忌まわしい過去①
蒲生あかりに恋人がいた。
謎の恋人が誰なのかと言うことに、捜査の関心が集まった。あかりは人目を引く美貌の持ち主だったが、周囲に語っていた通り、社会人となってから特定の恋人を作らずにいたようだ。会社の同僚は浅井を除いて皆、口を揃えて、「あかりに恋人はいなかった」と証言した。
大学時代に遡っても、特定の恋人の存在は確認できなかった。だが、大学時代の友人によると、あかりには常に男の影が感じられたと言う。学生時代のあかりは、とにかく人付き合いが悪かったそうで、友人との食事や買い物に付き合うことは稀で、「きっと良い人のところに入り浸っているからだ」と噂されていた。
「偶然、あかりが男と歩いている姿を見た」と言うような情報すら皆無で、あかりに恋人がいたとしたら、余程、うまく隠していたとしか思えなかった。
「不倫でもしていたんじゃないですかね? でなければ、浅井が適当なことを言っただけでしょう」石川が愚痴る。
いくら調べても、あかりの恋人の存在が浮かび上がって来なかった。
浅井はあかりの恋人はリンケン・グループの社員の中にいると言っていた。「あかりの相手が社員だとしたら、会社で浅井のライターを盗み、吸い殻を手に入れることが、簡単に出来たはずだ」と言う浅井の主張は説得力があった。
リンケン・グループの社員で既婚者を対象に、捜査が行われた。だが、懸命な捜査にも係らず、あかりの恋人は浮かび上がって来なかった。
「ウコンさん。手詰まりですね」と石川が嘆くと、「この事件の犯人は、遺体をベランダから吊るしています。被害者に対する憎しみがあったのでしょうが、何故、わざわざベランダから遺体を吊るす必要があったのでしょうかね?」と森が尋ねた。
「遺体を見せびらかしたかったのですかね」
「部屋の中に放置しておいた方が、遺体の発見が遅れて、逃走の時間を稼ぐことができます。その方が、犯人にとっては都合が良かったはずですがね~」
「なるほど。確かにそうですね。犯人が遺体をベランダから吊るしたことに、何か意味があると言うことですね?」
「犯人は一刻も早く遺体を見つけてもらいたかったのでしょう」
「遺体を早く発見してもらいたかった? 何故でしょう?」
「犯人にはアリバイがあった。だから死亡推定時刻に幅を持たせなくなくて、遺体が目につくよう、ベランダから吊るしたとしたら、どうでしょうか?」
「と言うことは、犯人は何らかのトリックを用いて、アリバイをでっち上げていると言うことになりますね?」
「ひとつの可能性です」
「浅井をアリバイがあるからと言って釈放してしまったのは、時期尚早であったかもしれませんね」
アリバイがある人間が犯人となると、真っ先に疑うべきなのは、やはり浅井かもしれない。
「もう少し、彼について調べてみましょう」
森の言葉に「はい」と石川は頷いた。
事件当日の浅井の携帯電話の通話履歴を電話会社から入手した。浅井が誰と通話したのか、相手先の電話番号の持ち主を調べてみたのだ。
嫌われ者の浅井だ。電話の通話履歴は少なかった。事件当夜に限れば一件しかなかった。浅井の方から電話をかけており、浅井が電話をかけた相手は有谷花梨だった。浅井が恋人の有谷に電話をかけたこと自体は不思議でも何でも無かったが、「変ですね~」と森は言う。
「何処が変なのでしょう?」
「よくご覧なさい」
「あっ! ああ・・・」
浅井が有谷に電話を掛けた時刻は、浅井が有谷のアパートに居たと証言した時間だった。
「同じ部屋に居る者同士、何故、携帯電話で連絡を取り合う必要があったのでしょうね」
森がにやりとほほ笑む。森が笑うと、ちょっと怖かったりする。
明らかに変だ。偽装工作の匂いが感じられた。




