第3話 「聖女と祝福の光」
午後の王城は、祝祭の匂いに包まれていた。
中庭には白い天幕が張られ、花で飾られた簡易の壇が設えられている。城下から集まった民衆が波のように押し寄せ、期待に満ちたざわめきが絶えない。
リゼリアは二階回廊から、その様子を見下ろしていた。
「……随分な人出ね」
「ええ。施療院で治療を受けた者たちも多く招かれているようです」
隣に控えるアンネリーゼが淡々と答える。
壇上に、王太子エドガーが姿を現した。
歓声が上がる。
続いて、純白の衣を纏った聖女ミレイユが現れると、歓声はさらに大きくなった。
陽光を受けて淡く輝く金の髪。透き通るような白い肌。薄桃色の唇が柔らかく微笑む。
――祝福の光。
誰かがそう呼んだのを、リゼリアは思い出す。
ミレイユが小さな子どもの手を取り、優しく膝を折る。
「もう大丈夫ですよ」
穏やかな声が広場に響く。
その瞬間、空気が変わる。
民衆の表情が、救われたように緩む。
リゼリアは目を細めた。
あの声は、確かに力を持っている。
数字にはない力。
「……お嬢様」
「分かっているわ」
アンネリーゼが何を言おうとしたのか、察している。
嫉妬ではない。
羨望でもない。
ただ、事実だ。
民は彼女を求めている。
王太子はその中心に立っている。
リゼリアは、そこにいない。
壇上でエドガーが語り始める。
「我が国は今、新たな時代を迎えようとしている!」
拍手。
「聖女ミレイユの奇跡は、多くの命を救った!」
歓声。
「私は、この光をさらに広げたい!」
熱狂。
リゼリアは静かに息を吐く。
予算案を思い浮かべる。
施療院の増設。治療師の育成。地方派遣。
善意は、拡大する。
同時に、支出も。
壇上でミレイユが一歩前に出た。
「皆さまのおかげです」
控えめに頭を下げる。
「私は、ただ祈っただけ」
その言葉に、涙ぐむ者もいる。
リゼリアは、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
ただ祈っただけ。
その“だけ”の裏で、どれほどの金が動いているか。
どれほどの帳簿が赤く染まっているか。
ミレイユは、それを知らないのだろう。
あるいは――知ろうとしていない。
ふと、聖女の視線が上がった。
二階回廊。
リゼリアと目が合う。
一瞬、驚いたように瞬きをし。
次いで、ほんの僅かに怯えが浮かぶ。
――冷酷令嬢。
その噂を、彼女も聞いているのだろう。
リゼリアは、ゆっくりと微笑んだ。
敵意ではない。
ただの礼儀として。
だが、ミレイユは小さく肩を震わせた。
すぐにエドガーが隣に立ち、彼女を気遣うように声をかける。
その様子に、再び歓声が上がる。
「お嬢様」
「……ええ」
リゼリアは視線を逸らした。
胸の奥が、わずかに軋む。
あの場所に立てた未来は、確かにあった。
幼い頃。
庭園で転んだエドガーが泣きそうになりながら言った。
『君がそばにいてくれれば、安心だ』
小さな手を握られた記憶。
あの時、彼の隣に立つ未来を疑わなかった。
だが今。
彼の隣にいるのは、光を纏う聖女。
自分は、影だ。
「……無意味ね」
過去を思い返しても、数字は変わらない。
壇上でエドガーが声を張り上げる。
「本日、皆に新たな希望を告げる!」
ざわめきが広がる。
リゼリアの背筋に、冷たいものが走った。
まだ内容は聞いていない。
だが直感が告げる。
これは、転機だ。
エドガーはミレイユの手を取り、掲げた。
「我が国は――」
その言葉の続きを、リゼリアは聞かなかった。
「アンネリーゼ、戻るわ」
「よろしいのですか」
「ええ」
踵を返す。
歓声が背後で大きくなる。
祝福の声。
希望の叫び。
階段を降りながら、リゼリアは小さく呟いた。
「人は、真実より物語を愛する」
そして今日。
この国は、ひとつの物語を選ぼうとしている。
その物語に、彼女の居場所はない。
だが。
物語が破綻したとき、残るのは数字だ。
そのときまで。
彼女は、帳簿を握り続ける。
冷たいと呼ばれても。
悪役と囁かれても。
王城の廊下を、静かに歩いていく。
背後の歓声は、やがて扉に遮られた。
静寂が戻る。
リゼリアは立ち止まり、目を閉じる。
――もし。
ほんの少しだけ、違う道を選べたなら。
その問いは、すぐに切り捨てる。
必要なのは感傷ではない。
必要なのは計算だ。
彼女は再び歩き出す。
やがて訪れる嵐を、まだ知らぬまま。
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