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ひきこもり×正月(2)

「お姉ちゃん、じゃがいも切ってくれる?」

「ん」

「ゴボウ、笹掻きにしてくれる?」

「ん」

「あ、ごめん、お姉ちゃん。鍋の火止めといて」

「ん」

 と、水澤家の台所では相原姉妹が料理に取りかかっていた。夕飯に加えて、正月料理の下拵えもしているため何かと忙しそうだ。

 そんな中、居間では一人倒れていた。

 声を掛けても“へんじがないただのしかばねのようだ”という言葉が浮かぶくらい、かなたは憔悴しきった顔で、既にカーテンが閉じられ、くすんだ薄暗い壁を虚ろな瞳でぼんやりと見ていた。いや、ただ開いてるだけでその瞳は何も見てないのかもしれない。

 その疲弊の要因は、ダンベルを数個入れたような重さのレジ袋を両手に下げて家まで運んだという肉体的な疲れもあるのだが、精神的疲労の割合が大きい。

 大晦日のスーパーに訪れる客の数は普段の三、四倍に膨れ上がっていた。客層も普段とは違い、帰省中と思しき家族など若い層も多く、元々人の密集地が好きではないかなたにとっては、オオカミの群にトラとライオンまでいるような入りづらい場所に入る草食動物の気分であった。

 それでもスーパーに飛び込んだかなたは、終始俯き加減で、買い物カートを押しながらノソノソとなぎさの後を追うことしかできなかった。その顔色はあえて過剰に描写するならば、ネズミに耳をかじられた猫型ロボットのようだった。

 そして、荷物持ちを引き受け帰宅したかなたは、十二ラウンドを限界を超えて戦ったボクサーのような疲れた面もちで、早々に居間で横になり大晦日の夕刻を過ごした。


 姉妹で協力してできた夕飯のクリームシチューを食べた後、三人とも居間で何をするでもなく食後の休息をし、なぎさが年末恒例の歌合戦を見ていいかと、両親が帰省中で一応は家のチャンネル権の一番手であるかなたに伺いをたて、特に異論はなく許可を出した。

 見始めて少しして、買い物の総重量の三分の二は占めてた缶ビールとツマミをなぎさは持ってきて乾杯。

 ほとんど飲むこともなく、好きではなく、挙げ句にアルコールに弱いかなたもウーロン茶でいいと言ったが、なぎさに「それがマナーでしょ!」と理不尽な理由で強要され(パワハラ)仕方なく一本飲まされた。

 アルコールが入っても特に盛り上がりもない会話をしながら時間は過ぎ、なぎさは頭上に電球を輝かせたような表情を浮かべ駆け出し、押し入れを漁って、眠っていた幾つかのボードゲームを持ってきた。

 歌合戦をBGMにボードゲームで対戦。当初は普通に勝敗にリスクもメリットもない勝負だったが、緊張感がないと、テンションが二割り増しになってるなぎさが罰を設け、簡単な罰ゲームにてかなたは二本目を一気飲みするハメとなってしまった。

 年が変わった頃には、飲み干した空き缶のタワーが建造され、テンションが五割り増しとなったなぎさの話を、気持ち悪さを堪えながらかなたは聞き役に徹し適当に相づちを打っていた。

 それから、小宴会はお開きとなり就寝。かなたは二日酔いになった。




「あ、おはよ。お姉ちゃん」

 元旦の真昼を回った頃、みずきが明らかに寝起きだと分かる気怠そうな動きと表情で居間に現れた。

「……よ」

 みずきはまるで腹話術士のように微細に唇を動かし挨拶を返すが、耳元でささやかなれない限りはっきり聞き取れない声量だ。

 繊細な黒髪で顔半分近くが隠され、残りの半分はかなたと同じく頭痛がしてるのか、或いは単にまだ眠気が残ってるだけか判断が付かないが、目を最低限視界が確保できる限界まで細め、口は締まりなく僅かに開いている。

 昨晩みずきは缶ビールをクピクピとゆっくりかつ着実に喉奥に流していた。結果飲んだ量はなぎさに次ぐ、ボウリングができるくらいの本数であった。酔いが回ってるかは判断しがたい無表情だったが、次第に頬は朱色に染まり、元々少ない口数が更に少なくなり最後の方は無言になっていた。

「お雑煮あるけど食べる?」

 なぎさはゲームのコントローラーを置いて聞いた。

 コクリとみずきは首を糸の切れたマリオネットのように一度下げ、洗面所へと向かっていった。


「ね、おいしい?」

 丁寧に出汁をとって雑煮のつゆを作り、モチもほどよい加減で焼いた、なぎさが感想を訊ねる。

「ああ」

 と、かなたが頷き、モチを咀嚼しながらみずきも無言で首肯する。それを見てなぎさも食べ始めた。

「……ああ、そうだった」

 つゆを啜ってから、ふと思い出したようにかなたが言って、ジーンズのポケットを探る。

「なに?」

 なぎさが言い、みずきも箸を止め虚空が広がってるような黒目をかなたに向ける。

 かなたがポケットから取り出したものを見せ、それぞれなぎさとみずきの前へと置いた。

 淡い緑色に干支が画かれた小さな長方形のお年玉袋。当然、中に入っているのもそれである。

「ん、ありがと」

 と、みずきは素直に受け取り、

「あ、私もいいの……かな?」

 目を丸くし複雑そうな心境を表すぎこちない表情でなぎさ。

「まあ、いいんじゃないか。意見あるなら母さんにでも言ってくれ」

 あっけらかんとかなたは言う。

 言うまでもなく、袋の中身を用意したのはかなたの親である。

「……あ、じゃ、これはお姉ちゃんに」

 スーとテーブルを走らせなぎさはお年玉をみずきの前へと渡す。が、みずきの指によって元の場所に戻された。

「なぎさの」

 短くもみずきはなぎさを見て受け取るように言う。その瞳は普段見せない意思の強さが宿っている。

「うん、わかった。ありがと、かなちゃん」

「…………」

 みずきは何も言わずに立ち上がり二階へと上がっていった。

 それを見てなぎさは小首を傾げるが、かなたは気にすることもなくモチを伸ばしながら食べ進めていた。

「かなた」

 と、居間に戻ってきたみずきはかなたにお年玉袋を渡す。

「どうも」

 気持ちの籠もらない礼を述べてかなたは受け取る。気持ちのある礼はみずきの親へと取っておく。

「しかし、毎年大して意味のないやり取りな気もするな」

 かなたは幸薄そうな笑みを浮かべる。

 今年はなぎさの分もあったとはいえ、去年、一昨年と一対一でお年玉のやり取りをしたが、中身の金額は同じであるため渡し合ってもなくとも入る額は変わりない。

「ん。そうだけど。……正月だし」

 みずきは適当に答え、

「うん、そうだな。正月だしな」

 かなたは適当に相づちを打ち、

「正月だしねー」

 楽しげになぎさが乗っかった。

 ちなみにこのお年玉が二人にとってほぼ唯一の収入である。


「初詣でも行く?」

 ゆったりとした時間が流れる居間で、お茶を飲んで、なぎさが言った。

 二人は唐突に出てきた提案に、どこから湧いたのかと考え、特番ばかりのテレビも消して静かであり、ふいに脳内に浮かんだのだと結論づけてから、

「難易度五つ星な場所だな」

 面白い冗談だ。と言うようにかなたはフッと笑い、ゲーム的な答えを返した。

 ひきこもりであるかなたとみずきに、この日もっとも人が集まる場所に誘っても肯定的な答えが返ってくるはずがない。

 なぎさも猫にお手を要求するように、冗談のつもりでの発言でもあった。

「友達は?」

 みずきが聞くと、なぎさは芝居がかったように俯き加減で大げさため息を吐く。

「彼氏連れて帰省中に、予定が詰まってるに、夜中に行った。と、あとはこっちに来てないとかでいないわけです」

 指折り数えて、なぎさは苦笑して肩をすくめる。

「それは困ったな」

「だからさ、いっしょに行かない? あ、一人で行けとかは無しで」

 かなたは悩むように黙るが、行く気はたとえ神社が家の真正面にあったとしても毛頭ない。誰が好き好んで苦手が集まる場所に突っ込むような真似をするだろうか。

 なぎさもそれが分かって言ってることは明白であり、かなたは上手い返し方を考えてると、

「………………行ってもいいけど……」

 ボソりと発言したみずきに、かなたとなぎさは、澄んだ声で日本語を喋るカエルでも見たかのような驚きの視線を向ける。

「……えと、お姉ちゃん……いいの?」

「…………」

 みずきは答えずにお茶をすする。

 かなたはおかしい思った。自分より行動範囲が限られる幼なじみが自ら人の群れに向かう。ありえない。たまに突拍子もない発言や行動も過去あったがそれでもありえない。まさか……みずきの偽物? などと疑ってみたりする。

「……日暮ひぐれ神社ならだけど」

 かなたはそれを聞いて「ああ」と得心がいったように言い、なぎさは五秒ほど思い出す時間を経過させてから確認するように、

「それって、あの、寂れた公園の近くにあるとこ?」

「うん」

 肯定。

 日暮神社は住宅街からも商店街からも、喧騒から外れた空き地が多くある、寂しげな通りに面した小高い丘の上にある。

 周囲は背の高い木々で囲まれ、葉が生い茂る春夏秋は薄暗く、冬は寒さと雪が邪魔だったりで、足を運ぶ人は一部のマニアくらいしかいない。まるで貧乏神を奉っているかのような廃れた神社である。

 かなたとみずきは一時期に頻繁に訪れていた過去がある。

「けど、お参りくらいしかできないんじゃないの? おみくじも引きたいし……」

「それは大丈夫だろ」

 人気のない雰囲気が好きで今でも一年に一、二度、かなたは境内に訪れたりしている。

 日暮神社は普段はほぼ放ったらかしといっていい。秋になると落ち葉が石段を覆っていて足下が危なっかしい。

 だが、三が日だけは、降り積もっていれば雪が掻かれており、この時期が稼ぎ時なのか、おみくじやお守りに、達筆なありがたそうな文字が書かれた(らしき)お札が置かれている。

 けれども置かれているだけで無人であり、お金を払う木箱だけが置いてある。監視カメラもなく払うかは個人の良心と裁量に任せられているという、稼ぎたいのか面倒くさいのか実によく分からない。

「へえ、そなんだ」

「……そこなら行ける、と思う。人いないだろうし。いい?」

 と、不安げにみずきは上目遣いでなぎさにたどたどしく聞く。

「全然オッケーだよ。むしろ、あそこの方が御利益ある気もするし」

 満面の笑みを浮かべてなぎさは言うと、「じゃ、そうと決まったら早く行こ!」

 元気良く立ち上がり、鼻歌を奏でながら二階へと向かっていった。

 リズムよく階段を上がる音を聞きながら、かなたはみずきの横顔を見つめる。

 視線に気付いたみずきが顔を向けると、怪訝そうに細めた目つきでなおも顔を見つめられ、

「……なに?」

「……本物のみずきか?」

「は?」

 今度はみずきが怪訝な表情になった。


 こうしてちょっとだけ普段と違う正月は過ぎていく。




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