第4話 「契約の国から来た男」
公開式典の熱気が城内にまで流れ込んでくる頃、王城西棟の応接室は対照的な静けさに包まれていた。
重厚な扉の前で、リゼリアは一瞬だけ歩みを止める。
「隣国宰相、カイル・ヴァルディス様がお待ちです」
侍従が告げた。
「通して」
扉が開く。
窓際に立つ男の背が、ゆっくりと振り返った。
深い紺の外套。銀糸の縁取り。無駄のない仕立て。夜のように暗い髪と、静かな灰色の瞳。
彼の第一印象は、刃だ。
抜かれてはいないが、常に研がれている。
「お久しぶりです、リゼリア嬢」
低く落ち着いた声。
「三年ぶりかと」
リゼリアは優雅に一礼する。
「ご健勝のようで」
「あなたも」
短い応酬。
だが互いに視線を外さない。
カイルはゆっくりと机に置かれた書類へ目を落とした。
「施療院の追加予算案。閲覧しても?」
「すでに回覧されているはずです」
「ええ。ただ、あなたの試算を」
彼は一枚の紙を持ち上げる。
そこには、リゼリアの手で書き込まれた五年後予測。
――国庫準備金、枯渇。
「大胆だ」
「事実です」
「三年後ではなく?」
リゼリアの瞳がわずかに揺れる。
「……最短で三年」
「やはり」
カイルは小さく笑った。
「あなたの数字は、相変わらず正確だ」
「評価は不要です」
「そういうところが」
彼は言葉を切る。
「誤解を招く」
静かな指摘。
リゼリアはわずかに眉を寄せた。
「誤解?」
「あなたは常に正解を示す。だが、人は正解よりも共感を求める」
「共感で赤字は埋まりません」
「ですが、共感がなければ正解は採用されない」
王太子と同じことを言っている。
だが声音が違う。
責める響きはない。
分析だ。
「あなたは、今も王太子殿下を支えるつもりですか」
カイルが問いかける。
「それが役目です」
「役目、ですか」
彼は窓の外に目を向けた。
遠くから歓声が届く。
「今日、発表があると聞きました」
「ええ」
「内容は」
「知らされておりません」
その言葉に、カイルはゆっくりと視線を戻した。
「……それは、興味深い」
「どういう意味です」
「財政に影響する決定であれば、あなたを通すはずだ」
「理想論です」
「いいえ。合理です」
彼は机に書類を戻す。
「あなたを外すということは、数字より物語を選ぶということ」
リゼリアは何も答えない。
だが胸の奥に冷たい予感が広がる。
「リゼリア嬢」
「はい」
「もし」
カイルはわずかに声を落とした。
「あなたの正しさが、この国で不要とされたなら」
空気が張り詰める。
「その時、あなたはどうしますか」
即答できない。
役目を失った自分を、考えたことはなかった。
「……不要とされる理由がありません」
「ありますよ」
あっさりと返される。
「人は、都合の悪い真実を嫌う」
彼の瞳は冷静だ。
だが、その奥にわずかな熱がある。
「あなたは、真実を持ちすぎている」
それは、賞賛か警告か。
リゼリアは静かに背筋を伸ばした。
「私はこの国の人間です」
「ええ」
「逃げる気はありません」
「逃げる、とは言っていない」
カイルは一歩近づく。
距離が縮まる。
「価値ある者を、価値ある場所に置く。それが私の仕事です」
低い声。
「あなたの価値は、この国だけのものではない」
その言葉に、リゼリアの心臓がわずかに跳ねた。
「……引き抜きの打診ですか」
「将来的な提案です」
彼は微笑む。
それは柔らかいが、計算された笑み。
「あなたが選ぶなら、私は受け入れる」
「選ばない場合は」
「その時は」
一瞬、彼の瞳が鋭くなる。
「別の手を考える」
意味深な言葉。
リゼリアはじっと彼を見つめた。
「あなたは、何を読んでいるのですか」
「潮目です」
「この国の?」
「あなたの」
不意を突かれ、息が詰まる。
カイルはそれ以上踏み込まない。
「午後の式典、拝見させていただきます」
「お好きに」
「楽しみですね」
「何が」
「物語の続きが」
彼は一礼し、窓辺へ戻る。
リゼリアはその背を見つめた。
この男は、味方なのか。
それとも。
ただ、盤面を読んでいるだけの観測者か。
扉の外から、再び歓声が上がる。
エドガーの声が遠くに響く。
「……始まるわね」
リゼリアは小さく呟く。
カイルは振り返らずに言った。
「ええ。あなたの物語が」
その言葉が、妙に耳に残った。




