幕間 「祈りの裏側」
夜更けの王城は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
豪奢な客室の一室。
聖女ミレイユは、窓辺に立ったまま眠れずにいた。
昼間、あれほどの歓声に包まれたというのに。
祝福の言葉を浴び、王太子に手を取られ、未来を示されたというのに。
胸の奥は、重たいままだった。
「……どうして」
小さく呟く。
机の上には、今日贈られた花束がいくつも並んでいる。
色とりどりの花。
だが、甘い香りが息苦しい。
目を閉じると、思い出すのはあの微笑。
リゼリアの、静かな笑み。
怒りも涙も見せない、あの顔。
「怖かった……」
初めて会ったときから、分からなかった。
何を考えているのか。
何を望んでいるのか。
近づけば切られるような、冷たい美しさ。
だが今日。
あの一瞬、目が合ったとき。
そこにあったのは、敵意ではなかった。
――あなたは悪くない。
言葉にされなかったその気配が、胸に残る。
「ミレイユ」
扉が控えめに叩かれる。
「……はい」
入ってきたのは、侍女のフローラ。
年若いが、鋭い目をした少女だ。
「お休みになられませんか」
「少し、眠れなくて」
フローラは机の上の花束を見やる。
「皆、祝福しております」
「ええ」
「殿下も」
ミレイユは小さく頷く。
エドガーは優しかった。
温かい言葉をくれた。
『君は光だ』
その言葉は嬉しかった。
だが同時に、重い。
「光は……消えないでしょうか」
思わず零れた本音。
フローラの表情が一瞬だけ変わる。
「なぜそのような」
「もし、私の祈りが足りなかったら」
「足りなくなることはありません」
即答。
だがその声には、わずかな硬さ。
「今日の発表で、敵が増えました」
「敵?」
「アストレイア公爵家は、影響力が大きい」
フローラは低く続ける。
「彼女は、ただの令嬢ではありません」
ミレイユは唇を噛む。
「分かっています」
「では」
「それでも」
顔を上げる。
「私は、彼女を敵にしたくありません」
フローラの目が細められる。
「甘いお考えです」
「そうかもしれません」
ミレイユは窓の外を見た。
夜空に、星が瞬く。
「でも、彼女の言っていたこと……間違っていない気がするの」
「数字の話ですか」
「ええ」
施療院の拡充。
寄付金。
管理費。
彼女は詳しく知らない。
知らされていない。
「私は、ただ祈るだけでいいと言われている」
「それが役目です」
「でも、それだけで国は守れない」
昼間の、あの声が蘇る。
――水を差さなければ、火は城を焼きます。
胸が締めつけられる。
「フローラ」
「はい」
「施療院の帳簿を見せてもらえないかしら」
侍女の動きが止まる。
「それは」
「私も知りたいの」
光のままでいるのが、怖い。
何も知らないまま、祝福だけを受け取るのが。
「……殿下の許可が必要です」
「なら、お願いするわ」
ミレイユは決意したように頷く。
フローラは数秒、彼女を見つめた。
そして静かに頭を下げる。
「承知いたしました」
部屋に再び静寂が戻る。
ミレイユは窓を閉め、ベッドへ向かう。
横になっても、すぐには眠れない。
瞼の裏に浮かぶのは、夕暮れの城門。
馬車に乗り込む後ろ姿。
振り返らなかった彼女。
「……いつか」
小さく呟く。
「話がしたい」
敵としてではなく。
光と影としてでもなく。
一人の人間として。
星が瞬く夜。
王城の一室で、聖女は初めて数字のことを考えていた。
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