吊るされた女③
石田の説明によれば、浅井とあかりは、部課は別だが同じ事業部内に所属している。職場の同僚だが、職場で二人が話をしているところをほとんど見たことがなかった。職場の飲み会でも、浅井はあかりと距離を置いていたように見えたと言う。
「逆に疎遠だったのでは?」
「そうなのです。それも不自然なほど」
浅井は他人に対して、常に上から目線でものを言うところがあり、気分屋で急に怒り始めたりするものだから、社内で浮いた存在だと言う。それに、学生時代にボクシンング部に所属していたと言うので、あかりに限らず同僚たちは皆、浅井のことを敬遠していた。
「会社にも寮にも、浅井さんと親しかった人など、ほとんどいません」
石田は侮蔑を込めて、「あのパンチ・ドランカー」と浅井のことを呼んだ。浅井のことを、かなり嫌っているようだ。
浅井はあかりと常に距離を置いていたが、職場で何度も浅井があかりのことを異様な目付きで見つめている姿を見かけたと石田は言う。
「本当ですよ。僕以外にも、浅井さんが蒲生さんのこと、ストーキングをしていたのを見た人間がいますから。呼んできましょうか?」と言うので、石田に呼びに行ってもらった。
石田は加藤と言う同僚を呼んで来た。
「浅井さん、蒲生さんをストーカーしていたよな?」と同意を求めると、会議室に呼び付けられた加藤は戸惑った様子で「えっ⁉」と言った。
「ほら、お前、浅井さんが蒲生さんの跡をつけているのを見たって、そう言っていたじゃないか!」
「ああ~あれ」と加藤は手を叩くと、あかりが殺害された四日の日の夕刻、退社時に、浅井が駅に向かって歩いて行く後姿を見たと言う。浅井はバイク通勤で、日頃、電車は利用していないと言う。
「変じゃありませんか? あの日に限って、バイクに乗って来なかったなんて」
「蒲生さんをつけていたのですか?」
「それが・・・」
浅井が駅に向かって歩いていたというだけで、あかりの後をつけていたのを目撃した訳ではなかった。「あの日、駅に向かう浅井さんの姿を見ただけで、どこに行ったかまでは分かりません」と言うことだった
「他に、何か気がついたことはありませんか?」
「浅井さん、大きなリュックを背負っていました」
「リュックですか⁉」
犯行に使用されたロープは犯人が持ち込んだものである可能性が高い。浅井が背負っていたリュックにロープが詰め込まれていたのかもしれない。
「平野さんも駅で浅井さんと会ったことがあると言っていました」と石田と加藤が言うので、平野という同僚からも話を聞いた。
「はい。駅で電車の乗り込む浅井さんの姿を見ました。いつも蒲生さんが乗っている電車でしたよ」と平野は証言した。
あかりと同じ電車に乗ったというだけで、浅井をストーカーだと決めつけることはできない。だが、浅井があかりをストーキングしていたとことに関して、別の証言があった。あかりと同じ職場で、あかりの一つ下の後輩に当たる黒田と言う女性の子が、「一カ月くらい前に、蒲生さんから、『帰宅途中に、自宅近所で変な男に待伏せされた。ストーカーかもしれない』と言っていた」と証言したのだ。
「何故、そのストーカーが浅井さんだと思うのですか?」と聞くと、「あかりさんが、そう言ったからです」と黒田が答えた。
あかりは、「暗くて顔がはっきりとは見えなかったが、あれは浅井さんじゃなかったかと思う」と黒田に告げたと言うのだ。
「浅井さんが自宅近所で、蒲生さんを待ち伏せしていたのですか!?」
黒田は辺りを憚りながら声を潜めると、「それだけじゃあ、ないんです」と言った。「蒲生さんからその話を聞いて暫くしてから、私、駅で電車に乗り込む浅井さんの姿を見たのです。あの日は、六時半くらいに会社を退社してから、駅に向かいました。そこで電車に乗り込む浅井さんを見ました」
事件当日ではないが、黒田は駅で電車に乗り込む浅井の姿を見たと言う。平野の目撃談もそうだが、駅で電車に乗ったからと言って、あかりをストーキングしていた証拠にはならない。「ストーカーは浅井だと思う」とあかりが言ったという黒田の証言だけが、浅井があかりをストーキングしていたことを裏付けていた。
「森さん。浅井が犯人なのでしょうか?」
「決めつけてはダメですよ。疑わしい人物であることは確かですが、彼が犯人だと断定するには、証拠が足りません。ただ・・・」
「ただ、浅井さんは学生時代にボクシングをやっていたようですね~」
「そう言っていましたね。ああ、そうか!」
「そうです。犯人は自転車を足場に非常階段の踊り場によじ登り、更に、柵を超えて、屋上に出ています」
「しかも、そこから雨どいを伝ってベランダに降りた訳ですからね。相当、身体能力の高い人物だった訳ですね」
「そうです。犯人像に合致していますね~」
「しかし・・・」
「しかし、何です?」
「いえ。浅井という人物、同僚から嫌われていたようですね」と石川が言うと、森は妙に納得した様子で「ああ、なるほど」と頷いた。
少々、人と人との機微に疎い森のことだ。石川が言うまで浅井が嫌われていたことに、気がついていなかったのかもしれない。




