ひきこもり×かなたの日常
朝の陽射しを浴びながら、チュンチュンとスズメが電線に集まり合唱していた。
スズメ達が見下ろす先には住宅街が広がり、ランドセルを背負った子供や、寝癖と時間を気にしながら走る学生。一家のために頑張るスーツ姿の男性がそれぞれの目的地へと急いでいた。
どの家々もカーテンを開け放ち、窓も開けたりして空気を入れ替える中、未だカーテンが閉められたままの部屋があった。
それを見てか、一羽が首を傾げる仕草を見せた。単に何気ない行動であるのだろうが。
そのカーテンが閉められた部屋は当然ではあるが薄暗かった。朝の陽射しがカーテン越しに僅かな明るさを通すおかげで、やや乱雑とした物の配置が把握できるが、日が陰れば真っ暗闇に閉ざされ、仮にCDケースが置かれていたらバキッと、踏みつける確率はかなり高いだろう。それが大事にしている物である可能性は確率論を無視して不思議と高い。
壁際にあるベッドでは人が寝ていた。
時刻はテレビでは占いコーナーが始まる七時五十八分。学生だろうと公務員であろうと慌てる時間ではあるが、彼はどちらでもないから関係ない。
ひきこもりである水澤かなたにとって、起床しなければいけない時間というのはない――
『別に好きでアンタを起こしに来たワケじゃないんだからッ! 勘違いしないでよねッ!』
ツンデレな台詞が部屋に響いた。
そう、ベッド脇には、腰に手を当て彼を見下すように睨むツリ目の美少女が――いるわけがない。発信源は枕元に置かれた携帯からである。
その声優(ツンデレ役多し)の目覚ましボイスを聞いて、かなたは起きあがった。未だ眠そうな目を擦った後、ネクロマンサーに無理矢理起こされたゾンビのようなのっそりした動きで一階へと下りていった。
『別に好きで――』
誰もいなくなった部屋でスヌーズ機能により、もう一度ツンデレボイスが鳴った。
誰でもそうであると思うが、まず、かなたも起床一番に洗面台へと来ていた。
鏡に映るボーッとした表情をした自分を見ながら、寝癖をなおす。前髪が目を覆い隠すくらいにまでなり、寝癖も派手さを増してきた。
それから歯を磨く。
歯磨きの理想的な時間は十分などと言われてたりするが、かなたの歯磨きタイムはカップラーメンが固めの仕上がりで『しまった。まだ早かったか』と後悔するぐらい早かった。
居間に入ると、母親からの朝の挨拶を気の抜けた生返事で返し、テーブルの上に置かれた新聞を手にとってから、台所へと向かう。
あまり長い時間、家族と居合わせるのをかなたは嫌う。それは自分の存在を申し訳なく思う気持ちがあるのと、会話を振られるのが怖いからだ。日常会話の流れからいつ、自分の痛いところを突かれるか分からない。
台所に来たかなたは新聞をダイニングテーブルに置いてから、冷蔵庫を開ける。
かなたの朝食というのは基本的に残り物である。昨日のおかず、或いは冷や飯を温め、それだけでは味気ないと卵かけご飯にしたりする。
だが、今日はおかずの残りも冷や飯もなかった。そうなると第三の選択肢として食パンを選ぶ。
食パンを一斤とイチゴジャムを取り出してテーブルに置き、トースターにセットする。
その間を、新聞を読んで過ごす。
といっても、政治経済どころか一般のニュースにすら興味がないかなたが読む部分は限られる。ラジオ・テレビ欄で深夜アニメの放送時間が他番組に狂わされてないか見る。特にスポーツ中継が延長ありの場合は正確な時間が分からず忌々しい存在だ。
あとはざっくりと他の番組の内容を確認し終えると、タイミングを見計らってたかのようにこんがりと焼けたパンがトースターから飛び出した。
ジャムを満遍なく行き渡らせたトーストを片手に、テーブルに広げた新聞に目を落とす。
興味ないと書いたが、かなたは社会面も一応は目を通す。度々思い出したかのように引き起こされる“ひきこもり”が関わった事件があるかの確認のためだ。
普段、テレビのニュース番組を全く観ようとしないため、もし、こういう事件があればまず新聞から入ってくる。もしくは、隣の幼なじみから入ってきたりもする。それから、どのような取り上げ方をされてるのか気になりテレビのニュースを観る。
あと、事件以外のひきこもり記事もたまにあるため、とりあえずは流し読んでいき、トーストを食べ終わると同時に全て読み終えた。
朝食を終え、自室に戻ったかなたは携帯片手にベッドに仰向けになっていた。
もはや携帯“電話”ではなく、携帯ネット通信端末兼たまにメール送受信機器となっているそれで、とあるサイトを観ていた。
耳にはイヤホンはめられ、携帯でダウンロードしたお気に入りのアニソンが流れている。
観ているサイトはウェブ小説サイトで、かなたは続きを追っている小説がいくつかあり、更新されていた最新話を読んでいる。
読み終える少し前に、ピーピーとバッテリーが空っぽだと伝える音が鳴り、少しして悲しげなピー音とともに電源が切れると、かなたは携帯を置き、体を横に向けた。二度寝をするでもなく、ただゴロゴロしている。
ちなみにかなたの携帯は、買い替えたのは四年前に遡る古い型だ。
定額プランをフル活用し、当初三日もたずで充電するくらい酷使していた所為か、バッテリーの寿命はどんどん削られていき、今や使わずとも一、二日でヘタレる軟弱携帯となれ果てた。
機種変更の予定は当面ない。金銭面の問題もあるが、手続き時に受ける精神的疲労の問題の方が高い壁だ。
その為、腰を据えてネットを利用するには充電した状態で、ほぼ有線で使うしかないのだが、かなたの携帯でのネット利用は小説閲覧や、音楽のダウンロードくらいである。
本格的にサイトを観る時は、パソコンがある、隣家の幼なじみの部屋に行って使わさせてもらうことが多い。
数分が経ち、かなたはようやく起き上がると、携帯を充電し、薄暗い部屋を見渡して考えを巡らした。
テレビゲームをするか、幾度も読んだ本をまた読むか、かなたが部屋で暇を過ごす事は主にこの二通りだ。あとは、幼なじみの部屋に行って適当に過ごすかしかない。
少しだけ悩んだ挙げ句、かなたは結局ゲームを始めた。
既に、色んな遊び方を試し、しゃぶり尽くした感があるシミュレーションゲームである。
収入というのが基本的には皆無なかなたにとって、お金は社会人の価値観とは比べものにならないくらい高い。希少品だ。
一つのゲームに飽きたからといって、おいそれと新品を買えるものではない。
だから、今日も幾度も見たゲーム画面を眺め、半ば無理矢理ゲームに集中しようとする。何もしない時間を作りたくはないと。
かなたがゲームを始めてから、特筆して伝える事はなかったと伝えておく。
時刻は再放送ドラマを見終わった主婦が晩飯の献立を思い描く頃になった。
かなたはというと、未だゲームを続けていた。
続けていた、といってもずっと胡座を組んだ置物になっていたわけではなく適度な――某名人のお言葉にならうくらい――休憩を挟みつつではある。
休憩中することはベッドに横になり、夢想したりしていた。そうしながら今日も一言もまともな言語を発してないことに気付く。
かなたがちゃんとした会話をする相手といったら幼なじみしかいないのだが、最近はネトゲーに熱中しているようで見てはいない。
ゲームを終了し、かなたは階下より立ち上ってきた夕飯の匂いに鼻孔をくすぐられながら、充電し終えた携帯の電源を入れ、ベッドにダイブする。
少しして、部屋にアニソンが大音量で響きわたった。発信源は携帯からで、ネットじゃ神曲と崇められる曲は、メールが届いたことを示していた。
かなたの携帯にメールを送る人はかなり限られる。最近はめっきり減った迷惑メールと、あと数人。それも一ヶ月鳴らないことも珍しくない浅い付き合いである。
今日は二件来ていた。
一件は顔を思い浮かべることができる相手で、
『かなちゃん、最近どう? 元気? アタシのほうは――』
との、書き出しで近況報告のような、雑談的な文が続き、
『――まあ、そんな感じです。んじゃね』
取り立てて中身のない文面を読み終え、律儀にかなたは返信をしておいた。
同じく幼なじみに属するであろう、隣家の妹からは度々このようなメールが届く。
もう一件は顔は知らない相手からで、
『フローラとビアンカどっちにすればいいの?』
律儀にかなたは『好きにすればいい』と書いてから自分の考えを付けくわえて返信し、階下より夕飯にするとの声が聞こえ部屋を後にした。
夕飯を終えたかなたは部屋に戻り、食後の休憩とばかりにベッドで眠りに入る。
深夜放送のアニメを観るための仮眠だ。
太陽が月へのバトンタッチを終えてしばらく経った頃、かなたは目覚めた。
部屋は月明かりを阻むカーテンにより、光源は全くない。まるで黒い布を頭から被されたような視界の中、かなたは立ち上がり、一歩、二歩、と歩きタンスを開けて着替えを取り出し、部屋から出て、風呂へと向かっていった。
しかし、この部屋。開けっ放しのゲームパッケージに、ゲーム機、コントローラー、ロードの合間に読んでいた漫画などが、床面積の半分は占めていて足の踏み場が限られているのだが、かなたは物の場所を把握しているのか、或いは暗闇に目が馴れているのか、踏むこともなく一連の動作をこなしていた。
風呂を終え、部屋に戻ってきたかなたは今日初めてカーテンを開け、窓を開ける。
秋の冷たさを纏った風が、風呂上がりの身体から体温を奪っていく。
乾ききってない髪をかき乱し、夜風に当たりながら、かなたは端が欠けた満月一歩手前の月を仰ぎ見てため息を吐く。
首を戻し、視線を真っ正面に向けると幼なじみの部屋の窓が見える。
その部屋はブラインドが降りており、中を窺い知ることができないが、パソコンのモニターからと思しき微かな光が漏れていて、またネトゲーをやってるんだろうとかなたは想像する。
しばし、窓の外を眺めた後、窓を閉め、アニメの時間まで何をしようかとかなたは考えながらカーテンを閉じた。