ひきこもり×RPG(1)
「――カナタ」
透明感のある優しい声が耳に心地よい。
名前を呼ばれ、カナタは目を開けた。
だが、映るのは光点一つない暗闇だった。
右を見ても左を見ても暗闇。上下も暗闇。地に足が着いてるという感覚も曖昧で、まるで夜の海にたゆたうような妙な浮遊感。
覚えのない空間にカナタは戸惑っていると、目の前に眩しい白い光が出現した。
その光源によりカナタの姿が照らされた。
スカイブルーの瞳をうっとおしいくらいに伸びた前髪が覆う。毛先が無造作に跳ねズボラな印象を受ける青年だ。
「――カナタ」
もう一度声がして、白い光は人型の発光体へと変化していき、徐々に女性の体のラインを形作り、そして強い光を放った。
反射的に腕で目をかばうカナタが光を止んだのを感じ、腕を放すと目の前に美しい女性が立っていた。
先ほどの白い光のように白い肌。端正な顔立ち。瑞々しい唇は柔らかな微笑を称えている。
カナタは神々しさを感じさせるその女性をマジマジと見つめていた。主に身体を。
一糸纏わぬ体は、理想的なスタイルをしていた。マシュマロのような色と柔らかさを兼ね備えていそうな胸に、くびれた腰。下半身のラインも美しかった。
なんとも扇情的な姿。肝心な部分は輝かしい金色の長い髪によって隠されてはいるが、それでも目のやり場に困る姿ではあった。
「あなたに頼みがあるのです」
「……頼み?」
「はい。魔王の復活を阻止してほしいのです」
それから長々と語ったのだが、あまりに冗長だったため女性の話を要約すると、遙か昔世界を恐怖に陥れた凶悪な魔王の復活が迫っている。最近の魔物凶暴化は予兆である、と。
「何で俺なんかに……」
「あなたにはその昔に魔王を封印した勇者の血が流れているからです。勇者の力が奥深くに眠っているあなたの力が魔王の復活阻止に必要なのです」
「そうなのか」
「ええ、あなたならきっと復活を――」
その時、女性の声が聞き取れなくなるほどのけたたましい音が響いた。頭痛を誘発させる甲高い音。それは鉄を鉄で叩いたような――
「時間のようですね。頼みましたよ――勇者カナタ」
耳元に麗しい顔を近づけ囁くと、女性は足下から溶けるように光の粒子へと変化していき、最後にニコリと笑って消えていった。
未だウルサい音が響く。
名残惜しむ時間すら与えてくれないその音に、カナタは頭を掻きながらボヤいた。
「うるさいな……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「うるさいじゃない! さっさと起きなさい!」
「……んあ」
目が覚めて朝一番にカナタの視界に映るのは姉の怒り顔であった。その形相はまるで鬼のようで牙と角の幻想さえ見えそうなほどだ。
「まだ眠い」
鬼を前にしても動じず、そう言って再び眠りに陥ろうと目を閉じるカナタ。
「アンタねえ……」
カナタの姉、コハルの手に力がこもる。右手にはスープなど掬うのに使う鉄製のおたま。左手にはスープなどを作るのに使う鉄製の鍋。
コハルはその料理用具を頭上に掲げると、おたまの先で空の鍋の底を思い切り叩いた。何度も。
「なんだよ朝っぱらから……」
まだキンキンと痛む頭を押さえつつ、カナタは起きて居間へと来た。
「とにかく座ってなさい。今、用意するから」
カナタに木製のテーブルに着くよう促し、コハルはかまどに置かれた鍋から皿にスープを注ぎカナタの前へと差し出し、自分の分も注いでからコハルも座る。
カナタは不思議そうに乳白色のスープを眺める。別にスープにおかしい点があるからではない。
コハルがわざわざ朝起こしに来ることがおかしい。何かしらの行事がある日以外は滅多にない。しかし、今日は目覚まし秘技を用いてまで起こしにかかってきた。
幾ら首を捻ろうとも疑問は解消されないため、カナタはスープに口を付ける。姉の料理はかなりの腕前で美味だ。
「おかわりもあるからたんと食べなさい」
やはりおかしいとカナタは思う。普段は自分に修行と表したむごい仕打ちをする姉が、優しげな笑みを浮かべて優しい言葉を掛ける。顔は村一番の美女と称されるだけあって、誰もが表情をトロケさせるだろうが、内面をカナタは知るカナタは怪訝な目になる。
「今日は何かあったか?」
「あら? 覚えてないの」
「何をだ」
「ま、覚えてないのも無理ないか。何も言ってなかったし」
コハルの適当な発言にカナタは普段から随分とイライラさせられている。
勿体つけるようにスープを一口飲んでから、フフッと笑い、
「カナタ。今日が勇者としての旅立ちの日よ!」
ズバッとコハルは指さす。
指されたカナタは夢でのどうでもいいと判断した出来事を思い起こしてから、
「勇者? 俺が?」
「そ。アンタは今日から世界の平和のために旅にでるの。未来の英雄を弟だなんて姉として鼻が高いわ」
「俺が勇者なワケがないだろ。もし俺が勇者なら姉さんだって――」
そうだろ、と言い掛けたが、ふいにコハルが悲しげに目を伏せたのを見て止める。
「残念だけど、ワタシは勇者にはなれない。女だからなれないとかじゃなくて……」
コハルは言葉に詰まる。この先を言うべきか迷っている、という表情だ。
「何でなれないんだ?」
カナタの碧眼を見つめ、コハルはゆっくりと口を開いた。
「アンタは捨て子だったから」
カタッとカナタの手から放れた木製のスプーンがテーブルに落ち音を立てた。
「……本当なのか?」
コハルはため息を一つ。
「本当よ。ワタシとアンタは血の繋がりのない姉弟。……今まで言えなかったのは、お父さんお母さんが早くに死んだのもあるけど、もし、アンタがそれを知ったら、ワタシへの想いが暴走すると想ったから……」
「は?」
「ワタシのこと好きなのよね。隠してたつもりだとは思うけど、わかってた。
けど駄目。血が繋がっていなかったとはいえ、長年いっしょに暮らした姉弟なんだから、ね。障害が薄れたからって恋愛に発展とか考えちゃ駄目。
確かにワタシが美人なのはわかるけど……」
大げさにコハルは憂いた表情を見せる。
沈黙の妖精がパタパタと家を一通り飛び回ってから、
「姉さん」
「ん?」
「一回殴らせろ」
コハルは小馬鹿にするようにクスクスと笑い、
「ヘタレなアンタにできんの? 部屋に篭もりっきりで体も怠けたアンタに」
「クッ……やってやる!」
その後、コハルによりカナタがこの家に拾われた経緯を語られた。
とある人物が村に訪れて来るべき日まで幼いカナタを育ててほしいと頼まれ、村ぐるみで大事に育てようとなり、コハルの両親が親を買って出たこと。その時に勇者の剣とあるメモを渡されたことを、コハルは軽い口調で、そして次第に面倒くさくなり五分で説明を終えた。余談だがカナタは一発も殴れなかった。
「で、これがそのメモ」
金庫に厳重に保管されていた紙切れと、シンプルな鞘に納められた剣をコハルは取り出してカナタの前へと置く。
カナタはまずメモを取り書かれた内容を見る。
『△△年○月×日
かつて世界を闇に包みし魔王。その封印されし魂の慟哭が木霊する
魔王の復活を阻止せんとする者。勇者の剣を手に立ち上がる
勇者。神の美貌を持つ姉にひざまずき、姉に絶対の忠誠を誓う』
「……おい」
カナタはコハルを呆れた視線を向ける。
読みにくいくらいに達筆に書かれた文。
しかし、一部分だけは明らかに書き足しとと見て取れる文が、書いた人物の態度が反映されてるかのような大きさで書かれている。
「今日がそれに書かれている日でしょ? 大変なことが起こる予感がするわね。で、その勇者がアンタ。
その魔王の復活を止めるために旅に出ろってことだけど、先にその下に書かれたことをすべきね」
悪びれる様子もなくコハルは言う。
「だが、これに書かれたのを見る限り、俺が勇者だと決まったわけじゃないだろ」
「それを証明するのがこれ」
と、勇者の剣に視線を落とす。
「多分ね、勇者じゃないと鞘から抜けないみたい。幾ら力入れて引き抜こうとしても駄目だったし」
「……何をしてんだか」
カナタは勇者の剣に持ってみる。するとコハルが驚いて目を丸くする。
「アンタそんなに力あったっけ? それ、かなり重いのに」
「そうか? かなり軽いが」
姉のわざとらしくはない驚きに、カナタは重さを確かめるように勇者の剣を鞘に納めたまま振るってみる。片手で軽々と、それこそ箸を扱うがのごとく軽快に振るう。
コハルは顎に指をあて考える仕草をし、納得する答えが見つかり艶やかに笑う。
「勇者だからこそ扱える剣ってことね。さ、早く引き抜いて見せなさい」
姉に命令されるのは不服だが、逆らうと肉体的にも精神的にも痛い目を見るのは過去の数多の経験から明白で、言われるがまま右手で柄を掴み、剣を引き抜く。
剣は抵抗もなく抜け、白銀の刀身が露わになる。カナタは掲げ持ちまじまじと見つめる。
「うん。勇者誕生の瞬間って場面かしら。ちょっと待ってて」
そう言ってコハルは二階へと上がっていった。特に変わったところもない剣を見ながらカナタは、
「全く実感がない。面倒くさい」
既に重さとどうやっても鞘から抜けないことを知る村人たちからしたら(全員で試した)驚くべき光景だったのだが、カナタは軽い剣を普通に引き抜いただけなため、勇者だと言われても疑念が残る。
そもそも面倒くさかった。
カナタにとって魔王の復活という事態は、昼寝以下の重要度であり、世界がどうなろうと我関せずでなるようになればいいと思っている。
剣を鞘に戻し、今日はどう過ごすかと考えていると、姉が下りてきた。
「お待たせ」
そう言い、ドンと大きなリュックをテーブルに置く。
「なんだよこれは?」
「旅用の荷物よ。荷物。ちゃんとワタシが準備してあげといたんだから感謝なさい」
パンパンに膨らんだリュックには着替えやら、旅の必需品が詰まっている。見た目以上に入るスペースがあり、やくそう九十九個も余裕で入る優れ物だ。
「いや、俺は行くつもりは――」
躊躇うカナタの頬にコハルの拳がのめり込む。平手じゃなく拳である。鉄拳である。凶器である。
その威力は絶大であり、カナタは吹き飛んで壁に叩きつけられる。
「何弱気なことを言ってるの!? ワタシは悲しい。そんな不甲斐ない弟に育てたつもりはないのに……」
コハルは口を手で覆い瞳を潤ませる。カナタは演技臭さをひしひしと感じながら立ち上がり、
「今すぐ行くとか急すぎるだろ」
「急を争う事態だったらどうするの? 三日後に出発して、あと一歩のところでもし魔王が復活してしまって、二日早ければと後悔するのは嫌でしょ?」
「……そりゃ、まあそうかもしれないが」
「だからこそ今すぐ行く必要があるわけ。アンタはワタシの弟なんだから、きっとやれる!」
ニッコリ微笑んでコハルは拳でカナタの額を小突く。コハルからしたら軽くだったが、カナタはフラツいて倒れそうになった。
「……分かった。行けばいいんだろ」
こうしてカナタの旅が始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やれやれ。ようやく行ったわね」
カナタが旅立ち閉じられた扉を見つめ、コハルは一息吐く。
「部屋に篭もりがちなカナタもいなくなったし、肩の荷が降りた感じ。
厄介払いもできたし、ワタシは英雄の姉になれるわけだし、一石二鳥。
世界を救った暁には勇者商品でも作って大々的に売りさばくこともできるわね」
フフフ……とコハルは不敵な笑い声を漏らしていた。