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ひきこもり×風邪

 薄暗い六畳の部屋は静かだった。

 時刻は十時。誰もが会社、学校へと着いて仕事や勉学に励む時間。しかし、その部屋の主はベッドで寝息を立てていた。

 夜間の仕事を終えての睡眠ではない。

 布団へと潜り込んだ時間はそういった職業に就いている人と同様に明け方になってからではあったが、彼がそんな時間までしていたことは、収入を得るためではない。いわば自己満足である。

 彼がしていたのは、テレビゲーム。

 先日購入した、恋愛シミュレーションゲームをずっとプレイしていたのだ。

 普段プレイしないジャンルのため不慣れで、向いてないと思いつつも、彼は全キャラを攻略するのに明け暮れていた。やり込み派であった。

 昨日も同様に徹夜でゲームを続け、白んだ朝日をカーテン越しに拝んでから寝ており、今日も昼前に起床し、ゲームの進行度以外ほぼ変わらない日常を繰り返す――かに思われた。


『ご主人様お電話で御座います』


 澄んだ声が部屋に響いた。

 そう、彼の傍らには、清楚なエプロンドレスを身に纏い、微笑を称えたメイドが電話の子機を片手に立っている――ワケがなく、発信源は枕元に置かれた携帯電話からだ。

 二度目のアニメキャラの着信ボイスが流れたが、煩わしがるように寝返りをうって無視を決め込む。

 所詮、急を要する電話じゃないと彼は思っている。半分は間違い電話だろうとも。

 中身がスカスカなアドレス帳に登録されてる人物から掛かってきてたとしても、用件なぞ些細なことだと、眠りを中断してまで出る気はない。彼は布団を頭から深くかぶって、小うるさい音を少しでも遮断する。

 七度。

 八度。

 と、未だ健気なメイドの声は、着信を知らせ続け、彼は根負けし、布団から手だけを伸ばし携帯電話を掴んで引きずり込んだ。

 開くとディスプレイには、眠りを妨げたはた迷惑な電話相手の名前が映っている。それを見て、やはりろくでもない事だろうと思いながら彼は通話ボタンを押し、耳に当てた。


『――あ、かなちゃん! 大変なのお姉ちゃんが!』




 トントン、と階段を上る音で、相原みずきは半ば眠りに陥りかけていた目を開いた。

 部屋前に来て足音が止み、次にノックの音が鳴った。

 みずきは返事をしようか一瞬迷ったが、喉も痛く、面倒くさいと無視を決め込む。

 少しして、ドアが少し開き、布団で寝ているみずきと目が合うと、更に開いて水澤かなたが入ってきた。

 かなたはみずきの傍に座ると、心配と珍しさが半々な表情を浮かべ、

「大丈夫か?」

 と、言葉だけの心配をかけた。

「……ダルい」

 掠れた声でみずきは答え、

「……何か用?」

 虚ろな瞳でかなたを見る。そして小さくせき込んだ。

 みずきの額には冷却シートが貼られ、いつも不健康そうな顔色は一層悪く見え、頬がほんのりと朱に染まっている。

「なぎさから電話があった。『お姉ちゃんが風邪引いて、譫言でかなちゃんの事読んでたみたいだから、早く行ってあげて!』…………だと」

 なぎさの声色(似てない)を交えながら経緯をかなたは説明する。

「……風邪でも引いた?」

 普段のキャラとブレているかなたに訝る目をみずきは向ける。

「いや、少し、ちょっと眠いだけだ」

 言い訳めいたように言い放ち、かなたは顔を背け窓へと視線を逸らす。耳が赤く染まっている。

「お母さんからなぎさに伝えたみたい。……そんな譫言言ってないけど」

 みずきは壁際に寝返りをうつ。

「で、何度くらいあるんだ?」

 かなたは視線を戻し、みずきの後頭部を見ながら訊ねる。“熱は”と付け忘れてはいるが無論、体温のことである。

「昨日の夜は、三十八……コホッ……度四分だった」

 壁を向いたままみずきは答えた。

 昨日の夜――とは夜の範囲が明け方まであるみずきの言葉だと、何時から計ってないかは定かではないが、首筋の辺りを見ると、量の多い髪が汗によりクッツいているのが分かる。

 かなたは近くに置かれた丸い盆に乗った体温計を手に取り、手を伸ばしてみずきの眼前に差し出す。

「とりあえず計ってみたらどうだ」

「メンドクサい」

「いいから計れ」

 強い口調で言い、体温計をみずきの顔前に落とす。渋々ながらみずきはそれを手にとってケースから取り出し、まじまじと見た。

「これ、胸に挟むんだっけ?」

「……好きにしろ」

 ボケなのか、天然なのかどちらとも取りがたいみずきの問いにかなたは投げやりに答えるしかない。

 キレのいいツッコミを期待していたみずきは体温計を脇に挟む。かなたは的確にツッコミを入れるタイプではないが、熱に浮かされ思考が働かないみずきには、何となく今日のかなたは漫才師並のキレのあるツッコミが返ってきそうな気がしていた。

 少しして電子音が鳴り、みずきは脇から体温計を取り出して表示された数字を見ながら、

「四十四度」

「ほう、死んでるな」

「ん、人間の体温が四十二度になるとタンパク質が固まりだして死んじゃうから。だから体温計は42度までしかないんだって」

「そんな雑学はいい。で、本当は何度だったんだ?」

 みずきは無言で体温計を後ろ手に返す。

 受け取った体温計を見ると、三十九度五分あった。

「高くなってんな」

「……そうみたい」

「…………」

「…………」

 沈黙。互いに風邪菌がフヨフヨと漂う場所――つまりは外に行くこともないため、滅多に体調を崩すこともなく、看病の場に慣れていない。

 かなたは病人に対してどうすべきかと考えを巡らせ、

「あー、……氷枕取り替えるか?」

「あ、うん」

 氷枕を引き抜き、かなたは立ち上がる。

「何か要るものあるか?」

「別にないけど」

 聞いて、かなたは部屋を出て行った。階段を降りていく音を聞きながらみずきは布団を被るように掛け直した。


 少ししてかなたは戻ってきて、側に座る。

 みずきは気怠そうに寝返りを打ち顔を向けると、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。

 手に持ったカップをみずきがボーっとした目で見ているのをかなたは見て、

「温まるのでも飲んだほうがいいと思ったんだが……要らなかったか?」

 丸い盆に甘い匂いの湯気が立ち上るココアが入ったカップを置いた。

 みずきは上半身を起きあがらせ、カップを熱いため手をパジャマの袖で隠しながら両手で丁寧に掴み、すするように一口。

「……ありがと」

 普段ほとんど言う事もない礼を小さく言い、恥ずかしげにみずきはうつむき加減になる。

 その小さな感謝の言葉が耳に届いたのかは定かじゃないが、かなたは氷枕をタオルで巻いて、寝たとき頭にあたる位置に置くと、チビチビとココアを飲むみずきを見て、

「冷えピタも取り替えたほうがいくないか?」

 みずきはかなたの顔に疑わしがるような細目を向ける。

「献身的に看病しても、私の好感度は上がらないけど?」

「ギャルゲーか」

 ビシッとかなたは手の甲で空を叩きツッコミを入れる。

「十点」

「満点か?」

「ん、千点中」

 ツッコミに大変手厳しい評価を下されたかなたは苦笑し、

「ま、病人放っておいたら、後でなぎさになんて言われるか分からんしな――」

「そう」

 みずきの感情が薄い表情の中に、微かに憂いのようなモノが浮かんだが、すぐに消えた。

 新たな冷却シートを取り出しながら、かなたは『さっさと元気になってほしい』と言い掛けた言葉を心の中にしまい込んだ。



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