吊るされた女②
森と石川はリンケン・グループ本社へと聞き込みに向かった。
社員が殺害されたとあって、リンケン・グループでは、「勤務中であっても、自由に社員から事情聴取を行ってもらって構わない。社員にも警察の捜査に協力するように伝えておく」と警察の捜査への全面協力を約束してくれていた。
あかりの事件は社内で衝撃を持って伝えられていた。
あかり殺害の噂は、尾ひれが付いて社内で拡散していた。あかりの事件に関して、誰もが一家言を持っており、何か知っているような気になっていたのだ。
社員から事情を聞く為に、会議室を用意してもらった。先ず、あかりの直属の上司だった村瀬という男性から話を聞いた。
「美人でしっかり者でしたよ」と言うのが、村瀬のあかりに対する評価だった。自殺の可能性については、「彼女が自殺⁉ 常に周囲の注目を浴びているような子で、自殺などするような、そんなタイプじゃないような気がします。死ぬほど悩んでいたようには見えませんでした」と言うことだった。
「彼女を恨んでいた人間に心当たりはありませんか?」と聞いてみると、「恨む? そんな。彼女は人に恨まれるような、そんな人間ではありませんでした」と答えた。
所詮は仕事上の付き合いだ。あかりの上辺だけしか見ていないようだった。
同僚の、しかも女性だと、もう少し面白い話が聞けるかもしれない。次に有吉という女性社員から話を聞いた。
「蒲生さんは、どんな方でしたか?」
「あかりさんですか。頼れるアネゴっていう感じの人でした」有吉は言う。「正義感が強くて、前に一緒に地下鉄に乗った時、お婆さんを前に優先席で話し込んでいる女子高生たちがいたんです。すると、『あんたたち、若いんだから、立ってなさい』って叱り飛ばして、お婆さんを席に座らせました」
「ほほう~そうですか」と森が目を丸くする。
「女子高生が『クソババア』って悪態をついたら、あかりさん、『あんたたちの制服、知っているよ』って言って、耳元で何か囁いたら、女子高生たち、『御免なさい』って謝って、次の駅で降りちゃいました」
なかなかの女傑のようだ。気配りが出来る性格なのだろうが、無用なトラブルを抱えていたとしても不思議ではない。
「どなたか親しい人はいませんでしたか?」
「親しい人? 恋人のことですか? 学生時代には恋人がいたようですが、働き始めてからは、『仕事を覚えるのに忙しいから』と恋人を作らずにいたみたいです」
恋愛関係のもつれが事件に発展したと言う可能性は低くそうだ。
「アパートで独り暮らしをされていたみたいですが?」
「ご両親は大宮に住んでいて、疎遠だと言っていました。全然、実家には戻らなかったようです。何かあったのでしょうね」と有吉は言った。
「最後に、蒲生さんは煙草を吸っていましたか?」
「いいえ。煙草は吸っていませんでした。昔、吸っていたそうですが、止めて何年も経つので、最近は煙草の煙が嫌いになったと言っていました」
あかりは煙草を吸っていなかった。
有吉からの事情聴取を終えた。両親と疎遠だと言うことを除けば、公私共々、あかりに問題となるような事実は見つからなかった。
「ストーカーの犯行なのかもしれませんね」と石川が言うと、「ストーカーが遺体をベランダから吊るしたりはしないでしょう」と森が言う。
確かに、その通りだ。あかりの遺体は吊るし首にされた。処刑スタイルだ。そこには犯人の恨みが感じられた。
「ただ単に、遺体を早く見つけてもらいたかっただけかもしれませんがね」と森が付け加えた。
次に石田という同僚から話を聞いた。
「彼女、ストーカーに付け狙われていたという話は聞いたことがありませんか?」と聞くと、「蒲生さんのことを、何時も異様な目付きでじっと見つめていた人がいます」と石田は答えた。
「ほほう~それはどなたですか?」
「浅井さんです」
男の名を浅井寿夢と言った。三十路過ぎで、独身、久我山にある会社の独身寮に住んでいる。石田も独身で、同じ独身寮に住んでいる。浅井のことはよく知っていると言う。
「ほう~浅井寿望と言う名前なのですね?」
森は浅井の名前に興味を持った様子だった。確かに、変わった名前だ。
「名前がどうかしました?」と石川が尋ねる。
「いえね、中国の春秋戦国時代に呉という国がありました。隣国の越と覇権を争い、臥薪嘗胆の故事になったりしました。その呉国の初代王を寿望と言います」
司馬遷の「史記」によると、中国古代の王朝、周の周王の末子、季歴は英明と評判が高く、周王は季歴に後を継がせようと考えた。季歴の二人の兄、太伯と虞仲は末弟の季歴に周王の座を譲り、南へと去った。やがて兄弟は呉の地に流れ着き、国を開いたと言う。
寿夢の代に呉の国は強大となり、寿望は王を名乗った。
「ウコンさんは何でもよく知っていますね」
気を取り直して石田に尋ねる。「その浅井という人物が蒲生さんのことをストーキングしていたのですか?」
「いえ。ストーカーとはちょっと違うのですが、何と言ったら良いのでしょう。とにかく、凄い目で蒲生さんのこと、見つめるのです」