ひきこもり×恋愛ゲーム
夏の記憶を薄れさせるような涼しい風が、街路樹の葉を騒がしながら吹き抜けていく。
そんな風が伝える秋の合図を受けた葉が色変わりを始めようかという街路樹が立ち並ぶ通りに、一件のゲームショップがあった。
そろそろ閉店時間も迫る店内の客はまばらで、この客達が出て行ったらシャッターを降ろそうかなどと店長は考えながら、レジカウンターに頬杖を突いて客を眺めていた。
あまりやる気が感じられないが、店長一人で切り盛りする個人販売店。チェーン店とは違い客への応対は丁寧じゃなくてもいいという適当な信念で淡々とこなしている。
店内もチェーン店とは違い、狭く、日中でも白熱灯が点きっぱなしのチェーン店と比べるとほんの少し薄暗くもあった。
客層も違う。
カップルから家族連れまであらゆる人が訪れるチェーン店とは違い、こちらは一人が多く、男女の割合も男が圧倒的。
彼女の有無を問われれば、押し黙るか、開き直って『いない歴=年齢ですが何か?』と言うような人ばかりだ。
雰囲気も一言で表すならば“暗い”人が多くを占める。今も、パーカーのフードを深く被り俯き加減でソフトパッケージの裏を熱心に眺める人や、萌えキャラがプリントされたTシャツを着た痩せぎすの人、成人向けのPCソフトが並んだ棚をカニ歩きしながらかれこれ三十分は悩んでいる人と様々だ。
店長はふいに人影を感じ、店内を見回していた視線をレジ前へと向けると、青年が立っていた。青年はゲームのパッケージをカウンターに置き、無言で清算を促す。
彼はたまに来ては、中古で安くなったソフトだけを買いに来る常連である。といっても、ワンシーズンに一度来るか来ないかの頻度ではあるが、数年前から見る顔のため店長はよく覚えていた。しかし、声を発したことはほとんどない。
彼は千円以下のゲームソフトを一本購入していった。それを見送り、店長は意外そうに思った。ああいうジャンルもプレイするんだな、と。
意外そうな視線を向けられていた彼、水澤かなたは、ひきこもりである。春夏秋冬に一度ずつあるかないかの外出を終え、家路へとやや早足で歩いていた。
理由は二つある。
一つは、新たなゲームを一早くゲーム機にセットしてプレイしたいという子供じみた高揚感から。
もう一つは、まるで背後からゾンビにでも着けられているかのような恐怖感から。彼が外出する覚悟というのは、平社員が上司に意見するくらいの緊張感があるのである。なので、一刻も早く自らの縄張りである自室に戻りたいという思いから、自然と足は早まった。
自室にたどり着いたかなたは息を乱してハァハァと肩を上下させていた。
「……おかえり。買い物?」
決していつの間にか部屋にいた幼なじみ、相原みずきに欲情しているからではない。彼女は、ゲームのコントローラーを繰りつつも、かなたの方に感情の薄い顔を向ける。音を頼りにCPU相手に連続技を決めるという器用なことをしながらだ。
「ああ」
短く返して、かなたはベッドに腰掛ける。
自宅が見えてきて、早足を某チャリティーマラソンのランナーみたいに、マラソンへと切り替えて急いだため疲れていた。日頃の極度な運動不足なため体力はかなり衰えている。
「……何、買ったの?」
みずきは勝利ポーズを決めるキャラを一瞥し、ゲーム機の電源を切って訊ねる。かなたが買い物に行く理由はゲームを購入するためなのが九割を占め、みずきは早速プレイすると思い、ゲームを譲る。
「いや、別にまだしててよかったが……」
歯切れが悪くかなたが答え、脇に置いた袋に手を置く。普段はエサを与えられた腹ぺこの犬のように、急いでゲームをプレイしようとするのに、おかしいとみずきは小首を傾げた。
そして、テレビだけが不気味に発光する部屋に沈黙が訪れた。
「エロゲー?」
少しして囁くようにみずきが言った。
ブッとかなたが吹き出した。
人前でプレイするには躊躇うようなジャンルのソフト――と、みずきが考えた末の答えがそれであった。
「違う」
「でも、PCじゃないとできないんじゃ……私の使う?」
「違うから」
「……あ、私はこっちにいるから……終わったら言って」
否定するかなたの言葉は耳に届いていないかのように、みずきは続けたが、実際は聞こえていて、冗談のつもりであるのだが、声も表情も普段通りのためそうは捉えられにくい。
「これだ」
ため息を吐いて、かなたは袋をみずきに渡した。逆さにして、出てきたソフトは、
「ギャルゲー?」
みずきはソフトを拾い上げ、まじまじと髪の色がいかにも非現実的な美少女が描かれたパッケージを見る。
確かに人前でプレイするのは躊躇われるが、18禁な場面はない。
「いや、安かったし……」
ばつが悪そうにかなたは頭を掻きながら言い訳めいた言葉を吐く。
「そう」
みずきは軽蔑めいた瞳もなく、かなたにソフトを渡す。かなたがこのジャンルのソフトを買ったことはなかったが、大した意外性はないようにみずきは感じていた。
「ま、だから……帰ってくれるとありがたいんだが」
「なんで?」
「どうにもやりづらいというか……」
「私も見たいんだけど……」
「……まあ、いいか」
渋々とかなたは了承した。いくら幼なじみで、いかにもオタクな内容のゲームに対する理解はあるとはいえ、一応にも女性であるみずきがギャラリーとしている中でしたくはなかったのだが……。
「このキャラ狙ってるの?」
だから、したくはなかったのだとかなたは心中でうなだれた。いくら普段やらないジャンルとはいえ、基礎的なギャルゲー知識は二人とも持ってはいる。
キャラの好感度がいかにも上がりそうな選択肢を選ぶ度に、外野からアレコレ言われては気恥ずかしいことこの上ない。
更にみずきは相変わらずの淡々とした口調なのが恥ずかしさを倍増させる。かなたの斜め後ろにいるためかなたからは表情は確認できないが無表情でだ。
はっきり言って、からかうような口調で、ニヤニヤと笑み浮かばれた方が気が楽である。
『――あ……』
と、テレビ画面では新たなキャラクターの立ち絵が表示される。かなたは台詞を進めることをせず、しばし画面を見つめた後、斜め後ろを振り向いてまたしばし見つめる。
「ん、何?」
体育座りの膝にクッションを乗せ、そこに顎を埋める姿勢で画面を眺めていたみずきは眉を僅かに動かす。
「このキャラ、みずきと似てる気がして」
みずきの瞼が数ミリ上がり、
「……そう? あんまり似てないと思うけど……」
「まあ、雰囲気が何となくだけど」
画面上に映るキャラは、黒髪が片目を覆いながら肩下へと流れ、顔も俯き加減でいかにも根暗キャラといった空気を漂わせている。
しかし、二次元でしかいないようなありえない瞳の大きさで顔の造形も整いすぎているのがギャルゲーっぽさを強調するかのようである。
話を進めていくと、そのキャラは不登校で、家にこもりがちという、いかにも見た目を裏切らないキャラ設定であった。
「……今のは一番上の方が……」
と、みずきは選択肢について意見を言うがかなたが選んだのは不登校少女寄りの選択であった。
クッションに顔を埋めながら、不登校少女のボイスを聴くみずきの耳はほのかに赤くなっている。
自分では似てないと思ってはいるが、かなたに言われ、設定も不登校(なった時期はみずきのが早い)で、こもりがち(みずきのが重い)となっては、どうしても意識してしまい、妙な気恥ずかしさを感じてしまっていた。
それでも気にはなるためクッションに顔を半分埋めながら、展開を見守るが、
『あ……恥ずかしい……ん、でも、ありがと……重くない?』
と、作者もどんな流れだよと突っ込みたくなるような甘い雰囲気のイベントシーンが流れると、みずきに限界が訪れた。
みずきは唐突に立ち上がると、
「帰る」
一言残して部屋を出て行った。頬も赤く染まりまるで熱でもあるかのような顔をしながら。
少ししてかなたはコントローラーを置き、ベッドに突っ伏した。
その顔は羞恥に染まり、苦笑いを浮かべていた。
「全く、耐性がないな……」
ひとりごちて、かなたはコントローラー手に取った。
ちなみにその不登校キャラは結局不登校のままで、主人公と恋仲になり、ひきこもりのままEDを迎えた。
余談だが、みずきは次の日から、熱を出してしまい寝込んでしまったという。