表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/23

第1話「おやすみ/未練は?」

 殺人鬼と呼ばれているが、少女はひとりも殺していない。



 ◇



 三十分前。

 ルーシェは廃屋の入口に立ち、中を見ていた。

 窓のない部屋だ。月明かりも届かない。壁の隙間から夜風が吹き込み、蝋燭の炎が揺れていた。その炎だけが、闇の中でちろちろと踊っている。


 廃屋の隅に、男がいた。壁にもたれて座っている。


 骨と皮だけの体。擦り切れた服。目に光がない。頬はこけ、唇は乾いてひび割れている。呼吸をしているのかさえ、わからなかった。


 ギフトを持たない者は、こうして朽ちていく。誰にも看取られず、誰にも惜しまれず。


 男が顔を上げた。


 ルーシェと目が合う。


「な、なんだてめぇ……!」


 男が目を見開いている。当然だ。金髪碧眼の少女が鎌を持って立っている――そんな光景を見れば、誰だって驚く。


 死にかけていても、死にたくはない。それが人間だ。


 ルーシェは唇に指を当てる。


「しー」


 鎌の刃を男の首筋にそっと当てた。冷たい金属がその肌に触れる。喉仏がひくついた。


 男はこくこくと頷く。声も出せないらしい。その喉が上下するだけで、音にならない。


「そう、静かにね――二つ聞く。この世界に未練は? 待っている人は?」

「な、なんでそんなこと……」

「答えて」

「ひぃっ! わ、わかった。話す、話すから……!」


 男は長く息を吐いた。肩から力が抜け、壁にもたれ直す。抵抗する気が失せたのだろう。


「……いねえよ。女房も子供も、病で死んだ。俺を待ってる奴なんざ、どこにもいねえ。未練? んなもん、とっくに捨てた。もう何年も、こうやって生きてるだけだ。生きてるっつうか……息してるだけだな」

「そう」


 ルーシェの瞳が淡く光った。


 【天国への扉《Heaven's Door》】。


「おやすみ」


 鎌を振り下ろす。


 抵抗はない。刃が首を通り抜ける。空気を斬るように、滑らかに。


 首が落ちる。血飛沫が壁を染めた。


 同時に――壁が光る。


 血が意思を持ったように蠢き、文字を描いていく。


「R.J」


 手がわずかに震えていた。興奮が残っている。


 ――斬りたい。


 鎌を振るうたび、何かがうずく。もっと斬りたいという衝動。もっと。もっと。この体に刻まれた元のルーシェの名残だ。


 指が柄を握りしめる。視界の端が、赤く滲む。


 ――駄目だ。


 深く息を吐いた。指を一本ずつ、意識して開く。


 握りを緩めた。鎌が光になって消える。


 ルーシェは息を整え、壁の血文字に目を向けた。


 「R.J」


 ギフトの副作用だ。首を刎ねるたび、この文字が勝手に刻まれる。止めようと思っても、止められない。


 憲兵はこれを「Red John」と呼ぶ。違う。「Return Japan」――日本に帰す、という意味だ。誰もわかってくれないが。


 死体を見下ろす。


 これは抜け殻だ。魂は今頃、日本で目を覚ましている。傷ひとつない体で。


 男の顔に目が向いた。首から離れた頭。虚ろな目が、こちらを見ていた。


 ――くそ。


 頭をかきむしった。金色の髪が指に絡まる。


 ――なんか、飲みたい気分だ。


 壁の血文字に手を触れた。


 視界が白く弾ける。



 ◇



 次の瞬間、コンビニの前に立っていた。


挿絵(By みてみん)


 蛍光灯の光が目を刺す。ガラス越しに並ぶ飲み物。色とりどりのパッケージ。深夜なのに明るい。眩しいほど明るい。


 自動ドアをくぐった。


 冷房が肌を撫でる。さっきまでいた廃屋とは別世界だ。埃っぽい空気も、血の匂いも、蝋燭の揺らめきもない。清潔で、涼しくて、静かな空間。


 ――ああ、文明。


 レジの店員がこちらを見た。二十代くらいの男。目が合うと、すぐに逸らされた。

 雑誌コーナーの客も、ちらちらとこちらを見ている。


 ――また見てる。


 中身は三十二歳のおっさんだ。だが、今の自分は金髪碧眼の美少女で、深夜のコンビニに一人で立っている。前世なら心配する側だった。今は心配される側だ。視線を感じるたびに、背中がぞわぞわする。


 冷蔵棚の前に立った。


 ずらりと並ぶ飲み物。コーラ、サイダー、ジンジャーエール、エナジードリンク。どれも向こうの世界にはない。


 炭酸飲料を取った。黒いラベル。見慣れたロゴ。前世で何百本と飲んできた味である。


 レジに持っていく。


 店員がちらちらとこちらを見ながら、バーコードを読み取った。視線が、顔と手元を行き来している。


 ――見すぎだろ。


「百五十円です。――ありがとうございましたー」


 店員の声を背に、外に出た。


 ガラスに金髪の少女が映っている。缶を持って、立っていた。


 ――守る側から、守られる側になるって、こういうことか。


 なんか、落ち着かない。


 缶を開けた。プシュ、と小さな音。炭酸が弾ける匂いが鼻をくすぐる。


 一口飲んだ。


 炭酸が喉を刺す。甘さと苦さが舌の上で混ざり合う。胃に落ちていく冷たさ。


 ――これだよ、これ。


 一気に飲み干した。二分もかかっていない。


 空き缶をゴミ箱に投げ入れた。からん、と音がする。


 ――落ち着いた。帰るか。


 人気のない路地に入った。左右を確認する。誰もいない。


 右手に意識を集中した。淡い光とともに、鎌が手の中に現れる。


 壁に向かって、一閃。


 刃が空を切った。

 壁に、赤黒い文字が滲み出た。


「R.J」


 コンクリートの上でぬらりと光っている。日本でも、この文字だけは変わらない。


 文字に手を触れた。視界が白く弾ける。



 ◇



 廃屋に戻っていた。


 血の匂いが鼻につく。蝋燭の炎が相変わらず揺れている。死体は、そのままだった。


 廃屋を出る。


 崩れかけた家々。泥の路地。うずくまる人影。貧民街の夜だ。


 静かすぎる。虫の声すら聞こえない。生きる気力を失った者たちが、ただ息をしているだけの街。


 ルーシェは足早に歩いた。


 角を曲がると、老人が壁にもたれていた。眠っているのか、死んでいるのか。暗くてわからない。


 視線を逸らした。


 今日はもう三人送った。これ以上遅くなると、イリスが心配する。


 路地の奥で、子供の泣き声がした。


 すぐに止んだ。誰かが口を塞いだのか。夜に声を上げれば、何が寄ってくるかわからない。この街では、泣くことさえ許されない。


 足を止めそうになる。


 ――全員は救えない。


 わかっている。わかっているが、胸が軋む。


 ――明日また来る。その時まで、生きていてくれ。


 貧民街を抜けると、少しマシな街並みになった。まだボロいが、人が住める家がある。でも、日本と比べれば――どちらも地獄だが。


 小さな家が見えてきた。


 二階建て。壁はひび割れているが、屋根はある。温かい色の光が窓から漏れていた。


 イリスが起きている。


 玄関を開けた。


 台所から鍋の音がする。ことこと、と規則正しいリズム。湯気と一緒に、野菜を煮込む匂いが漂ってきた。


「ただいま」

「……風呂、沸かしてある」

「ありがと」

「早く入って」


 声は素っ気ない。でも、風呂を沸かしてくれている。口と行動が一致しない妹だ。



 ◇



 風呂から上がると、食卓にスープとパンが並んでいた。


 イリスはすでに席についている。スプーンを手に、こちらを待っていた。


「いただきます」

「セリア姉様の分、取ってある」

「今日も遅いの?」

「仕事」


 それだけ言って、イリスはスプーンを口に運ぶ。


 しばらく無言で食べた。


 イリスは背筋を伸ばして座っている。スプーンの持ち方も綺麗だ。セリアが教えたに違いない。


 ルーシェが音を立ててスープを啜ると、イリスが眉をひそめた。


「行儀悪い」

「ごめんごめん」


 ――すすらせてくれよ。日本人なんだから。


 とは言えない。言えるわけがない。


 野菜がたっぷり入ったスープ。人参、玉ねぎ、じゃがいも。味付けは薄めで、素材の甘みが出ている。セリアの好みだ。


「……美味しい」

「……当然」

「イリス、料理上手くなったよね」

「……別に」

「前はもっと塩辛かった」

「うるさい」

「ごめん、本当に上手になったよ」

「……セリア姉様が教えてくれた」

「そっか」

「……ルーシェは関係ない」

「はいはい」


 イリスと他愛もない話をしながら、食事を続ける。やがてイリスも最後のスープを飲み干し、二人で食器を流しに運んだ。

 

 イリスが隣に立ち、無言で洗い始める。ルーシェは布巾を手に取った。


 水音と、皿を拭く音だけが響く。窓の外は暗い。虫の声がかすかに聞こえる。


 ふいに、イリスが呟いた。


「……ルーシェ」

「ん?」

「……ルーシェ、変わったよね」


 ――気づかれた?


 手が止まった。背中を、冷たいものが走る。


「……そう?」

「前は……もっと怖かった」


 イリスの声は淡々としていた。でも、その目は真っ直ぐこちらを見ている。銀色の瞳。月明かりのような、冷たい光。


 怖かった。


 その言葉がルーシェの胸に刺さる。


 元のルーシェは、この子に何をしたのか。断片的な記憶しかない。怒鳴り声。泣き声。物が割れる音。でも、それだけで十分だった。


「……ごめんね」


 謝る資格があるのかわからない。俺は元のルーシェじゃない。でも、この体で生きている以上、責任がある。


 それ以外に言葉が見つからなかった。


「……別に。今の方がいい」


 しばらく、水音だけが続く。やがてイリスが布巾で手を拭い、台所を出た。


「……おやすみ、ルーシェ」

「おやすみ」


 イリスの足音が階段を上っていく。軽い足音。でも、どこか安心したような響き。


 ルーシェは窓の外を見た。星が出ている。向こうの世界と、同じ星。


 ――今の方がいい。


 その言葉が、胸に残る。俺がここにいていい、みたいに聞こえた。


 明日も、同じ日が続けばいい。


 窓の外の星を、しばらく見ていた。

 向こうの世界でも、今夜誰かが死んでいく。


 右手が、ふと動いた。鎌の柄を握るように、指が曲がる。


 ルーシェは、その手を、もう片方の手で静かに押さえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
うーん完全に支離滅裂な妄想に囚われてる系のイカれた悪役
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ