょっとあまりよくないことがあってな」

「ん、そう」

 淡々とみずきは言って、部屋は静寂に包まれる。外の柔らかな静けさとは違い、陰鬱が充満してるかのような重い静けさ。

 かなたは変わらず天井を見続け、みずきは心中をのぞき込むようにかなたの顔を見つめる時間が数分続き、

「聞いたほうがいい? 理由」

 ようやくみずきが口を開いた。

 かなたは体を起こして、見慣れた幼なじみへと体を向ける。

「あんまり面白い話でもないぞ」

 苦笑いを浮かべてかなたは言った。実際にその前置きをしての話は、誰が語ろうと面白いことはないのが常である。

「ん、知ってる。聞かせて」

 かなたの言葉に『聞いてほしい』とあることは深く読まずとも、みずきには分かったため話を促した。

「片付けをしていた。部屋の」

 話を纏めるように短い間を置いてから、かなたは口を開いた。

「それがどうしてよくないことになるの?」

 みずきは小首を傾げる。

 かなたは三日に一度程度の頻度で自室の掃除をする。潔癖というほどではないにしろ、ホコリを山積させるほど放っておくことはしない。

 半ば習慣と化している行いであることは、みずきも知っているため、それでまるで屍のようになるまで気落ちすることはないと疑問に思う。掃除中に何かあったかと考えみずきは、

「ネズミでも出た?」

「ドラ○もんじゃないし、ネズミでこうはならん」

「アレだったら滅入るより、便利道具で駆除しようとすると思うけど。地球破壊する爆弾とかで」

「……話をすすめていいか?」

「ん、どうぞ」

「片付けをしたのは……正確にはしようとしたのは、あの中だ」

 と、かなたが顎で指し示したのは押し入れだ。引き戸の半分は机で塞がれているため、片側からしか開けることが出来ない。中は結構な収納スペースがあり、あまり頻繁には使わない物が収められている。

 みずきはわざわざ椅子をクルリと回し、押し入れを見てから、椅子を元の方向に戻して、

「ドラ○もんでも出た?」

 淡々とみずきはボケる。

「出るとしたら引き出しからだと思うが。というか、仮に出たとしても驚きはするだろうが、落ち込む理由にはならないだろ」

 冷静にかなたは返す。これが普段通りの二人のやり取りである。かなたがお笑い芸人のようなツッコミをし出したら、それは別人か、躁鬱を疑う必要があるだろう。

「何で押し入れを片付けようとしてたの?」

 素朴な疑問をみずきは訊ねると、

「特に理由はないが……何となく」

 答えた通りかなたには具体的な理由はない。あえて挙げるならば『暇だったから』があるが、それは二人の行動全般に当てはまるため、やはり何となくが相応しい。

「ん、そう。で、何が出たの?」

 かなたは言い難そうに顔を険しくして、


「……卒業文集」


 気分を落とす原因となった物の名を言った。かなたは苦い表情になる。

「……そう」とみずきはその言葉だけで理解し「もしかして読んだの?」

 かなたは重々しく頷いた。そのまま顔を上げず、組んだ手の中を見る。

「……自傷行為にでも目覚めた?」

 かなたは首を振って否定し、顔を上げて苦笑し、

「つい、な。油断したという他いいようがない。ここまでダメージが大きいとは思わなかった」

 むろん、紙の束が独りでに動くわけはなく、かなたが自分で持って身体を叩く狂った真似はしてないので、肉体的ではなく、精神的にという意味である。

「まさか、かなたのことが載ってたりした?」

「そのまさかだったな。というか、今までそう思ってて、見たことがなかったから、つい読んでしまったというわけだ。興味本意で」

「小中どっちかは……ん、多分そっちの方?」

「ああ、もちろん一応は小学生だった時のだ。というか中学のは貰った覚えはないが」

「行ってないと貰えないんだ」

 みずきがどうでもいい事を知ったように言った。

「みずきはあったのか?」

「一応は。担任は三年間同じだったみたいだし、文集も三年間を振り返るような内容みたいだった。流し読みしかしなかったけど」

 二人が不登校となり、ひきこもった時期というのは異なる。

 かなたは小学校高学年で徐々に欠席日数が増えていき次第に行かなくなった。

 みずきは中学途中ですっぱりと行くことがなくなった。行けなくなった。

 ひきこもりになった理由は様々であり、割合は少ないにしろ、早期から不登校になるケースも実際にある。原因には、普通ならば真っ先にイジメが思い浮かぶだろうが、それ以外の理由も多い。

 もし、二人にそうなった理由を訊ねても上手くは答えられないだろう。本人が明確な理由が分からないというケースも実際にある。

「どんなこと載ってたの?」

「今それを聞くのか。残酷な仕打ちだなおい……見てしまった記憶を早く消したいってのに」

「この機会じゃないと話すこともなさそうだし」

「良くない思い出を聞く側も話す側も楽しいとは思えないが」

「そうかもしれないけど、私は聞きたい。嫌なら文集見せてくれるだけでいいけど」

 かなたは諦めたように首を振り、

「発掘された絶望の書は二度と日の目を見ないよう厳重に封印したしな。……少しだけだからな。念を押すがつまらない話だ」

「ん、分かってる」

 みずきは小さく頷いた。いったい、かなたが何を見て憂鬱になったのか少し興味があった。

「まず、修学旅行の話が載ってた」

 かなたは嫌な記憶を出来る限りボカしながら思い起こして言った。

「かなたは行かなかったと思うけど?」

 みずきが言うように、小中高と一大イベントに挙げられるであろう修学旅行にかなたは行っていない。

 参加していないことで、何故、心が重くなるのか数瞬みずきは疑問に思ったが、すぐに理解できた気がした。

「行かなかったからこそそうなる。楽しげな写真の数々を見ると、猛烈に後悔したくなるというかな……」

 弱々しく言ってかなたは大きくため息を吐いた。

「行ってもいいことなんかない」

 断言するようにみずきが言う。

「もしも、かなたが行ったとしても、ぼっちで惨めな思いをするだけ。私みたいに」

「けどな……」

 行ったことがあるだけマシ……とカナタは続けようとして、みずきの本気で嫌な思い出だったという悲しげな瞳を見て、口を閉ざす。

「特に旅館。班ごとに部屋分けされるのも嫌だったけど、中でもお風呂が嫌だった」

「何でだ?」

 かなたは首を捻る。昔から風呂は欠かしてなかったということを知っていたからだ。一時期ひきこもりが酷かった時期も頃合いを見てシャワーだけは浴びていたことも知っている。覗いていたわけではないが。

「理由は上手く言えない。恥ずかしかったからというのはあるけど。……今考えたら緘動だったと思う」

「旅館の素晴らしさにか?」

「その感動じゃない。以前に話した、緘黙が原因の行動障害のこと」

「……あ、そうなのか」

 緘動の意味は最初分からなかったが、語感から冗談のつもりでいったことに素で返され、かなたは頭を掻いた。

「それで結局は入らなかったけど、そのことで『何で入らないの?』とか聞かれたりされたのが辛かった。からかう意味じゃない分余計に。私はその理由を上手く喋れなかったし、ただ俯いて黙ってるしかなかった」

 言ってみずきはまるでその時と同じように俯いた。思い出に潤んできた瞳を隠すために。


「行っても行かなくても、結局は良い思い出にはならない、か」


 かなたは苦笑して言ってから、黙ってみずきの気持ちが持ち直すのを待つことにした。

 



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