第1話 掲載依頼
依頼のメールが届いたのは、木曜日の午後だった。
件名は「告知事項に関する調査依頼」。送信元は都内の中堅不動産会社、株式会社エリアプランニング。私が時々仕事を請け負っている会社だ。事故物件情報サイトへの掲載文を書いたり、告知事項の文面を整えたり、そういう地味な裏方の仕事を年に数件こなしている。
本文は簡潔だった。
> お世話になっております。
> 以下の物件について、告知義務が発生するかご判断いただきたく、調査をお願いできますでしょうか。
> 詳細は添付資料をご確認ください。
> 報酬は通常の1.5倍でお支払いいたします。
通常の1.5倍。
それだけで、何か面倒な案件だと察した。この業界では、報酬が高い仕事ほど「書きにくい何か」がある。自殺、孤独死、事件性のある死亡――そういったものを、法的な文面に落とし込む作業には、それなりの神経を使う。
添付されていたPDFを開く。
物件概要が記されていた。
所在地:東京都杉並区荻窪○-○-○
建物名:コーポ青葉 203号室
築年数:18年
間取り:1K(25㎡)
家賃:63,000円(管理費込)
それから、問い合わせ内容の欄。
> 調査目的:
> 当該物件について、近隣住民より「以前、何かあったのではないか」との問い合わせがあった。
> 過去の入居記録を確認したが、契約上の問題は確認できず。
> ただし、告知義務が発生する可能性があるため、専門家による調査を依頼したい。
「何かあったのではないか」。
曖昧だ。
普通、こういう依頼には必ず「死亡」「自殺」「事件」といった具体的な単語が入っている。それがないということは、依頼主自身も詳細を把握していないか、あるいは意図的にぼかしているかのどちらかだ。
資料の最後には、担当者の名前と連絡先が記されていた。
担当:矢崎(不動産管理部)
私はすぐに返信メールを書いた。
> 承知しました。
> 詳細をお伺いしたいので、一度お電話させていただいてもよろしいでしょうか。
送信してから五分後、矢崎という人物から着信があった。
「お忙しいところありがとうございます。矢崎です」
声は若く、落ち着いている。ただ、少しだけ疲れているようにも聞こえた。
「資料を拝見しました。『何かあった』というのは、具体的にどういった情報なんでしょうか」
「それが……正直、私どもも把握できていないんです」
矢崎は少し言葉を選ぶように続けた。
「近隣の方が、『あの部屋、前に人が住んでたけど、なんかあったんじゃないの?』と仰るんです。でも、何があったかは誰も知らない。警察にも確認しましたが、事件性のある通報記録はないと。救急の出動記録も、ありません」
「では、事故物件ではないということですね」
「そう判断していいのかどうか、それを確認したいんです」
矢崎の声のトーンが、微妙に下がった。
「実は、この部屋……過去に一度だけ、入居者がいたんですが」
「はい」
「その方が、どこに行ったのか分からないんです」
私は手を止めた。
「……失踪、ということですか」
「いえ、失踪届も出ていません。契約も、正常に終了しています。ただ……」
矢崎は言葉を探すように黙った。
「ただ?」
「記録上は全部、成立しているんです。でも、誰もその人のことを覚えていない。管理会社にも、近隣住民にも、記憶が曖昧なんです」
電話の向こうで、書類をめくる音がした。
「もしかしたら、何もないのかもしれません。でも、『何もない』と断言できる材料も、ないんです」
私はメモを取りながら尋ねた。
「現地の確認は可能ですか」
「もちろんです。いつでもご案内します」
「分かりました。では明日、伺います」
「お待ちしております」
電話を切ってから、私はもう一度、資料を眺めた。
家賃63,000円。荻窪のこのエリアで、1Kでこの広さなら、相場より2万円ほど安い。
告知義務がないなら、なぜこの価格なのか。
あるいは――
告知「できない」何かがあるのか。
私は翌日のスケジュールを空けて、現地へ向かう準備を始めた。




