1話 頭痛の原因
公爵令嬢、リュシー・ファンシャリアは高嶺の花だ。
王族には敵わないが、公爵令嬢という大きな身分を持ち生まれた。そして何より、高嶺の花と呼ばれるに相応しい容姿の持ち主でもあった。社交も完璧にこなし、性格も良い。男女問わず人気があるのも頷ける高嶺の花、それがリュシー。
毛先だけはクロッカスという色で、それ以外は綺麗な黒髪だ。瞳は菫色。華奢な身体で、スタイルも良い。完璧美人なリュシーだが、彼女は前からずっと気にしていた『異変』があった。
(うっ、頭が痛む………頭痛薬も飲んでるのに、何故おさまらないの?)
一ヶ月前くらいからだろうか、頭が急にズキズキと鈍く痛み、すぐにおさまるだろうと放っておいて明日を迎えるとまた昨日と同じ時間帯に頭痛がするのだ。両親にそんなことさえ言えないまま時間が過ぎて、もう一ヶ月も経ってしまった。
今は夜中の十時。ずっとこの時間なので、頭痛がまた来ることは分かっていた。
「ふぅ……」
この時間帯に社交が入ったのは何かの不幸だろう。ズキンと痛むのにはもう慣れたが、良い気分ではない。早く治ってほしい、そう思いながらリュシーはこのパーティー主催の王妃のいる場所へ向かった。
玉座には国王が座り、その横には王妃が座っている。最近、王妃主催のパーティーが多いが、それには理由があるのだ。
国王の斜め後ろに姿勢を正して突っ立っている、彼。
彼はロレンツィオ・ユーピドラ王太子殿下だ。
いつもどんよりしている彼を気にかけて、最近王妃は社交を頻繁に開いている。
目が合ってもそのまま下を向かれるし、どんよりとした雰囲気をいつも纏っている。両陛下はそんなロレンツィオとは対照的に、満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。
「おぉ、リュシー・ファンシャリア嬢。よくぞ来てくれた。今宵はこのパーティーを思い切り楽しんでくれたまえ」
「えぇ、思い切り楽しみます、陛下。そして王妃様、このような満月の美しき時に素晴らしきパーティーを開いてくれたこと、感謝致します」
「ありがとう、とても素敵な挨拶だったわ。我が息子も紹介するわね、もう知っているかもしれないけれど……王太子ロレンツィオよ」
おっと、まさか紹介されるとは。早く彼方此方にいる貴族たちと必要最低限に挨拶を交わした後にすぐ帰りたいのに。帰宅がどんどん遠くなっていく。
だが紹介された分にはこちらも挨拶をしないといけない。リュシーは仕方なく、しかし淑女の笑みを浮かべてロレンツィオにカーテシーをした。
「王太子ロレンツィオ・ユーピドラ殿下。今宵はお目に掛かることができ、感謝しかありません。どうぞ、宜しくお願いしますね」
「………うん」
王太子に必要な笑顔も浮かべないロレンツィオに硬直しつつ、リュシーは「では、私はこれで」とこの場を去った。
(第一関門突破……第二関門は………はぁ、たくさんいるわね)
視界に隙間なくいる貴族たちを失礼にならないくらいに眺めて、小さく溜息をつく。今からこの大勢の貴族たちの相手をしないとならない。カーテシーを何度も続けると足が壊れそうになるのだが、もう慣れたことだ。
「こんばんは、ハレース卿———」
〜〜*〜〜*〜〜
全ての貴族に挨拶し終わった後に、リュシーは帰宅するため馬車に乗り込む。公爵家の御者はしっかりしているため、リュシーが乗ればすぐに馬を走らせてくれた。
窓にもたれかかり、浮かない顔をする。
「はぁ……」
これまでよりも頭痛の時間が長い。今までだったら、一時間前に頭痛は終わっていたはずなのに。脳に関わる病気もないはずだ。否、もしかしたら知らないだけであるのかもしれない。
「痛いなぁ………」
片手で頭を抑えるが、それでも頭痛は治らない。
(毎日貰っている頭痛薬も効かなくなって来たし。もしかしたら、とても大きい病気なんじゃ………?)
心に大きな不安が芽生えた。
最近は、城下街の間で流行病があるというし……つい先日、学びも兼ねて父の付き添いで城下街に出掛けたし……もしかしたらと、顔が青ざめた。
もしかしたら、もしも、と考えていると、馬車が停まった。
「お嬢様、ご到着しました!」
「ありがとう、ご苦労様」
「はい!」
少年の御者は最近雇った者で、自分より年下だというのに働いている。父に『まだ小さな子供だ。たくさん褒めてやれ』と執務室で言われたのだが、リュシーは自分が言いたいから言っている。
(だって、心無い言葉なんて貰っても虚しくなるだけでしょ)
リュシーはまだそれを経験したことがない。だが学園に通うに連れて、心に氷柱のように突き刺さる悪口、心無い褒め言葉は出て来るのだろう。
覚悟しておかなければ———。
「「「お帰りなさいませ」」」
「みんな……お出迎えありがとう。ただいま」
皆並び、お帰りと言ってくれる。温かい使用人たちに感謝しつつ「ただいま」を言うと、いつも通りに微笑んでくれた。だがその温かさは、本物だ。
一人、八十代の執事が使用人を代表して出て来た。名をオスカーという。
「オスカー」
「お嬢様、お帰りなさいませ………社交お疲れ様です。旦那様が、お呼びですぞ」
「分かったわ。でも、この重いドレスじゃ行けないわね。着替えてから行くと、伝えて貰っても良いかしら」
「分かりました」
リュシーは皆にただいまと述べながら、自室へ戻った。
彼女の自室は公爵令嬢ということもあり、とても豪華だ。単に父親が親バカというのもあるが、それについてはリュシーは知らないふりをしている。
「重いわね……ごめんなさい、カーラ。手伝ってくれる?」
「ふふ、はい! もちろんです」
侍女の一人、カーラ。リュシーと同い年ということもあり、彼女が一番の侍女であり親友だった。他の侍女はいない。リュシーがカーラ一人が良いと父にねだったのが始まりだ。カーラはそれに感激し、執務室にいた両親は親バカなのですぐにOKを出してくれた。
可愛らしい見た目をしているカーラは頑張り屋で努力家、そして伯爵令嬢である。侍女ではなく普通の令嬢だったなら、絶対に人気があったに違いない。
「ねぇカーラ。王太子殿下のこと、どう思う?」
「王太子殿下? ………ハッ! もしやお嬢様、殿下のことがお好き……」
「違うわよ⁉︎ ただ、王太子らしい雰囲気を出してないというか………」
慌てる様子を見せるリュシーとは反対に、カーラは残念な様子を見せている。
「なんだ〜……あ、そう言えば最近聞いたんですけど、王太子殿下って芸術系に飛んだ才能を発揮してるようですよ! 脚立に座っておっきなキャンバスに絵の具で絵を描いたりしてるようです〜!」
「流石、情報通ね。社交界で役に立つわ!」
「えへへ〜〜!」
自分と同じ十六歳なのに、彼女の方が十六歳らしいとはどういうことだろうか。天真爛漫な彼女を羨ましいと思ってしまうのが幼い頃から育てられた乙女の気持ちだ。
重いドレスを脱ぐのが終わり、軽くて楽なドレスに着替え終わった。
「それじゃあ、お父様に呼ばれているから」
「お供させてください!」
「えぇ、もちろんよ。侍女の仕事だものね」
そしてリュシーは、一人の侍女カーラを連れて執務室へ向かった。
〜〜*〜〜*〜〜
軽くコンコンとノックをすると、入室の許可を得た。
「失礼します」
「リリィ! 来たか!」
「はいお父様。……何か、御用でしょうか。ご公務については、明日お話した方が良いと思うのですが……」
「いや、そのことじゃなくてな」
「?」
明日の公務に参加させてもらうものだと思ったのだが、違ったようだ。
首を傾げると、父は少し困ったような表情をして口を開いた。
「実はな……お前に婚約の話が、舞い降りた」
「………………え」
硬直するが、これまでの淑女教育の賜物なのかすぐに問うことができた。
頬を引き攣らせながら、リュシーは尋ねた。
「ど、どうして…………というか、どちら様なのですか?」
「相手は貴族ならば誰もが知っているあの方だ」
「え……? まさか………」
口を抑えるリュシーを見て、父は不安げな表情を浮かべる。「あぁ。今リリィが想像しているあの方だ」と自分が思い浮かべている相手を当てて来る。
「そんな………ロレンツィオ王太子殿下……」
「あぁ。………もちろん、嫌ならば嫌と言って良い!」
娘の意思を尊重するということか。
できればここは断ってしまいたい。父も嫌と言って良いと言っている。だが、リュシーは公爵家で生まれた令嬢。その生まれた時から決まっている、政略は付き物だ。我が家が少し特殊なだけで。
(私が否と言えばお父様は絶対に、何としてでも、この話を無くそうとするだろうし。それは家の名誉に関わること。だから、当主であるお父様が良いと言っていても、私はその話を受けなければならない)
覚悟なら、物心ついた時からできている。幼い頃からずっと教育されてきた令嬢の心は、誰よりも強く心優しい。
「………分かりました。その話、お受けしますと王室の方々に伝えてください」
父は国王の下で仕事をする宰相をしている。そして国王から信頼を得ているのだ。それならば、手紙ではなく口から言うという少しの無礼も、許されるだろう。
「良いのか、本当に?」
「えぇ。私も、家の名誉に関わることをしたくありませんから」
「ありがとう! 流石、うちのリリィだ!」
身を乗り出し興奮する父に微笑みつつ、リュシーは心中「あ……」と思わず溢れたように声を上げた。
(もしかしたら、頭痛のことを今言えるのでは………)
頭痛のことを伝えたら両親はどんな反応を見せるだろう。二人の反応を脳内で繰り返し再生する。そしてし終わった時に、リュシーは深呼吸をして真剣な表情を見せた。
(過剰反応をされるんだろうけど………今、伝えなければ、一生苦しむことになりそうだから。伝えなければ)
「お父様」と静かで、少し裏返っている声が執務室に響いた。
「なんだ?」
「………まずは、お母様を呼んでもらいますか? カーラは………先に、自室へ戻っておいてね」
「? あぁ」「………はい」
緊張する。どんな反応をするのか怖い。
けれど、それでも隠し続けずっと苦しむのは嫌だ。