ダークエルフのシャルロッテ
不定期に書いてる短編第4弾。
舞台となる世界観とか、専門用語的なのは設定集(https://ncode.syosetu.com/s2508g/)を見てちょ。
※カクヨムにて加筆版をあげています。
手向けられた花が、風に乗って色を舞い上げる。
静かな墓地の一角、そこに立ったダークエルフの男は、そっと顔を上げて。不意に、振り返ろうとしたその足を、その場に縫い付ける。
「あの…もしかして、お婆ちゃんの知り合いですか?」
彼の目に映った、幼いハーフエルフの女の子。
小さな冊子を持った、小柄な彼女を前にして。男は徐に立膝をつくと、そっと彼女の頭を撫でる。
「よくわかったね、お嬢ちゃん。おじさんの名前はミセリア。…このお墓で眠ってる、シャルの冒険者仲間さ」
無表情の顔とは対照的な、朗らかな口調。見る人が見れば、不気味に映るだろう光景。…で、あるはずなのに。
幼い彼女は、一瞬にしてその目を大きく見開くと、キラキラとした瞳で、冊子を彼に押し付ける。
「ミセリアおじさん!?…ってことは、お婆ちゃんのコレって、もしかして…」
ミセリアと名乗った男は首をかしげ、渡された冊子を手に取る。古びていて、それでいて温かなモノ。
彼は、そっとソレを開いては、僅かにその口角を上げる。
「お嬢ちゃん」
「んー?」
何処か訝しげに見えて、それでいて興味を孕んだ少女の瞳。
墓石の側、そんなベンチに腰掛けた彼は、手の中にある冊子を撫でると、ゆっくりと口を開けた。
「これが終わったら、少しだけおじさん話に付き合ってくれないかい?…なに、僕が知っている、幸せな女の思い出話さ」
★ー☆ー★ー☆
その出会いは特別でもなく。ただ、偶然が重なっただけの巡り合わせ。
世界樹の聳え立つこの世界に、1人の女がいた。
彼女の名はシャルロッテ。ダークエルフのシャルロッテ。この世界にいるありきたりな職、冒険者として、ありきたりな人生を送っていただけの、そんな女。
彼女に転機が訪れたのは、なんてことないいつもの冒険の帰り。パーティの仲間と別れ、宿の一室に腰掛けようとした、その時。不意に視界に入った姿見が、彼女の眉間を僅かに歪める。
「う、そ…」
見飽きるほど目にしてきた、自身の美しい顔。少しだけぼやけた視界が、その輪郭を変えているように見えて。「老い」の2文字が、頭に過っては平衡感覚を奪う。
生物として、ごく当たり前の現象──老い。ある一時期を終え、年齢とともに訪れるモノ。
ただ、齢1200歳を超えた彼女にとって。若い姿で、人生の大半を過ごす長寿種にとって。訪れたソレは、残りの「生」を意識する、宿命のようなもの。
尻餅をついた彼女は、たまらず部屋を飛び出した。
目的地は無い。ただ、現実を受け入れられなかっただけ。
仲間のダークエルフに頼ろうとして、ふとその足を止める。
ミセリアと呼ばれた彼の泊まる部屋の前。同じ種ならわかってもらえると思いかけて、ノブに伸ばした手が固まる。怖気づいたわけではない。彼の気質を思い出したのだ。
「──っ」
ダークエルフの男、ミセリア。長年パーティを組んでいてる彼は、どうしょうもなく現実主義者で、揺るがぬ意志を持っている。尤も、彼が意外と表情豊かであることは、120年ほど苦楽を共にした際に気づいたのだが。
そんな彼に話したところで、返ってくるのはなにか?同じ長命種である以上、理解をしてはくれても、シャルロッテが望む言葉が返ってくる訳がない。だからといって、ミセリアを除く他のメンバーは短命種。故に、それでは尚更意味が無い。
重い足を動かして、踵を返す。
例の如く、行く宛なんてものはない。ただ、一人でいたいだけか。はたまた、仲間の知らない何処かで吐き出したいだけか。
彼女にとって良い誤算だったのは、気配に気づいたミセリアが、その心情に当たりをつけていたことか。その後のパーティが混乱しなかったのは、そんな彼の機転である。…また、彼女が終ぞ知ることはなかったが、彼は、シャルロッテが思うよりもずっと、乙女心に詳しかった。
ーーー
持ち前の身体能力を活かし、町外れの森を抜ける。
郊外というのは危険で、人を襲う魔物が多い。が、しかし。1000年以上生きた彼女にとって、それらは最早羽虫同然であって。叩くようにあしらって、次々と死体へと変えていく。
時は既に、夕刻を過ぎた。既に沈んだ陽は、黒き影を大きく伸ばし、森中の彼女を暗く包み込む。
「なに、してるんだろ…」
溜息と共に漏れた、自分自身の呟き。
考え無しに飛び出してはみたものの、目的も無ければ明確な終わりも無い。…ただ、彼女にとって救いだったのは、この森に魔物が多く発生していたことか。本来であればそれはそれで大惨事であるが、今回ばかりはそうでもない。彼女の裏、積み上げられた死屍累々が、思考をリセットするのに一役買ったわけである。
星の配置を頼りにして、再び足を運びだす。
たしか、この先に水辺があったはずだ、と。一先ずの感情、それに伴う問題を後にして、その足は進んでいく。こちらの理由は単純、返り血を落とすための習慣であった、それだけのこと。
目算通り、河原を見つけては体を清めるシャルロッテ。水面に写る自身の姿は、1200年以上前から変わってないように見えて、それでも確かに、変化していた。
「こんなのって…」
あんまりだわ、なんて言葉を続けようとして、代わりに息が漏れる。
シャルロッテという女は、絶世の美女である。それは、美形の多いエルフやダークエルフの中でも、一線を画すものの。だからこそ、多くの男に言い寄られてきたし、薬や呪いを受けたことだってある。それこそ、同性に嫉妬という名の殺意を向けられたり。
不幸中の幸いだったのは、生まれつき耐性が強く、その一切が効かなかったということ。もちろん、性欲に塗れた視線を受けることは多かったが、それもミセリアと旅をともにして以降、めっきりと無くなった。まぁ、それは彼女の預かり知らぬところで、害がありそうな者達をミセリアが屠っていた、という話ではあるのだが。
兎にも角にも、彼女は自分が美しいということを知っていた。自身の武器として誇り、利用したこともある。─尤も、前提としては逆であり、シャルロッテは容姿を受け入れざるを得なかったというだけであるのだが。
そんな、やっかみしか産むことのない容姿。それ故に。彼女は恐怖した。老いによって、そんな呪いが消えるという事実に、喜びも含め、何も感じなくなっていたことに。
震える自身の手は、そんな内心の表れか。だからこそだろう。彼女にしては珍しく、周囲の警戒を怠ったのは。
──パキッ。
何処かで、枯れ枝の割れる音。
慌てて視線を動かして、音の鳴った方へと向き直る。
「ぁ───」
「っ───」
対岸の一角。なんてことのない獣道。
彼女と目が合ったソレは、思わず息を詰まらせて。そして、時が止まる。
──それは、一目惚れだった。
──それは、初恋だった。
偶然か、はたまた運命のいたずらか。生まれ落ちて1200年を超え、死を身近に感じた、この日。
──彼女の世界は色づいた。
ーーー
シャルロッテが、老いを自覚してから早数日。
いつも通り、仕事を終えた彼女達は、次の町に移るべく、宿にて荷造りをしていた。
「──シャル?」
「っ!?な、何よミセリア!?」
不意に、彼女を覗き込んでいたミセリア。彼女の名を呼んだ彼は、静かに腕組みをして、その瞳を閉じてみる。
「──いや、あの日からずっと、心ここにあらずだと思って」
ミセリアの一言。抑揚の無い彼とは対照的に、彼女は分かりやすかった。…尤も、もし、彼女が今の彼の表情を見れば、からかう時のソレであったとわかるのだけれども。彼女がそうしなかったのは、そんな心の余裕が無いことに他ならない。
一拍の間。
慌てて両手をバタつかせ、糸の切れた人形のように、ピタリとその動きをとめる。明らかに、図星を突かれた人間の反応。シャルロッテは静かに空を仰ぐ。
「一体、いつから気づいて──」
「僕の部屋を訪ねようとして、回れ右をした時から…かな?その後なんだろう?君がそこまで心変わりする出来事は」
最初からじゃない!なんて言葉を出そうとして、彼女の顔が熱を帯びる。よくよく考えれば、察しの良い彼が気付いていないはずもないし、取り繕うだけ無駄なことくらいわかっているのだ。尤も、今回の告白で決定的な部分に直接足を踏み入れないあたり、彼が気遣っていることだけはありありとわかるのだが。だからこそ、羞恥の2文字が脳裏を駆ける。
数秒の沈黙。
だんまりを決めるシャルロッテとは対照に、軽快に立ち上がるミセリア。これ以上待っても仕方ないと判断したのか、はたまた一度引いたほうが良いと判断したのか。いずれにせよ、側を去った彼は、いつの間にかまとめられた彼女の荷物を投げて、その部屋を後にする。
「はぁ…」
溜息が漏れたのは、急激に早まった鼓動のせいか。
頭に過ったのは、河原で見た男の姿。ミセリアの言っていた「心ここにあらず」という言葉は、とても正確に的を射ていて。離れない彼の姿が、再度顔に熱を集める。
ここ数日、ふとした時に思い返してしまう出来事。自覚のない一目惚れも相まって、肌を晒してしまったという、運命の悪戯としか思えないあの状況は、ある意味色恋とは無縁で、この歳まで生娘である彼女にとって衝撃的な一幕だった。故に、だ。その状況を何度も思い返しては、悶々とした夜を送ったのは言うまでもなく。そして、「老い」を思い出しては、張り裂けそうな痛みが襲う。
明らかに正常ではない。
あくまで客観的に、自分に言い聞かせる事実。尤も、彼女自身、それが初恋であることは、まだ自覚すらしていなかったけれども。
兎にも角にも、と。用意された荷物を持って、立ち上がろうとした時。不意に、ガサリと音を立てて、1枚の紙が落ちる。
「…なんでもお見通し、ね」
そっと拾い上げて、書かれた文字に目を通す。
見慣れたミセリアの筆跡。いつ書いたのかはわからない…が、シャルロッテの現状をよく理解した上で書かれた内容。紙で渡したのも、きっと彼なりの配慮なのだろう、と。あの無表情とは正反対の、彼らしい言葉が並べられたソレを目に、彼女はしっかりと立ち上がった。
ーーー
シャルロッテ達が訪れた町──その近郊の村に家を構え、自給自足をしていた青年。村民からアルと呼ばれ、親しまれていた彼は、あの日を思い出しては、自らの頭を掻きむしる。
それは、偶然の出来事だった。
森近くの畑が荒らされている、と。そんな報告を受け、若い衆と共に、森に入ったあの日。どういうわけか、導かれるように迷った彼は、河辺で女神を見た。
美しい褐色の肌に、引き締まりつつも少し熟れた肉体。その容姿から、彼女がダークエルフであると悟ったのは、家に帰ってからだ。それほどまでに、彼が目にした彼女の裸体は、そんな前提を忘れるほど強烈に焼き付き、印象に残っていたということ。
「──っ」
自室のベッドに寝転んで、押し殺すように息を漏らす。
思い返すのは、確かに彼女と目が合った、あの瞬間。その風貌もさながら、健全な青年であるアルにとって、それは衝撃的なものであって。早鐘を打つ鼓動が、地震のように主張する。
アルからすれば、夢幻のような一幕。これはきっと恋だ、と。そう自覚したのはいつだったか。彼が、焦がれた想いをなんとかまとめようとして、不意に鳴った呼び鈴が、その身体を叩き起こす。
「アルっ!起きてるかっ!」
鍵を開け、玄関に出るや否や、両肩を掴まれ聞こえる声。
起きてるかくらい見ればわかるだろ、なんて出かかった言葉を飲み込んで。アルは眼前の大男を宥めると、静かに息を吐いた。
「何のつもりですか、親方」
一瞬ニィっと口角を上げて、バシバシと背中を叩く大男。親方と呼ばれた彼は、しばらくアルを愛でると、すんとした表情へ戻る。
平々凡々なアルにとって、親方は師であり先輩である。かつて彼は、この村を守る自警団として、ありとあらゆる人に声をかけていた。そんな中で、偶々出会ったのがアルであり、その一切を伝授されたのである、と。
兎にも角にも、彼の師であること男。アルのもとへやってきた彼は、一度咳払いをしてみせると、改めて顔を向き直した。
「──朗報だアル!この村に、冒険者の方々が来てくださるそうだ!」
ーーー
アルの暮らす村。そこはよくある大都市近郊の村である。
大都市では、冒険者ギルドと呼ばれる支部が置かれ、派遣された冒険者達は、その周囲の森林草原にて活動することで、魔物の脅威を減らしていた。故に、冒険者とは一般に、対魔物においてはエキスパートである、ということが共通認識である。…尤も、世界の仕組みとして、魔物が常に発生し続けている以上、彼らだけで解決できるわけでもない。そのため、この村も含め、多くの村々には村民達で組織された自警団が存在するのだ。
さて、そんな自警団に所属するアルにとって、村にやってくる冒険者とはどのような存在か。
前提として、多くの村民、自警団員にとって、彼らの存在は救世主のようなものだ。自警団だけでは対処できず、脅威となる魔物から、民を守ってくれるのだから。尤も、プライドの高い自警団員の中には、それを許容できないものも一定数いるが。
アルの場合は前者であった。理由はありきたりなものであって、幼い頃、魔物に殺されかけた家族を救い、この村へと返してくれた冒険者がいた。故に、成長した彼は、自警団に入ったという経緯もある。ある意味では、この世界の当たり前を煮詰めたような内容。だからこそ、冒険者がやってきたということに彼が興奮しなかったと言えば嘘になる。
親方から話を聞いて数日。
何処となく歓迎ムードの自警団員に混じり、いつも通りに訓練場へと足を運んだアル。周囲の団員達の間では、そんな冒険者達の噂で持ちきりである。
──曰く、男女4人で構成されたパーティであること。
──曰く、単一パーティで飛竜の群れを落としたこと。
──曰く、絶世の男女が所属しているということ。
親方や村長と事務手続きを終えたのだろう。不意に、色めき立つ雰囲気が一瞬にして消え、4つの人影が、彼らの前に姿を現す。
歓喜する面々。憧れや尊敬の眼差しを向ける者達。そんな、彼らの中にいるはずなのに、アルだけはピタリと固まっていて。
「──ぁっ」
「──!!」
冒険者の一人と、反応が重なった。
彼の網膜に映る、あの日から焦がれた女神の姿。再び目が合った彼女は、一瞬だけ開けた口を閉じて、凛とした顔つきに戻る。
これは、死の目を前にしたダークエルフと、平凡な男の邂逅。ただ、背後並んだ無表情の男だけがひとり、それに気づいていた。
ーーー
ミセリアが一方的な告白をしてから数日。
ギルドの依頼を通じて、都市近郊の村へとやってきたシャルロッテの一行。馬車を降りて、長に案内された彼女達は、諸々の荷物を降ろし、自警団の詰所へと足を運んでいた。
思えばそれは、唐突の出来事だった。パーティのリーダー、ヒト族の男が持ってきたのは、近郊の村々をまわる調査依頼。内容にしては、現地の自警団と協力し、場合によっては狩りきれていない魔物を狩ること。移動こそあるものの、報酬の美味い仕事だ、とリーダーは語る。
当初、シャルはその依頼を受けるつもりは無かった。正確に言うなら、受けるほど心の余裕が無かったというべきか。だからこそ、ミセリアがその話に乗ったのは、彼女にとって意外だった。…彼女の心情を知る彼なら、そっとしておいてくれる、と。そう思っていたから。
未だに少々気が乗らないまま、仲間に付いては歩き出す。
仕事として、パーティで請け負った以上、心に折り合いをつけるべきだ、と。そう自分に言い聞かせて、流されるまま壇上に上がる。
──それは衝撃的だった。
シャルロッテにとって、2度目の邂逅。自警団の中から一点、そこに立つ青年と目が合った彼女は、思わず息を詰まらせて、すぐさま表情を整える。
忘れようとして、逆に焼き付いてしまった風貌。自身の姿に気付き、逃げ出してしまったあの日から、二度と会うことはないと思っていた男。彼女同様、視線が固定された彼を前にして、爆音で鳴る鼓動が、周囲と思考を乖離させる。
「良いかお前ら!彼らが今回、我々の調査に協力してくれる冒険者の方々だ。なんでも彼等はそれぞれ、単騎で飛竜を落とせる実力者。今日は自己紹介を終え次第、訓練を手伝ってくれる予定だから、皆気を引き締めるように」
村長から親方と呼ばれていた男の声が響く。続けてリーダー、ヒーラーの女がそれぞれ自己紹介をして、シャルロッテの横にいたミセリアが、前に出ては口を開ける。
「──僕はミセリア。見ての通りの盾役さ。…僕からは、陣形と連携について教えるとしよう」
相変わらずの無表情で、朗らかな声を出すミセリア。誰もが一瞬、不気味がったように顔を引き攣らせるのは仕方のないことだろう。
ゆっくりと、その視線を全体に向けた彼は、不意にシャルロッテの肩を叩くと、入れ替わるようにしてその身を引き下げる。
「君の番だよ、シャル。まずは、知ってもらうことからだね」
耳打ちされたミセリアの言葉。そして同時に、乖離していたはずの思考が、急速に肉体へと戻る錯覚。余計なお世話だ!なんて、いつものように声を上げようとして、彼がいる手前、なんとか飲み込み平静を装う。
冒険者として、幾度と無く経験してきたはずの名乗り。どうしょうもなく冷静でいられないのは、目先に映る男のせいに違いなくて。彼女は年甲斐もなく、少女のようにのどを震わせて、なんとか言葉を絞り出した。
「わ、私はダークエルフのシャルロッテ。パーティの近接担当よ」
──ガシャン、と。それ以上の言葉を遮ったのは、ミセリア背中からずり落ちた、彼の大盾。幸か不幸か、存在感を放ったソレは、赤面した彼女の表情を、彼以外から遮断した。
ーーー
しばし時は流れ、滞在から早2週間が経とうとしていた頃。調査の傍ら、自警団と共に行動していた彼女達は、思いの外村での生活に馴染んでいた。
──そう、シャルロッテ以外は。
いつものように訓練を終え、借家へと歩みを進めるシャルロッテ。
冒険者であることに加え、その美貌を持つ彼女は、男女問わず人気はあった。が、しかし。焦がれた彼と、未だに言葉を交わせずに過ぎる毎日。きっかけも作れず、ただ永遠と時間だけを浪費していく錯覚。恋愛を知らぬ彼女にとって、それは拷問に等しかった訳であって。
今日も今日とて、ベッドに倒れては顔を伏せる。
「どうして…」
うまく話せないんだろう、と。漏れた言葉は続かずに、舞い上がっては落ちていく。
仕事として割り切るならば、順調に進んでいる現状。しかしながら、それはある意味、この村に滞在する期限が近づいていることに変わりなくて。長寿である彼女に当てはめてしまうなら、文字通り一瞬で過ぎ去ってしまうほどの、短い時間。ただ漠然と。このままではダメな気がして。その実、臆病な彼女は、また一瞬を無意味に溶かした。
ーーー
転機が訪れたのは、彼女達が村に滞在してから一月が経とうとしていた頃。
その日、いつものように午前の訓練を終えた自警団の面々は、親方の呼び出しにより一箇所に集められていた。
曰く、森の気配が変わったという、村民達とミセリアの報告。それに伴い、訓練の成果確認も兼ねて森の調査をする、とのこと。
みんならできる、と。リーダーが太鼓判を押す傍ら、ミセリアは淡々とグループ分けを読み上げながら、静かに周囲を一瞥する。
「──午後は自由だ。各自、家族と休息を取るも良し。メンバーとの親睦を深めるも良し。有意義な時間を過ごし、明日に向けた準備をしておくように」
最後にそう言って閉めた、親方の言葉。
団員達は各々、指定されたグループで集まって、一つ、また一つと訓練場から去って行く。
「──どうしたのシャルさん?貴女も、今日はグループの方々と過ごしたらどう?」
立ち尽くしたシャルロッテに話しかけたのは、同パーティのヒーラーの女。
何処か心配そうに、顔を覗き込んだ彼女は、不意に目線の先を追いかけて、再びシャルロッテを一瞥する。
「もしかしてシャルさん、貴女は──」
「わ、わーわー!なんでもない!なんでもないから!」
まるで女児のような駄々。
女の勘──というよりはお粗末か。明らかに、動揺を隠せていないその姿を目にして、言葉を遮られた彼女は、思わず苦笑を浮かべる。
「本当になんでもない!なんでもないからね!」
意味も無く否定して、その場を離れるシャルロッテ。
そんな彼女を見送った女は、不意に腰に手をあてて、呆れたように息を吐く。
「──わざとなんでしょ、ミセリアさん?」
音も無く、呟いた女の横へ現れた無表情の彼は、明後日の方向へ顔を向け、静かに口を開ける。
「はてさて、なんのことか僕にはわからないな」
わかりやすく惚ける言葉。女視点からすれば確信犯で、それでいて彼らしい言葉。故に、この調査──ひいては、依頼を受けたその輪郭すらぼんやりと浮かび上がってきた気がして。はいはいそうですか、なんて軽く流した彼女は、軽く自らの頭を掻いて、ゆっくりと言葉を続ける。
「相変わらず、お節介な人」
「相変わらず聡いね。──褒め言葉として受け取っておくよ」
互いに口から漏れた、皮肉交じりな本音。女は、去ったシャルロッテを思い返しては、幾度目かの溜息を吐く。
ミセリア曰く、今回の編成はシャルロッテのために整えた舞台。調査は元々あったもので、自分はそこに便乗しただけである、とも。女からすれば、何処まで本当の事かはわからない。が、しかし。20年近く共に活動した経験が、彼ならやりかねない、と絶叫を上げる。
「──それで、貴方はどうするつもりなの?」
簡潔にして純粋な疑問。どうせ言葉を濁すだろう、と。そう分かっていても、聞き返さずにはいられなくて。ただ、好奇心に身を任せた彼女は、眉一つ動かぬ彼を徐に覗き込む。
──女は、この男が、シャルロッテを影から支えていることを知っていた。そして、その理由すらも、本人の口から聞いたことすらある。
リーダーやシャルロッテすら知らない、彼の事情。何故そこまでするのか、なんて知ってしまえば当たり前の理屈ではあったが…彼らに教えていないのは、わざわざ言いふらす必要も無かった、ただそれだけの話。故に、共犯意識のある彼女は、好奇心を隠さないのだ。
2人の間を抜ける静寂。或いは、しばらくの沈黙。
女を一瞥した彼は、どういうわけか、考え込むように腕を組む。
お膳立てはした。が、彼がしたことといえば、あくまでそれだけの話。前提となる条件自体は成り行きであるし、仕事である以上、自分も動く必要がありそうだ、と。そう結論付けた彼は閉じた瞼をゆっくりと開ける。
「──僕は僕で、ちょっと掃除でもしてくるさ。帰ってきた時に汚れていたら、それは嫌だろう?」
有無を言わさず、一方的に語っては響いた声。女の返事は無い。──否、返事を貰うよりも早く。無表情なソレとは対照的に、踵を返した彼の足が、気配と共に姿を消していた。
ーーー
シャルロッテは困っていた。明日の調査を控え、突如として与えられた休息に。
──メンバーと親睦を深める。
脳裏に過ったその言葉は、彼女にとって眼前の課題である。ここで言うメンバーとは、明日行動を共にする自警団の班分けされた面子であって。彼女の場合は、一対一でのペア形式──それも、件の青年が相手だったからに他ならない。
ヒーラーの女から逃げた足が、不意にピタリと止まる。
目的もなく動いた身体は、いつの間にか訓練場へと訪れていて。しんとした空気の中、同じ空間に残された人影が、彼女を見ては動きを止めた。
「───っ」
どちらともなく漏れた息が、重なり合っては消える。
今までの冒険ではできたはずの、他者とのコミュニケーション。口実ならある。…が、それ以上に踏み出せないのは、恋愛経験の無さ故か。目の前の男を前にして固まる光景は、何も知らぬリーダーが目撃すれば大いに笑うことは間違いなくて。
固まる彼女の傍ら、そっと近づいた男は、静かに拳を握りしめると、その口を開ける。
「…シャルロッテ、さん。明日はよろしくお願いします」
ぎこちなく差し出された手。あくまで社交辞令とも捉えられる、ありきたりな行動。尤も、彼にも多少の下心があるのだが、ソレを指摘できる者は、この場にはいない。
──ただ、シャルロッテ視点で考えるなら。彼がアクションを起こしてくれた、というこの事実。これは彼女にとって、劇薬にも他ならないモノである。が、しかし。幸か不幸か、早まる鼓動の正体を知らぬ彼女は、「老いのせいだ」と思い込むことで、なんとか平静を保ったのだ。
「よろしくお願いします。えっと──」
「アルでいいですよ」
「そう、よろしくお願いしますね。アルさん」
ここに来て、ようやくアルという名を知ったシャルロッテ。ぎこちなく繋がれた手は、微かに湿っていた。
ーーー
親睦を深める、と一概に言えど、その方法は多岐に渡る。自己紹介だけで済むような関係性もあれば、共に外出やゲーム、場合によっては身体を重ねるといったこともあり得るだろう。尤も、この彼らが住む時代の宗教倫理として、婚前交渉は悪魔に身を売る行為ではあるのだが…
閑話休題。
両片思い、そのうち片方が恋愛初心者であるというこの場において。彼女達からすれば、そのほとんどがハードルの高いものであるのは明確で。故に、アルの主導で村を案内するという、ありきたりなものになってしまったのは、ある意味必然と言えるだろう。とはいえ、極端に馴染めなかった彼女にとって、それは新鮮なものであったことは間違いない。
言葉を交わして村を巡り、飲食店で飯を食う。男女2人で出かけるという、所謂デート。好きあっているにも関わらず、互いに接してこなかった2人からすれば、ある意味楽園とも拷問とも言える時間。尤も、その原因は、歩幅を合わせてくれるとか、よく笑ってくれるとか、小さな発見が積み重なり、鼓動が爆音を奏でていたからに他ならないが。
特にトラブルがあったわけでも、イベントがあったわけでもなく。2人にとって夢現のような時間は、終わりを迎えようとしていて。日が傾きかけたこの瞬間、村外れの丘にて立ち止まったアルは、シャルロッテへと振り返る。
「シャルロッテさん」
俺達の村はどうでしたか、と。靡いた風が声を乗せ、彼女の耳をすり抜ける。
屈託の無い笑顔。夕陽に照らされたその顔は、微かに赤く染まったように見えて。それでいて彼女の心を、強く締め付ける。
生来の相性が良いのか、半日という時間で、距離が縮まった2人。まだ表面上しか知らない、だからもっと知りたい、と。どちらともなく、ただ無意識に伸ばしかけた手は、直前で空を切って。慌てて視線を逸らして、明かりの灯る村を見下ろす。
「いい村ね。…みんな、楽しそうだった」
先の言葉への返事。だからこそ、明日はよろしく、と。ぎこちなく笑みを浮かべた彼女は、隣の彼を流し見る。
画して、親睦を深めるという目的を達成した2人。シャルロッテにとって夢のようなひと時は、こうして静かに幕を閉じた。
──新たに生まれた想いを、その胸に残して。
ーーー
シャルロッテにとって人生初デートが終わった、翌朝。宿屋のベッドで目覚めた彼女は、いつものように降りては、その服を着替える。
舞い上がりそうなほど、妙に浮かれた感覚。そして同時に、心臓が締め付けられるような恐怖。まるで、姿見に映る自分が、彼女の心臓を掴んでいるようで。思わず砕こうと腕を上げ、息を吐いては拳を握る。
──この頃、自分はおかしい。
今更ながら呟いて、己に向かって問いかける。
老いを自覚したあの日、自分はソレに何も感じなかったはずである、と。故に恐怖したのだ、と。そうであったはずなのに。──今や、老いという事実を自覚する度、彼の姿が思い浮かぶと同時に、吐きそうなまでの痛みに見舞われている。
病気ではないか、と。ふと過った思考が、彼女の身体を突き動かす。ある意味では、恋煩いという重い病であることに変わりはないのだが…それを自覚するには、彼女は初々し過ぎたのだ。
無意識に動いた足は、ある種信頼の表れであろう。部屋を出ては、数階上下した先へと進む。立ち止まったのは、ミセリアが泊まる部屋。
同じダークエルフでありながら、不自然なまでに彼女よりも博識な男。決して彼女にとって、欲しい言葉をくれるような男ではないが──こういう不測の事態にて、彼に頼ると、大抵は解決してくれる。だからこそ、いつも通り、選択としては正しいはずであるのに、後ろめたく感じるのは何故か。ぐちゃぐちゃになりそうな思考のまま、その扉を叩こうとして。──不意に、伸ばした手が、ノブに触れることなく固まる。
「いない…?」
中からするはずの、人の気配が無い。
こんな時に、と。行き場のない逆恨みを吐き捨てて、彼女は踵を返す。
彼が昨日から帰ってきていないこと。ソレを彼女知るのは、それから数刻後のことだった。
ーーー
「──調査は予定通り行う。異論は認めない」
調査当日、その昼過ぎ。
彼等の集まった訓練場にて、淡々と述べる親方の声。曰く、我々の役割は、不測の事態が起きぬよう、調査をすること。悲観するのではなく、その事実を明らかにするのだ、と。彼の一言でまとまるのは、そのカリスマ性によるものか、或いは彼等の志しは、それほどまでに強固なものであったか。結果として、士気の上がった彼等。
では何故、今更ながらそんな事を言ったのか。それは、ベテラン冒険者であるミセリアが、昨日から姿を消しているということ。尤も、突如として消えた訳でもなく、先行して森に入ったというものだから、リーダーとヒーラーの女は、大した心配もしていなかったのだが。
画して、調査は始まった。
当初の予定通り、アルとペアを組み、森の中を進むシャルロッテ。ミセリアの件については、定期的彼が行方をくらますことはあったし、不安なわけではない。が、しかし。今回のタイミング──そう、彼女が頼ろうとした矢先にいなくなるということに、文句を言いたくはある。彼女にとって幸いであったのは、それによる思考リソースが組み代わり、動悸の原因を無視できるようになったことか。
兎にも角にも、2人は森を進み、シャルロッテ主導の物騒な調査へと、その意識を向ける。
──進につれ重くなる空気。
──行く手を阻む木々やツタ。
──そして、遠くで聞こえる魔物の咆哮。
各々ナックルと剣を構え、警戒しながら前進する。
調査は順調であった。魔物に出くわす度、シャルロッテの拳が突き動き、アルの剣が振り抜かれる。まるで共同体のように息が合うのは偶然か、はたまた運命か。一つ言えることがあるとするならば、この訓練期間中、アルのとてつもない努力が実を結んだくらいか。1000年を超える莫大な差のある彼女と、肩を並べるとまではいかずとも、最低限足手まといにならない程度には、彼は上澄みにいる。
閑話休題。
しばらく森を進んで、不意にシャルロッテの足が止まる。
彼女からすれば、明らかにおかしな気配。既に日が沈みかけ、野営スポットを探そうとした、その矢先に、それは起こった。
『────────────』
2人の死角から飛び出した1体の魔物。3つの目を持ち、鳥と飛竜を掛け合わせたような、歪なシルエット。一瞬動かなくなった身体は、その咆哮の影響か。ただ、この場においてそれは、致命的な隙と成りうる訳で。
「しまっ──」
──た、と。シャルロッテが動くよりも先に、後方へ飛んでいく…否、飛ばされた、アルの姿。折れた剣が地面に突き刺さり、その衝撃を物語る。
──恐怖。
木々がクッションとなり、かろうじて肉塊にならずに済んだアル。腕だけで済んだのは、硬直から抜け出してすぐに、剣で受け身を取ることができたからか。いずれにせよ、彼は既に戦力にはならない。
──恐怖。
冒険者として、何度も経験した仲間との別れ。1000年以上積み重ねたシャルロッテにとって、仕方が無いこと、とそう割り切って、感情を遮断することすら容易であったはずなのに。
──恐怖。
眼前の魔物を前にして、呼吸が止まったような錯覚。明らかに飛竜より強い、桁外れの存在。フルメンバーのパーティならまだしも、実質一対一というこの状況。彼女達にとって幸いだったのは、この魔物が生きたまま石化させた肉を食うという、少々特殊な習性を持っていたというべきか。
だからこそ、彼女は一歩踏み出して。
「逃げて──ッ!」
本当に、咄嗟の判断だった。ここでシャルロッテが負ければ、どちらも殺されてしまうのは確実であるというのに。…それでも、彼には逃げて、生き抜いてほしかった。
微かに、硬直状態から復帰した彼の身体が動く。そして同時に、コカトリスが第三の眼を閉じる。
──攻撃の予備動作。
飛び出していた彼女の身体は、そんな彼らの間に割り込んで。刹那、眩い光が、シャルロッテを包み込む。
──嗚呼、なんて浅ましい女なのだろうか。
生き抜いてほしいなんて、そんな綺麗事。もちろん本音ではあるが、それ以上に。自分と一緒に死んで欲しい、と。そう望んでしまったのは。
比喩でも無く、指先から消えてゆく感覚。後ろで叫ぶ彼の声は、最早聞こえることもなくて。
醜悪な魔物と対峙し、薄れゆく意識の中。シャルロッテは、ここにきて初めて、己の「恋」を自覚した。
ーーー
映るのは、アルと──名も知らぬ若い女の姿。そこは私のものだ、と。己の手を伸ばして、眼前のソレは霧散する。
──残されたのは、骨と皮だけの自分の手。
思わず尻餅をついて、突如として現れた姿見が、己の姿を映し出す。
声は出なかった。ただ、美とはかけ離れた醜悪が、コチラを覗き込んでいただけ。
激しかったはずの動悸が、声を潜める。
──まるで、自分がいない存在かのように。
「私と死んで」
ふと、老いぼれた声が響く。向かう視線の先、アルの前に立つ褐色の老婆。アレは私自身だ、と。無意識にそう理解した刹那、眼の前に現れた彼が、折れた短剣を振りかぶる。
痛みはなかった。ただ、切られたという事象が、彼女を壊しただけ。
指先から徐々に感覚も無くなり、動くことすらできない身体。冷たく、石のようになった自分を前にして、彼はそっと踵を返して。
幸せそうな横顔だけが、光の向こうへと消えてゆく。
ゆっくりと、自分だけを置き去って。
空間が白く、そして黒く、曖昧に歪んで、消えた。
ーーー
あの日、石化した彼女を背負い、ミセリアと共に村へ帰ったアル。シャルロッテが目覚めたのは、それから1週間が経った頃の話。
当初こそ、村民からの衝撃は大きく、共に行動したアルが責められたのは言うまでもない。が、しかし。共に帰ったミセリアが、彼等を説伏せたことによって、それは尾ひれがつく間もなく霧散した。
閑話休題。
アルにとって、シャルロッテとはどんな女か。そう彼が聞かれた時、彼は決まってこう答える。
──自分の命の恩人だ。と。
彼からすれば、自らの命を顧みず、コカトリスから自分を庇い、逃がそうとした人。それ故に。恋慕も、情欲も、それら全てをひっくるめて、より強く心に残ったのは当然の帰結であって。
だからこそ、目覚めたと聞いて真っ先に様子を見に行った彼は、眼の前の彼女の行動に、膝から崩れ落ちたのだ。
「どうして、こんな…」
ポツリと呟いたアルの声。どうやってここに来たのか、それすらも覚えていない状態。
ただ、この場を間借りしている主はそれを聞き、静かに肩へ手を乗せる。
「今は泣くといい。…大丈夫、誰にも聞こえなくした」
ダークエルフの男、ミセリア。まるで父のように、アルを抱き締めた彼は、優しい声音で、そう囁く。尤も、その顔は対照的なまでに無表情のままであるが。
それからアルが正気に戻ったのは、日が完全に沈む頃。人工的な明かりの下で、彼はポツリと言葉を紡いでいく。
曰く、顔を合わせるや否や、明確な拒絶をされたこと。まるで化物をみるような、怯えるような表情をした彼女が、自分を突き放したこと。
目覚めるまでの間、より強く恋慕を募らせた彼にとって、それは劇薬にも等しくて。そこからのことは、最早覚えていない、と。
魔導具の明かりが、不意に落ちる。突如として訪れた闇。
固まるアルを他所に、すくりと立ち上がったミセリアは、徐に窓を明け放って、懐から一つ、古びたロケットを取り出す。
「…少しだけ、僕の昔話に付き合ってくれるかい。アル君?」
脈絡も無く、そう口にしたミセリア。開かれたロケットに埋め込まれた、色褪せた中身が、月明かりをそっと反射させた。
ーーー
シャルロッテが目覚めてから早3日。あれからというものの、アルとの接触の一切を拒んだ彼女は、療養していた宿の部屋で、姿見に映る自らと対峙していた。
「…っ」
短命種からすれば緩やか、だがしかし、時間感覚の違う彼女からすれば、明らかに早い変化。夢で見た老婆を幻視しては、漏れ出た嗚咽を飲み込み唸る。
──どうしょうもなく、好き。
初恋を自覚した今のシャルロッテにとって、アルという男は特別だ。それも今や、一目惚れだけではなく、その内までも含めて。今もありありと思い浮かぶのは、親睦を深めると称した半日だけのデート。そこで見せた話し方も、笑顔も、彼女にとっては離れられないもので。だからこそ、幻想の中で2人、一緒に時を歩むという行為。それが脳裏に過る度、心臓が締め付けられるような錯覚を覚える。
──好きになんて、ならなければよかった。
想う度苦しくて、死ぬより辛い。
彼はまだ若者なのだ。老い先短い、老婆である自分が隣にいるべきではない、と。彼にはもっと相応しい相手がいるだなんて、そう言葉だけ取り繕って。その実、そこに人が立つことを、許容できない矛盾。…長く生きても、割り切れないものは割り切れない。故に、突き放した。
静かな嗚咽が部屋に響き、彼女の心を蝕む。
コンコン、と。不意に扉を叩く音がなり、地に伏せる彼女の耳へと、それが届く。
「今、大丈夫か?」
聞き覚えのあるリーダーの男の声。足音や気配から他の二人もいる。
どうぞ、と力無く声が漏れたのは無意識。少なくとも、来たのがアルで無かったことに、安堵を覚えたことは事実か。
ガチャりと開け放たれた扉から、3人の姿が顔を出す。一番最初に口を開けたのは、ミセリアだった。
「老けたね、シャル」
「────ッ!」
最も自覚していて、最も言ってほしくなかった言葉。乙女に対して言っていいことと悪いことがある、と。いつものように、思わず身を乗り出そうとして。すくんだ足が、その言葉を肯定する。
「ちょ、ミセリアさん!?」
「貴方ね、その言い方は──」
リーダーの男とヒーラーの女が、それぞれ口を挟む。やかましくも当然で、いつも通りの雰囲気。──で、あるはずなのに。そんな空気はすぐさま、沈黙によって覆い隠される。
「そうね…私ももう、寿命みたいだし」
何を言ってるんだ?とリーダーの男。変な冗談言わないでよ。とヒーラーの女。漏れた彼女の声に、各々違う反応をして、ようやく飲み込めたのか、2人はゆっくり音を止める。
幾度目の沈黙。それは彼女の肯定だった。戯言でも、冗談でもなく、呟いた言葉は真である、と。だからこそ、2人が絞り出そうとした言葉は迷子となって、音になるまでもなく、虚構へ飲み込まれたわけで。
「そういう意味じゃないよ、シャル。老いなんてものは、誰だって訪れる」
空気をぶち壊すように、尚無表情のまま響いたミセリアの声。明らかに文脈を無視したような、的外れな言葉。そんなものわかっている!と。ぐちゃぐちゃになった思考で、絶叫がまいに飛び出た音は、目を伏せた彼を前にして、虚構の底へと沈む。
恐怖とも、怯えるとも違う、得体のしれない焦燥感。ただゆっくり、目線の高さを合わせた眼前の男は。──本当は言うつもりは無かったが、と。ゆっくりとその瞳を、口を開かせる。
「──少なくとも、君が部屋を訪ねようとしたあの日から。君はずっと生き生きとしていた。生物としての老いではなく、今を生きる人間として、ね」
今の君は見ていられないよ、と。そう付け足した彼は、不意に伸ばした手を彼女の頭に乗せる。
──愛情の籠もった、温かく大きな手。最初に過ったのは、この歳になって、という心の呟きか。ただ、それ以上に。抑えることができなくなって。
数百年ぶりに、シャルロッテは泣いた。
ーーー
「──解散?それって、どういう…」
言葉通りの意味だよ、とミセリア。
シャルロッテが痴態を晒してから数刻。男女が気を利かせたのか、ミセリアと残された部屋の中に、彼女の声が反響する。
曰く、この依頼を終え次第、パーティを解散するというもの。元々彼らが部屋を訪れたのは、その話をするためだった、とも。尤も、その解散理由についてはリーダーの男やヒーラーの女の都合であり、今回のシャルロッテの剣が件が無くとも、前々より進んでいた話ではあったのだが。
なんで私には話さないのよ!と叫ぼうとして、そういうところだよ、とミセリアが返す。20年という、長命種たる2人にとっては刹那の時。それでも背中を預け合い、関わった日々は本物だ。故に。反論しようにも、確実に任務に影響が出ることは、過去の自分が既に証明しているため、開きかけた口を噤まざるを得なかったが。
閑話休題。
一通りの理由、今後の方針を聞き届けて、わかりやすく不貞腐れるシャルロッテ。先程まで泣いていたせいか、年甲斐も無く幼い様子の彼女を目に、ミセリアは溜息を吐いて、そっと立ち上がる。
「──まぁ、丁度いい機会かもしれないね」
曰く、冒険者を引退し隠居するものも多い、と。彼女とて、それを知ってはいたものの、何処か関係のないものに感じていた。…そう、今までは。
彼が提示したのは、ここで引退し、残り短い余生を別で過ごすのか。或いは、死ぬまで、共に冒険者を続けるものか。現実として立ちはだかった以上、最早無視できない選択肢。
立てていた二本指をそっとしまい、踵を返すミセリア。固まるシャルロッテを背に、彼は来た道をゆっくり引き返して。扉のノブに手を掛けようとした瞬間、不意に立ち止っては口を開ける。
「──悩んでいるなら、きっと悩む理由があるはずだろう?…どの道、選ぶのは君自身だ。素直になりな、シャル」
ガチャリと扉が閉まり、足音が遠退いていく。
全てを言わなかったのは、彼なりの優しさか。言葉の意味も、今は何故か、すんなり理解できるような気がして。だからこそ、勝手に結論づけて、一人残された彼女は、その場で天を仰いだ。
ーーー
パーティ解散の話をしてから数日。いよいよ、一月にわたる依頼が幕を閉じようとしている、そんな最中。
人伝に、そして今度は自ら、アルを呼び出したシャルロッテ。先日のデート、その最後を飾った丘の上。彼女の頬を、温かな風が通り抜ける。
手元の懐中時計を見れば、約束の時間まであと少し。彼女自身、珍しく寝坊をしてしまったものの、目的の彼の姿は、未だに見えない。
無意識に漏れ出た溜息。自ら突き放した手前、反故にされることだって、想定していなかったわけではない。…もしそうなれば、その時はその時だ、と。前日の夜まで悪夢に魘されていた彼女は、胸元に置いたてを強く握りしめる。
カチリ、と。時計の針が、約束の時刻を示す音。アルの姿は無い。
「──っ」
詰まった息が漏れる。締め付けられた胸が、脳に痛みを訴える。
覚悟はしていた。そう、したつもりだった。そうでもしなければ、また涙を零してしまうから。
視界がぼやけて、そして歪む。自分は泣いていない、なんて思考だけ気丈に振る舞って、弱々しい息が漏れる。
──嗚呼、なんて未練がましい女だろう。
ぼやけた景色が、待ち人を映し出したような気がして。この期に及んで尚、幻想を見るなんて、と。内なる自分が、その矛先を心臓に突き立てる。
「──シャルロッテさん」
耳に響いた、彼女の名を呼ぶ声。遂に、幻聴まで聞き出したか、なんて。虚ろな瞳に映る自分が、冷めた口調で吐き捨てる。
──なんて都合の良い夢。
確かに自分の懐中時計は、約束の時間をまわった。そこで来なかったということ。それは、彼女に対する明確な拒絶だ、と。そして同時に、自分のような老婆は、彼にとってその程度の存在であった、と。
徐々に大きくなる輪郭は、まるで自分を探し求めていた様子で。これは老婆の幻想だ、と。そう、思わずにはいられない。
「──なんとか、間に、合った…」
息絶え絶えの、輪郭のぼやけた男。そこで聞こえてきた言葉は、彼女にとって都合が良すぎて。有り得ない、と。脳がそう否定しようとした、その瞬間。
──不意に伸びてきた手が、彼女の手を掴んだ。
ーーー
シャルロッテに出会ってからというものの、アルには変化があった。同じ村民曰く、明るくなった、と。だからこそだろう。シャルロッテに拒絶されたあの日、アルの様子がおかしいと、村民が気付くのは容易だったわけで。
豊富な知識と話術によって、兼ねてより彼らの信頼を勝ち得ていたミセリアに、その相談が舞い込むのは、当然と言うべきか。これは本人の預かり知らぬ話ではあるが、村民達は言葉巧みに誘導して、彼に頼るよう仕向けていた、という事実がある。
閑話休題。
流されるように相談し、新たに気づきを得たアル。他の村民曰く、吹っ切れた顔をしている、と。そう言われるようになったのは、当然の帰結であって。
──シャルロッテからの、アルを呼ぶ話。
これを村民が受け止め、ちゃんと伝えたのは、アル自身の持つ生来の人徳か。気付けば本人達を他所に、村民は静かに、固唾を呑んで待機している状態。ある意味、外堀は埋まった。
その日、自室で飛び起きたアルは、目覚めるや否や、村の時計を確認して大急ぎで支度を済ませる。普段することの無い、最低限の装飾。…そして、相談した先々で受けた、少しばかりのエール。
最後に、兼ねてより頼んでいた小箱を受け取った彼は、指定された丘へと、その足を急がせる。
──もし自分が遅れて、彼女が既に帰っていたら?
今日の話を聞いてから、何度も見た悪夢。自分の隣で笑っていてほしい、と。心の何処かで思った、独占欲を否定するあの光景。今、それが脳裏を過ったのは、己の弱さの表れか。最悪の事態を想定して、『その時』の自分を守る、自衛的な妄想。何処までも、彼は彼女と似ていた。
息が切れる。丘に続く小道を走る。永遠にも思える、刹那の思考。速度を速めた足は、その頂上へと踏み込んで。不意にゆっくりと、その速度を落とす。
「──シャルロッテさん」
待ち人の名を呼ぶ。
──ここから見える村の時計は、約束時間の少し前。
彼は、息を整えるように吸い込んで。
「──なんとか、間に、合った…」
思いの丈と共に、吐き出す。
眼前に立つ彼女の、今にも自棄になりそうな顔。それは、彼女が拒絶したはずの自分がここにいるせいか。自分を呼んだことを、後悔しているのではないか。そんな、悪魔の囁きが微かに脳を駆け巡って。否定する材料は無い。が、それでも尚。同じ想いだったらいい、と。あの日、ここで見た笑顔を思い出して。
それ以上、何かを考えるよりも先に。伸びた手が、震える彼女の手を掴んだ。
ーーー
手から伝わるのは、温かな体温。ソレが妄想ではなく、ちゃんとそこにいるのだ、と。目尻に溜まった水滴が、ポツリと地面に落ちる。
「──来て、くれたのね?」
声は震えていた。
「あぁ」
力強い彼の首肯。都合が良過ぎる、これは妄想ではないか、と。そんな馬鹿げた妄想は、手から伝わる温もりが否定する。
──嗚呼、どうしょうもなく、好き。
彼が、呼び出された理由を問おうとした、その刹那。過ったその言葉が、彼女の鼓膜を震わせる。
考える度苦しくて、それでいて心地良い矛盾。貴方が私と、笑っていてくれたら、なんて。私だけの、貴方でいてくれたら、なんて。溢れ出た想いが、決壊したダムのように、彼女の殻を食い破る。
「──俺も貴女が、シャルロッテさんが好きだ」
耳心地の良い、妄想のような言葉。
ロマンチックな雰囲気も、ムードなんてものも置き去って。ただ返ってきたのは、最も自分が欲しくて、欲しく無かった言葉。だからこそ。
「──ごめんなさい」
彼女の言葉は思うよりもすんなりと出た。
これほどまでに好き。狂ってしまうまでに、好き。故に。老いぼれた自分が、最も相応しくない、と。彼には、もっと相応しい相手がいる、と。次々と並べた御託は、彼の手を振り払い、響く。
これで自分の恋は終わりだ。そう、諦めるはずだったのに。
「そんなことは無い!」
力強い、彼からの否定。心の何処かで待ち望んでいて、それでいて最も受容できない、呪いのような言葉。
私は見た目ほど若くない。ダークエルフとしても既に老い始めているし、残された時間も少ない。貴方はまだ若いから、こんな老婆よりももっと相応しい相手がいるはずだ。
まるで売り言葉に買い言葉。崩れた口調で、矢継ぎ早に並べられた言葉。彼の言葉を否定して、彼女自身の『好き』すら覆い隠す言葉。嘘でありながらも、紛れも無い本音の嵐。
一息で告げた彼女は、その場に崩れ落ちる。美しく、気高かった面影も無い、ただ惨めなだけの老いぼれの姿。これでよかったんだ、と。彼女は自分に、そう言い聞かせて。
──不意に、温かな彼の手が、彼女を強引に抱き寄せた。
「──っ、離して…!」
「嫌だ」
「離しt──」
「嫌だ!…絶対に、離さない」
意固地なまでに、独り善がりな拒否。
どうして…と。虫の鳴くような声は、埋もれた彼の胸に、当たっては消えていく。言葉とは裏腹に、身体から拒絶の気配は無い。
貴女が老い始めたことは知っている。それでも尚、貴女を好きでいるのは、俺の勝手だ。と。
囁くように、それでいて、己に言い聞かせるように。彼はひとつひとつ、言葉を紡いでいく。
「──だから、その残りの人生を。俺と一緒にいてほしい」
脳髄を刺激する、その言葉。一瞬だけ、身体が離れたと思えば。彼は小箱を取り出して、彼女へ向けて、開ける。
返事は無かった。ただ、そこに大粒の涙が落ちだだけ。
彼女の潤んだ瞳は、箱の中の輝きを捉えることができなくて。ゆっくりと、視線が彼へと移り変わる。
「ダークエルフの貴女にとっては、一瞬かもしれない。けど、ヒト族の俺からすれば一生なんだ。…できることなら、俺と一緒に死んで欲しい」
おおよそ愛の告白にしては、物騒な言葉。何処までも単純明快で、それでいて歪んだ言葉。普通なら重すぎると、そう拒絶される言葉である。…が、しかし。
──私と死んで。
彼女の脳裏に映ったのは、そう彼に問いかける老婆。何度も悪夢で見た彼女は、老いた彼と、その手を取り合って。そして寄り添うように、朽ち果てる。
彼女にとって、最も響く言葉。好きだとか、愛しているよりもずっと深く、彼を感じられる言葉。
頷きはしなかった。ただ、彼女の涙がそれを肯定していたから。
口は開けなかった。ただ、差し出した左手が返事を返したから。
彼女の薬指に、箱より出た輝きが移る。
──今、この瞬間。彼女の初恋は、終わりを告げた。
☆ー★ー☆ー★
「──画して、彼女は愛しい男と結婚。2人の子どもに囲まれて、同じ日、同じ時に息を引き取った。…と、そういうお話さ」
花を散らす風とともに、咽び泣く声が木霊する。
ゆっくりと腰を上げたミセリアは、広げていた冊子を閉じて。そっと、俯く少女の頭を撫でる。
彼が一通り語ったのは、100年程前の話。そして彼と、この少女にとって、かけがえのない家族の話。
穏やかな沈黙が、彼等を包む。まるで誰かが、抱擁をするかのように。
涙を堪え、自らの体液で顔をぐちゃぐちゃにした少女。ゆっくりと、ミセリアの手をどけた彼女は、己の涙を飲み込んで、腫れた目を開く。
──それは、小さな少女の、冒険の始まり。
──それは、愛によって紡がれた、未来のカタチ。
彼女を見据えたミセリアは、静かに息を吐く。この娘はあの娘に、よく似ている、と。だからこそ、自分はこんな昔話をしてしまったのかもしれない、と。
「──そういえば、名前を聞いてなかったね、お嬢ちゃん」
彼からすれば、ついて出た言葉。ただ、少女は目を見開いて、小さな身体を大きく張る。
「わたしはシャーロット!」
お婆ちゃんにあやかった、誇り高き名前よ、と。
そんな少女を眼前に、ミセリアはふと、静かに笑みをこぼした。
一途な愛を永遠に。(挨拶)
皆様こんにちは、赤槻春来です。
本作は短編ということで、私が普段書かないような男女に焦点を当てた作品にしてみました。
個人的には、こうして一緒に死ねる関係っていいよね…なんて思いながら書いていたりもします。
こんな駄文ですが、少しでも面白い、笑顔になれたという方は、感想などポチポチっとしていただけるとありがたいです。(私がとても喜びます)
ここまで読んでくださった皆様、興味を持ってくださった方々に心より感謝を。
また、何処かでお会いできたら幸いです。
それでは皆さん、ごきげんよう。




