第6話 「悪役の微笑」
城門が閉じる音は、思っていたよりも重かった。
低く、鈍い響き。
それは、ひとつの時代の終わりを告げる鐘のようでもあった。
リゼリアは馬車の前で立ち止まったまま、振り返らない。
振り返れば、きっと何かが崩れる。
「お嬢様」
アンネリーゼの声が背後から届く。
「荷は既に積んであります」
「……随分と手回しが良いわね」
「予測はしておりましたので」
侍女の声はいつも通りだ。
だが、その奥にかすかな怒りが滲んでいる。
「怒っているの?」
「いいえ」
即答。
「ただ、記録しました」
「何を」
「本日の出来事を」
リゼリアは小さく笑った。
「復讐でもする気?」
「必要があれば」
冗談ではない声音。
その忠誠が、胸に痛い。
「復讐はしないわ」
「なぜです」
「私は裁判官ではないもの」
そう言って、ようやく振り返る。
王城の塔が、夕陽に染まっている。
あの中で過ごした日々。
幼い頃の記憶。
王太子と並んで書物を読んだ時間。
『君がいれば安心だ』
あの言葉。
胸の奥で、ひび割れる音がする。
それでも。
顔には出さない。
「……泣かないのですね」
アンネリーゼがぽつりと言った。
「泣く理由がないわ」
「ございます」
珍しく、強い口調。
「理不尽です」
「理不尽ではない」
リゼリアは静かに首を振る。
「彼は彼の物語を選んだ。それだけ」
「では、お嬢様は」
問いが続く。
「何を選ばれますか」
その問いに、初めて言葉が詰まった。
選ぶ。
今まで、選んできただろうか。
役目を果たすことだけを考えていた。
王妃になる未来も、義務の延長だった。
だが今。
その未来は消えた。
残されたのは――自分。
「……分からないわ」
正直に答える。
アンネリーゼは目を伏せた。
「では、分かるまでお供いたします」
迷いのない声。
リゼリアはほんのわずかに視線を逸らす。
これ以上、優しさを向けられると、崩れる。
「ありがとう」
短く告げ、馬車へ足を向ける。
そのとき。
「お待ちください!」
高く澄んだ声が響いた。
振り向くと、純白の衣が駆けてくる。
聖女ミレイユ。
息を切らし、頬を紅潮させている。
護衛たちが慌てて追いかける。
「……何のご用かしら」
リゼリアは冷静に問う。
ミレイユは数歩手前で立ち止まった。
「わ、私は……」
言葉を探すように胸元で手を握る。
「こんな形で、婚約が解消されるなんて、望んでいませんでした」
その瞳は揺れている。
嘘ではない。
「お祝い申し上げます」
リゼリアは形式的に言う。
「違います!」
思わず声が強くなる。
周囲がざわめく。
「私は……ただ、殿下のお役に立ちたくて」
「立っているのでしょう?」
リゼリアは淡く微笑む。
「あなたは光です。殿下が選ばれた」
「でも、あなたは」
ミレイユの視線が揺れる。
「皆が、あなたを悪く言っています」
「それは事実に基づく評価ではないわ」
「でも!」
彼女の声が震える。
「怖かったんです。あなたが、何を考えているのか分からなくて」
その言葉に、リゼリアは一瞬だけ目を細めた。
分からない。
それは、拒絶よりも鋭い。
「私も、あなたが何を考えているのか分からなかったわ」
静かに返す。
「祈るだけで国が守れると思っているのか」
「思っていません!」
即答。
涙が滲む。
「私だって、不安です。皆が期待して、殿下が信じてくださって……でも、もし失敗したら」
声が途切れる。
リゼリアは、初めて彼女をまっすぐに見た。
光の象徴ではない。
ただの少女だ。
「……あなたは悪くない」
自然に言葉が零れた。
ミレイユが顔を上げる。
「選んだのは殿下よ」
「でも、あなたは傷ついた」
「傷ついていないわ」
即座に否定する。
だが胸の奥が痛む。
ミレイユは唇を噛んだ。
「いつか、話をしてください」
「何を」
「数字のこと」
その願いは、予想外だった。
「私は、何も知らないまま光でいるのが怖い」
風が吹く。
純白の衣が揺れる。
リゼリアは数秒、沈黙した。
そして。
「……機会があれば」
曖昧に答える。
それ以上は約束できない。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる聖女。
その姿を見て、リゼリアはふと気づく。
自分は彼女を憎んでいない。
ただ、違うだけだ。
「お戻りなさい。あなたは今、民の希望でしょう」
ミレイユは小さく頷き、城へ戻っていく。
夕陽が完全に沈みかけている。
「……甘いですね」
アンネリーゼが低く言う。
「そうかしら」
「敵になるかもしれません」
「なら、その時考えるわ」
リゼリアは馬車の扉に手をかける。
そのとき、後方から低い声。
「情に流されなかった点は評価します」
カイルだ。
「立ち聞きは趣味が悪いわ」
「情報収集です」
淡々と返す。
「彼女は不安定だ」
「ええ」
「利用されやすい」
「……そうでしょうね」
リゼリアは一瞬だけ目を閉じる。
「それでも、彼女は光よ」
「光は、燃料がなければ消える」
カイルの言葉は冷たい。
「その燃料が、あなたの数字だった」
沈黙。
「今後は、我が国のために使っていただく」
当然のように言う。
リゼリアは彼を見る。
「私は道具ではないわ」
「存じている」
「ならば」
「対等な契約を結びましょう」
差し出される手。
迷いのない灰色の瞳。
「あなたは私の隣に立つ。従うのではなく」
その言葉に、胸の奥で何かがほどける。
王太子の隣は、光の場所だった。
この男の隣は、影の中かもしれない。
だが。
影の方が、落ち着く。
「……契約書を」
「既に用意してあります」
カイルは薄く笑う。
リゼリアは馬車に乗り込む。
扉が閉まる。
動き出す車輪。
城が遠ざかる。
窓の外に広がる夕暮れ。
胸の奥に残る痛みは、まだ消えない。
それでも。
涙は出なかった。
彼女は悪役だ。
悪役は、物語の外で泣く。
そう決めたのだから。
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