第17話 「削るという罪」
公表は見送られた。
だが噂は、帳簿よりも速く広がる。
施療院第三支部の一時閉鎖。
補助金の段階的削減。
横領疑惑。
断片的な情報が、市場と酒場を駆け巡った。
そして三日後。
広場に人が集まり始める。
「施療院を守れ!」
「聖女様を傷つけるな!」
「冷酷令嬢を追い出せ!」
叫びは混ざり合い、やがて一つの怒号になる。
王城の上階からその様子を見下ろし、クラリスが呟いた。
「来たな」
リゼリアは黙って頷く。
「削減案の正式発表は予定通りですか」
「ええ」
「延期すれば沈静化する可能性もある」
「延期すれば、不信が深まる」
短い応酬。
広場ではすでに衛兵が配置されている。
だが数は多い。
怒りは、数を増やす。
「……前に出る気か」
クラリスの視線は鋭い。
「はい」
「危険だ」
「知っています」
窓から視線を外し、歩き出す。
「削るのは、私の役目ですから」
階段を下りる。
重い扉の前で、カイルが待っていた。
「止めに来たわけではありませんよ」
「でしょうね」
「ただ確認だ」
灰色の瞳が射抜く。
「あなたは今、象徴だ」
「ええ」
「倒れれば、計画は崩れる」
「倒れません」
「保証は」
「信用」
短く答える。
カイルはわずかに息を吐く。
「無茶だ」
「合理的よ」
扉が開く。
怒号が押し寄せる。
石が一つ、足元に転がる。
「出てこい!」
「説明しろ!」
リゼリアは一歩、前へ出た。
衛兵が制止しようとするが、手で制す。
「下がって」
広場に立つ。
風が強い。
怒りの熱気が頬を打つ。
「補助金を削るな!」
「命を奪う気か!」
罵声が飛ぶ。
リゼリアは声を張り上げない。
静かに、だがはっきりと。
「削ります」
一瞬、ざわめきが止まる。
「冷酷だ!」
「人殺し!」
石が飛ぶ。
肩に当たるが、動かない。
「削ります」
繰り返す。
「今のままでは、三年後に施療院は全て閉鎖される」
広場が揺れる。
「嘘だ!」
「本当です」
懐から一枚の紙を取り出す。
「国庫準備金の残高。歳出推移。寄付金の実態」
数字を読み上げる。
「あなた方に嘘はつきません」
怒号は続く。
だが耳を傾ける者もいる。
「なぜ今まで隠していた!」
「隠していません」
視線を王城へ向ける。
「公表が遅れただけです」
責任を押し付けない。
だが逃げない。
「私は冷たいと言われています」
広場が静まる。
「ええ、冷たいでしょう」
石が止まる。
「ですが、嘘はつきません」
風が吹き抜ける。
「削るのは罪です」
はっきりと言う。
「目の前の希望を奪うから」
数名が目を伏せる。
「でも」
一歩踏み出す。
「削らなければ、すべてを失う」
沈黙。
「私は、嫌われても構いません」
声は震えない。
「あなた方が三年後も施療院を使えるなら」
誰かが小さく言う。
「本当なのか」
「本当です」
「証拠は」
「ここにある」
紙を掲げる。
「必要なら、公開監査を行う」
ざわめきが変わる。
怒りから、不安へ。
その時。
広場の奥から、白い影が現れた。
ミレイユ。
ざわめきが広がる。
「聖女様!」
彼女はリゼリアの隣に立つ。
「……彼女の言葉は事実です」
広場が凍りつく。
「私の名を使い、不正がありました」
ざわめきが波のように広がる。
「私は、それを正します」
声は震えている。
だが逃げていない。
「だから、どうか」
拳を握る。
「もう少しだけ、信じてください」
沈黙。
怒号は小さくなる。
すぐには収まらない。
だが暴動には至らない。
火は、完全には燃え上がらない。
リゼリアは小さく息を吐いた。
隣を見る。
ミレイユも、震えている。
「ありがとう」
小さく呟く。
「私も逃げません」
短い言葉。
広場はゆっくりと解散し始める。
完全な勝利ではない。
だが崩壊は避けた。
王城の上階で、エドガーはその光景を見ていた。
拳を強く握り締めながら。
削るという罪。
それを背負う覚悟がある者だけが、前に立つ。
冷酷令嬢は、再び民の前に立った。
そして光は、影と並んだ。




