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悪役令嬢は玉座を望まない ―溺愛宰相と築く、破綻寸前国家の再建録―  作者: 花菱エマ


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第7話 「迎えの馬車」

 馬車が石畳を進む振動は、規則正しく、容赦がなかった。


 王都の外門を抜けると、喧騒は背後へ遠ざかっていく。夕暮れはすでに群青へと溶けはじめ、街道には松明の灯りが点り始めていた。


 リゼリアは窓辺に身を預けたまま、しばらく何も言わなかった。


 城は見えなくなった。


 それでも、胸の奥に残る重みは消えない。


「体調は」


 向かいに座るカイルが、静かに問う。


「問題ありません」


「感情の話です」


「それも問題ありません」


 即答。


 だが視線は窓の外のままだ。


 カイルはそれ以上追及しない。


 代わりに一枚の書類を差し出した。


「契約草案です」


 受け取り、目を通す。


 条文は簡潔だ。


 ・王国財政顧問としての任命

 ・政策提言の裁量保証

・政治的責任の分離

・身分と安全の保護


 そして最後に。


 ――任期は双方合意のもと解消可能。


「拘束しないのね」


「拘束は反発を生む」


「逃げられる可能性は?」


「あなたは逃げない」


 迷いのない断言。


 リゼリアはゆっくりと顔を上げた。


「どうしてそこまで」


「観察です」


 彼の灰色の瞳が、わずかに柔らぐ。


「あなたは役目を放棄しない」


「もう、役目はないわ」


「あります」


 即答。


「あなたは数字を守る人間だ」


 その言葉に、胸が微かに熱を帯びる。


 守る。


 王妃になる未来は失った。


 だが守るという役割は、まだ残っているのかもしれない。


「……対価は」


「我が国の安定」


「感情ではなく」


「信用」


 短い言葉。


 だが重い。


 リゼリアは書類を膝の上に置いた。


「一つ確認を」


「どうぞ」


「今日の発表を、あなたは予測していたの?」


 沈黙が落ちる。


 馬車の車輪が石を踏む音だけが響く。


「可能性としては」


「止めなかった」


「止める義理はありません」


 冷静な返答。


 リゼリアは小さく息を吐く。


「あなたは冷たいのね」


「あなたほどではない」


 ほんの僅かに、口元が上がる。


 冗談なのか、本気なのか分からない。


「ですが」


 カイルは続ける。


「あなたが孤立する未来は、計算に入れていなかった」


 その一言が、思いのほか胸に刺さった。


 孤立。


 それは、事実だ。


 民にも、王太子にも、理解されなかった。


 数字を示すほど、距離は開いた。


「私は孤立していない」


 反射的に言う。


「アンネリーゼがいる」


「侍女一人で国は支えられない」


「国は、もう私のものではない」


「あなたの“守る対象”は国ではなく未来だ」


 彼は淡々と分析する。


「場所は変わっても、本質は変わらない」


 沈黙。


 窓の外に、王都の灯りが遠く揺れている。


 あの中に、聖女と王太子がいる。


 祝福の声に包まれて。


「……彼を、憎んでいると思う?」


 ふいに問いが零れる。


 自分でも驚くほど素直な声だった。


 カイルは数秒考えた。


「いいえ」


「なぜ」


「あなたは憎むより先に計算する」


 図星だ。


「ただ」


 彼は続ける。


「失望はしている」


 胸が静かに痛む。


 否定しない。


「失望は、憎悪より厄介だ」


「どうして」


「修復の余地があるからです」


 その言葉の意味を、リゼリアはすぐには理解できなかった。


 馬車が緩やかな坂を上る。


 遠くに、隣国の街の灯が見え始めた。


「あなたは、私を利用する?」


「当然」


 即答。


「ですが」


 灰色の瞳が真っ直ぐに射抜く。


「同時に守る」


「矛盾しているわ」


「いいえ」


 彼は静かに言う。


「価値あるものは、壊さない」


 その言葉は甘くない。


 だが、確かな重みがあった。


 リゼリアは書類に視線を戻す。


 王妃という肩書は消えた。


 だが、財政顧問という役割が差し出されている。


 役目は、まだある。


「……一つ、条文を追加する」


「どうぞ」


「私の提言を退ける場合、理由を明示すること」


 カイルは即座に頷いた。


「合理的です」


「感情で切り捨てられるのは、もう御免よ」


 小さな本音。


 彼はそれを受け止める。


「我が国は、感情より契約を重んじます」


「素敵ね」


「居心地は良いはずです」


 皮肉とも本気とも取れない声。


 馬車が減速する。


 隣国の関所が見えてきた。


 リゼリアは最後に一度だけ、後方を振り返った。


 もう王都は見えない。


 それでも。


「……さようなら」


 小さく呟く。


 それは王太子への言葉か。


 王城への別れか。


 それとも、王妃になるはずだった自分への。


 自分でも分からない。


 カイルは何も言わない。


 ただ、静かに見守っている。


 馬車が止まる。


 新しい国の門が開く。


 冷たい夜風が流れ込む。


 リゼリアは深く息を吸い、顔を上げた。


 涙は、やはり出なかった。


 だが。


 胸の奥に、微かな灯がともる。


 ――まだ終わっていない。


 悪役令嬢の物語は。


 ここからだ。


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