鬼の呼ぶ声
これは私の祖母から聞いた話。
当時はまだ戦時中。
後に焼け野原になってしまう町で生まれた祖母はある夜に不思議な声を聞いて目を覚ました。
『鬼さんこちら。手の鳴るほうへ』
目隠し鬼の囃子言葉。
しかし、聞こえた時間がおかしい。
もう辺りは真っ暗で人っ子一人居ない。
それでもまだ三つか四つになったばかりの祖母は誰かが遊んでいると単純に考えて外に出た。
『鬼さんこちら。手の鳴るほうへ』
声は鈴の音のように小気味良く響いて、囃子言葉を言っているのが誰か分からないのに、声の主がどこに居るのか案内しているようだった。
それで祖母はふらふらとそちらの方へ向かった。
暗い夜の闇は布で目を塞いでいないのに視界が覆われているようで、祖母はまさに途中から遊んでいる感覚になった。
『鬼さんこちら。手の鳴るほうへ』
ふらふら、ふらふらと歩いていると。
やがてぼうっと明かりが見えてくる。
神社の社が明るく輝いていた。
明かりに目を擦り祖母が辺りを見回すと、そこには同じようにやって来たらしい町の子供達が何人もいた。
祖母たちは明かりの中心に集まって話し出す。
何せ、そこにはいつも遊んでいる友達が皆いたからだ。
一体誰が鬼なのだろう……そう思うのは自然なことだった。
『鬼さんこちら。手の鳴るほうへ』
声はまだ続いていた。
けれど、その声の先にあるのは大きな社の中で。
おまけにその中から赤い大きな腕がぐぃっと伸びている。
そして、その手を認識した途端。
声がよりはっきりと祖母たちの耳に響いた。
「鬼さんこちら。手の鳴る方へ」
ぐぃ、ぐぃっと伸びてくる手は明らかに祖母たちを求めていた。
誰かが叫んで逃げ出した。
その声を合図のように皆が走って逃げだした。
勿論、祖母も。
「鬼さんこちら。手の鳴る方へ」
それでも声はまだまだ聞こえていた。
「鬼さん。鬼さん。手の鳴る方へ」
声は必死に。
滑稽なほどに声を張り上げて。
「こっちへ。こっちへ。こっちへ」
しかし、祖母たちはそのまま逃げ切った。
恐ろしくて仕方なかったから。
そして。
気づけば祖母たちは焼け野原になった自分の町に立っていた。
先ほどまでの夜の闇はいずこかに消え去り、代わりに無残に焼け焦げた家を陽光が照らすばかりだ。
自分達が十日も行方知れずであったことを後に祖母は知った。
多くの人が空襲で死んだから祖母たちもまた死んだものだと思われていたらしい。
祖母達は自分達がどこで何をしたかを必死に伝えたが、誰も信じてくれる人はいなかった。
何せ、人々からしたらそれが嘘だろうが本当だろうが子供達が生き延びてくれたことの方が嬉しかったから。
今は亡き祖母は晩年に私へ告げた。
「助けてもらったと思ってはいない」
隙間風のような弱々しい声。
「私は一度もあの鬼に感謝していない」
息を吸い、間を一つおいて祖母は言う。
「あれに感謝を捧げにいったものは皆、喰われてしまったから」
祖母亡き今はそれが事実であったのか、あるいは何かしらの比喩であったのか知る術はない。