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告知義務外物件  作者: 菊池まりな


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第8話 掲載拒否

報告書を提出してから、3日間、矢崎から連絡がなかった。


私は、その間に事故物件情報サイトへの掲載文を準備していた。


大島てる系のサイトに載せるなら、こういう文面になるだろう。


東京都杉並区荻窪○-○-○ コーポ青葉203号室

過去の入居者が退去後、行方不明。詳細不明。


でも、これでは不十分だ。


「行方不明」では、事実を伝えていない。


私は、何度も書き直した。


過去の入居者の存在が、退去後に確認できなくなっている。


いや、これも曖昧だ。


入居者が、部屋から出られなくなっている可能性。


でも、これでは誰も理解できない。


私は、キーボードから手を離した。


何をどう書いても、この現象は言語化できない。


そして──


もし掲載したとして、誰が信じるのか。


その時、電話が鳴った。


矢崎だった。


「お疲れ様です。報告書、拝見しました」


「はい」


「それで……少し、お話があります」


彼の声は、緊張していた。


「今からお時間ありますか」




1時間後、私はエリアプランニングのオフィスにいた。


会議室には、矢崎の他にもう一人、スーツ姿の男性がいた。


「こちら、当社の法務担当の者です」


法務担当は、40代くらいの男性。表情は硬かった。


「報告書を拝見しました」


彼は、私の報告書を机に置いた。


「結論から申し上げます。この内容での掲載は、お控えいただきたい」


私は、予想していた反応だった。


「理由を教えていただけますか」


「まず、法的根拠が不明確です」


法務担当は、冷静に説明を始めた。


「告知義務が発生するのは、『心理的瑕疵』が明確な場合です。自殺、他殺、孤独死など、客観的な事実がある場合」


「はい」


「しかし、この報告書には客観的な事実がありません。警察記録なし、救急記録なし、死亡届なし」


「でも、前入居者が行方不明です」


「行方不明届も出ていません」


法務担当は、眼鏡を直した。


「つまり、法的には『何も起きていない』んです」


私は、反論した。


「でも、実際に3人の入居者が、退去後に消えています」


「『消えた』という証拠はありますか」


「証言があります」


「証言だけでは、法的根拠になりません」


法務担当は、報告書を指差した。


「それに、この『音』についても同様です。録音はされているが、それが何なのか証明できない」


「でも──」


「仮に」


法務担当は、声のトーンを変えた。


「仮に、この内容を掲載したとします。どうなると思いますか」


私は、黙った。


「誰も信じません。むしろ、当社の信用を損ないます」


彼は、腕を組んだ。


「『エリアプランニングは、根拠のない噂で物件を事故物件扱いする会社だ』と」


矢崎が、口を挟んだ。


「でも、実際に何かが起きているんです」


「何が起きているんですか」


法務担当は、矢崎を見た。


「説明できますか。法廷で、裁判官に説明できますか」


矢崎は、黙った。


法務担当は、私に向き直った。


「この物件について、当社は『告知義務なし』と判断します」


「理由は?」


「客観的事実が存在しないからです」


私は、立ち上がった。


「では、次の入居者が同じ目に遭ったら?」


法務担当は、表情を変えなかった。


「その時は、その時に対応します」


「同じことが起きるんですよ」


「それは、仮定の話です」


彼は、冷淡に答えた。


「ビジネスは、仮定では動きません。事実で動くんです」


私は、矢崎を見た。


彼は、俯いたままだった。


「矢崎さん」


「……すみません」


彼は、顔を上げなかった。


「会社の方針には、従わなければならないんです」


私は、深呼吸をした。


「分かりました」


そして、鞄を手に取った。


「では、私の調査は、ここまでということで」


「はい。報酬は、規定通りお支払いします」


法務担当は、立ち上がった。


「それと……」


彼は、私を見た。


「この調査で得た情報を、他所で公開することは控えていただきたい」


「それは、口止めですか」


「いえ、お願いです」


彼は、名刺を差し出した。


「もし何か問題があれば、すぐにご連絡ください」


私は、名刺を受け取った。


そして、会議室を出た。




エレベーターに乗ると、矢崎が追いかけてきた。


「待ってください」


彼は、息を切らしていた。


「すみません。本当に、すみません」


「謝らなくていいです」


私は、エレベーターのボタンを押した。


「矢崎さんは、仕事をしただけです」


「でも……」


彼は、言葉を探した。


「これでいいんでしょうか」


私は、彼を見た。


「どう思いますか」


矢崎は、俯いた。


「……良くないと思います」


「では?」


「でも……会社の判断には、逆らえません」


エレベーターが到着した。


私は、中に入った。


「矢崎さん」


「はい」


「あの部屋、本当に募集をかけるんですか」


矢崎は、答えなかった。


ドアが閉まる直前、彼が小さく呟いた。


「……来週から、募集開始です」


ドアが閉まった。




その夜、私は自宅で悩んでいた。


手元には、すべての調査資料がある。


契約書のコピー、証言のメモ、録音データ。


そして、報告書。


これを、どうすべきか。


事故物件情報サイトに、個人的に投稿することもできる。


でも、それをして何になるのか。


法務担当の言う通り、誰も信じないだろう。


根拠のない噂。


オカルト話。


そう片付けられて、終わりだ。


でも──


何もしなければ、また誰かが消える。


私は、パソコンの前に座った。


そして、掲載文を書き始めた。


東京都杉並区荻窪○-○-○ コーポ青葉203号室

詳細は不明だが、過去の入居者が──


私は、途中で手を止めた。


これを書いて、誰かが助かるのか。


それとも──


ただ、自分の良心を満足させるだけなのか。


私は、キーボードから手を離した。


そして、窓の外を見た。


夜の街が、静かに広がっている。


どこかに、同じような部屋があるのかもしれない。


人が消える部屋。


存在が溶けていく部屋。


でも、誰もそれを証明できない。


私は、パソコンを閉じた。


そして、一つの決断をした。




翌日、私はコーポ青葉に向かった。


大家に会うためだ。


「来週から、募集を再開すると聞きました」


大家は、疲れた表情で頷いた。


「管理会社の判断です」


「止められないんですか」


「止める理由がないんです。法的には」


大家は、窓の外を見た。


「でも……私は、あの部屋に誰も入れたくない」


「では、なぜ?」


「契約があるんです。管理会社との」


大家は、ため息をついた。


「私一人の判断で、募集を止めることはできない」


私は、次の質問をした。


「もし、次の入居者が決まったら……何か伝えますか」


大家は、長い沈黙の後、答えた。


「伝えられません」


「なぜですか」


「何を伝えればいいんですか」


彼は、私を見た。


「『この部屋に住むと、消えます』と?」


私は、答えられなかった。


大家は、続けた。


「誰も信じません。そして、もし信じたとしても……証明できない」


彼は、立ち上がった。


「私たちは、何もできないんです」


そして、最後にこう言った。


「ただ……祈るだけです。次の人が、無事でいられることを」





私は、コーポ青葉を出た。


そして、203号室を見上げた。


窓に、新しく「募集中」の貼り紙がされていた。



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