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ひきこもり×ネコ

 私は猫である。

 名前はゴロと飼い主に名付けられた。いつもゴロゴロしているからというのが、この名前になった理由だ。

 私は好きで日中の殆どを寝転がって過ごしていた訳ではない。縄張りである家を見回るという行為はさほど時間も掛からないし、終わってから他にやるべき事もないのだ。

 窓際に乗っかって景色を見たりするがすぐに飽きてしまう。窓の向こうの世界に行ってみたいのだが、主は、車という走る箱が危険だといって、行かせてはくれない。

 確かにあの箱にぶつかったりしたならば、私は無事では済まないだろうが、どうやらあの車という物は、基本的に道に敷かれた白い線の内側しか走れないらしい。気を付ければ大丈夫だと思うのだが、主は心配性である。

 だが主に養ってもらっている身の上、私は生まれてこの方家から出ることもなく過ごしていた。


 私が初めて窓の外側の世界を感じたのは昨日の事である。小さなケージに入れられ、それを主に抱えられ初めて外に出ることができた。

 外の世界は、窓から眺めるより果てしなく広いものだと、格子状の扉から観てそう思った。空気の清涼さも違う。

 そして主が危険だといっていた、車というものに乗せられた。主の子供達が楽しそうに主と会話を交わしていた。会話から、どうやら『温泉』というところへ行くらしい。あたたまるとも言っていたが、人間というのは寒さに弱いのだろうか。

 自分の黒い体毛が恨めしくなった夏が終わり、ようやく過ごしやすくなったばかりだというのに。

 そういえば、以前も家の中で家族揃って『温泉旅行』をすると話していたのを思い出していると、ガタンとケージが揺れた。驚いて隙間から窓の外を見ると、映る景色が早く過ぎ去っては消え、過ぎ去っては消えるのを繰り返す。車というのが走っているからだとすぐに理解した。私も、運動不足解消に家中を走っているときに見える光景と似ていたからだ。同時に、その後に主に怒鳴られたのを思い出してしまった……。


 車というのは、絶え間なく揺れ続ける物らしい。少しすると視界が揺らぎ、身体が寝起きの時のように気怠くなるのを感じていた。


 ようやく、揺れが止まるとケージごと私は運ばれ、主の家より年季の感じさせる家へと入ることとなった。ここに『温泉』があるのかと、私は未だ気怠い身体を起こし、扉が開けられたケージからノソノソと出て、主の側に座る。

 辺りを見回してみたが、主達の会話からすぐにここが『温泉』ではないと分かった。

 私は数日この家で過ごすこととなり、その間、主達が『温泉』に行くとのことだ。

 主が丁寧に頭を下げて、私をよろしくと言っていた。主の恥にならないように、私はこの家でおとなしくしようと誓った。




 私は目を覚まし、欠伸をした。

 居間は静かだ。家の者は出掛けると言って、帰りは夕方になるそうだ。

 窓から外を眺めると、陽は高い位置にある。朱い太陽になる時間まではまだあるようだ。

 静まり帰った居間から出て、私は台所へ向かう。この家は一通り見て回ったが、主の家とは違い、古めかしいという印象を持った。

 黒ずんだ柱で爪を研ぎたいという衝動に駆られたが、私は堪えた。怒られると分かっているからだ。

 この台所も、主の家とは違い解放感がある。主の家は“しすてむきっちん”というらしく、狭い中で調理をしているが、ここは横に長く広々としている。テーブルもあるが、食事はここで取るのだろうか。

 用意された水を飲んで咽を潤していると、キィとドアが軋む音がした。私はすぐに音の方向を振り向く。他人の家とはいえ警戒を怠りはしない。不審者であったならば、身を挺して立ち向かう心構えはできている。

 音がしたのは台所にあるドアで、そこからも外へと繋がっているらしかった。

「……あ」

 そのドアから入ってきた人を見て私は迷った。果たして不審者なのかと。人の方は私の姿を見て、僅かに口を開いて声を漏らした。

 私は野生にいたことがないのだが、野生の感といえばいいのだろうか。不審者というのは、ニオイで分かる。やましいニオイがするのだ。以前、主が夜遅くに帰宅した時もそんなニオイがしていた。酒臭くもあった。

 しかし、この人はそんなニオイはしなかった。だが、怪しくは見えた。嗅覚じゃなく視覚の話だ。

 人の顔の美醜は分からないが、その人は私のような滑らかな黒毛が長く伸びていて、片目を覆っている。肌の色も主と比べると白く身体も細い、私から見ても弱々しく感じた。

「…………」

「…………」

 互いに視線を合わしたまま数秒。

 私がどうするべきかと悩んでいると、その人は私と視線の高さを合わすようにしゃがむ。長い毛が床に広がった。

「……チチチ」

 と、小さく舌を鳴らして、か細い手を差し伸べてきた。毛の間から覗く顔には柔和な微笑が見え、私は警戒を解いてその人に近寄った。

「ニャア」

 私は挨拶をし(伝わってはないだろうが)、目の前で座ると、頭を優しく撫でられた。その撫で方は私の気持ちを解きほぐしてくれるかのようで、思わず喉を鳴らしてしまう。




 私はその人に優しく抱き抱えられ、とある部屋の前に来た。家の者は出掛けたと言ったが、留守というわけではない。

 人の年齢というのは私は大きさぐらいでしか判別できないが、この家の主の息子であろう男が一人居る。家の者が出掛けてから一度居間に来たのを見た。

 寝てる間でも物音には注意を傾けているし、その間にどこかへ出掛けたような音はしなかったから、この部屋にいるのだろう。

 だとすると、今私を抱き抱えているこの者は息子に会いに来たのだろう。雌雄は匂いが違うから分かるのだが、恋人……なのだろうか。

 それにしても、抱き方が主の子供達のように不快ではなく、むしろ心地良いといっていい。馴れていると見受けられる。

 部屋に入ると、暖かな陽光を嫌うようにカーテンが閉め切られていた。私の瞳孔が明るさに合わせ、針の細さから玉のように丸くなる。人間というのは暗い場所に適応出来ないようだが、何故そうしているのか私には分からない。

 だが、明かりはある。テレビが発光し部屋を薄ぼんやりと照らしている。その前に座る者は、一度こちらを見た後テレビと睨めっこをするように視線を元に戻した。

 ゲームというヤツだ。子供達がやかましく遊んでいるのをよく見る。

 私は部屋にあるベッドに降ろされ、とりあえずそこにお座りをした。女も隣に座り、頭を撫でられた。

「かなた」

 抑揚のない声で息子であろう者の名を呼ぶ。

 テレビを向いたまま、かなたは反応はないが、女は続けた。

「……この猫、どうしたの?」

 言って、視線を私に向ける。長い毛が、風に拭かれた猫じゃらしのように揺れて、私は手を出したい衝動に駆られたが我慢。

「ああ、預かったらしい」

 かなたはテレビを見たまま言う。子供達も同じように主の話に答えたことがあったが、目を見て話せと怒られていたのを思い出す。

「名前は?」

「ゴロ」

 思い出す仕草もなくアッサリとかなたは私の名を答えて見せた。私の記憶からするにかなたとその親との会話時に私の名前は出てこなかったはずだが。まるで私の視界外から息を潜めて会話を聴いていたかのようだ。

「ゴロ」

 母親のような優しげな声で名前を呼ばれ、私は返事をしてみせる。女はポンポンと膝を軽く叩いて、ここに来るようにと呼ぶ。

 私は膝の感触は嫌いではない。特にこの女はいい匂いがするし、まだ会ったばかりだが近くにいると落ち着く相手だ。だから、呼ばれた通りに膝の上に伏せる。一応だが私はメスである。念のため。


「昔、猫を世話してた事覚えてる?」

 そう言われ、かなたは顔を天井へと向け、

「ああ。懐かしい話だな」

「小三……だったよね。内緒で食べ物あげに行ったりして」

 かなたは身体をこちらに向け会話に集中する姿勢を見せる。私は寝たふりををしながら耳をピンと立ててそれを聴く。

「まあ、今にして思うと何故連れて帰らなかったんだかな。無意識に、否定されるとばかり考えてたんだっけか」

「……ウチはなぎさが猫アレルギーだったから……それでかなたのウチもなぎさが来たりするから無理だろうって」

「そうだった」

 猫アレルギーとはなんだろうと考えながら、私はウトウトと本当に眠りに陥り始めていた。絶えず撫でられる感触が睡眠導入を促してくれる。

「三ヶ月……くらいだったよね。姿見せなくなったの」

「春から夏にかけてだから、確かにそのくらいだな」

「……拾われたんだよね。きっと。今は元気かな?」

「まあ、まだ子猫だったし。元気でやってんだろ」

 子猫……か。心ない人間に捨てられるという話をテレビでやっていたことがある。親がいないまま自然で幼い猫が生き続けるのは困難だろう。その子猫は幸運だ。

「……名前、まだ覚えてる?」

「ダンデライオン。……よくそんな単語をあの頃のみずきが知ってたな」

 どうやらこの女はみずきというらしい。私もそんな名を欲しかった。ゴロだと安直すぎる。主には申し訳ないが。

「ん。天才だから」

「そか」

「……冗談。たまたま知ってただけ。たんぽぽが英語でそう呼ぶって」

「――――」


 その後も会話は続いてたようだが、私はグッスリと眠ってしまっていたようだ。

 警戒心を全て解いてしまい、まるで母親のような温もりと安心を感じながら。


 ……ところでこの二人は何故、家にずっといるのだろうか。

 カレンダーは赤や青い日でもないのに。

 不思議である。



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