八十七 他人が入らない世界
「夕食はまだ残っているよ。お腹が空いたら持ってくるわ」
景姝は二人を客室に案内して、お茶を出した。
「ありがとう、景姝先輩。上がる前にもう晩御飯を済ませたから、お構いなく」
幸一の無垢な瞳を見て、景姝は申し訳なさそうに苦笑した。
「ごめんね。みんな、まだ二年前のことが気になっていて……」
「いいえ、二年前のことは、確かに俺がやり過ぎた……」
「いいのいいの。あれから、常勝先輩の性格はかなり落ち着くものになったの。この間、珍しく師匠に褒められて、新しい技を伝授されたの。あの敗北のおかげとも言えるでしょう」
景姝は明るく笑った。
景姝の顔も声も景媛と全く同じだけではなく、性格や雰囲気まで同じようだ。
幸一はちょっとだけ戸惑った。
「景姝先輩、本当に、景媛先輩とそっくりだな」
「そうよ、一緒にいると両親も見分けられないの。だから、わざわざ異なるところで修行しているの。それでもね、能力まで同じみたい。景媛は占いに得意でしょ?あたしもそうなの。今回の三虎祭で占いをやるから、ぜひ遊びに来てね!」
景姝は楽しそうに幸一を誘った。
「えっ、いいのか?でも、景媛先輩は、俺たちのことを占っても当たりにくいと言った……」
「知っているよ。だから試してみたいの。もし当たったら、あたしは景媛よりすごいってことの証明になるでしょ?」
「なるほど、じゃあ、お願いする!」
「そう言えば、景姝さんは、私たちのことが平気ですか?ほかの皆さんは私たちをかなり遠慮しているようですが……」
しばらく景姝を観察した修良は横から会話に入った。
「二人のことをよく知っているから、噂に惑わされないわ」
「景媛先輩から聞いたのか?」
「そうとも言えるけど、実は……」
景姝は神秘そうに微笑んで、声を低くした。
「あたしは、姉と記憶まで共有しているの」
「えっ!?そんなこと、あるのか!?」
幸一はびっくりしたけど、修良はさほど驚かなかった。
「おそらく、二人の魂は前世では同じ人のものでしょう」
景姝は頷いて、修良の推測を認めた。
「そうよ、師匠にもそう言われたの。小さい頃、あたしたちはよく記憶に惑わされて、自分が誰なのか分からなくなっちゃうから、記憶の共有を遮断する術を身につけるために、仙道に入ったの。今はもう大丈夫だけど、眠っている間や瞑想中とか、無意識に相手の記憶を見ることがあるの。だから、幸一と修良さんのことをよく知っているつもりよ」
「なるほど、一つの魂が二人に転生したのか……」
幸一は思わず自分のことに連想した。
今の彼は、前世の記憶を持っている。
近い前世の平安、還初太子の記憶はかなり鮮明。遠い前世のことも、じっくり探ろうとすれば、思い出せるだろう。
だから、自分は前世の者たちと同じ人物だと認識している。
でも、景姝の話を聞いて、ほんのすこしだけ疑いが浮かび上がった。
自分は本当に前世の者たちと同じ人なのか、それとも、ただ彼たちの記憶を受け継げた別人なのか……
「幸一は一人しかいないよ」
幸一の考えを見通したように、修良は優しく彼の頭を撫でた。
「先輩……」
修良の一言で、幸一は暖かい何かが心から溢れてくるのを感じた。
見つめ合う二人を見て、景姝はフフと笑った。
「やっぱり、景媛の記憶と同じだわ。ほかの人はお二人の世界に入らないね。羨ましい~」
「うん、俺と先輩はっ……!」
話の途中、景姝のニヤニヤな表情から妙な意味を悟って、幸一の顔がぱっと熱くなった。
「あたしは夜の修行があるから、これで失礼するわ。何があったらいつでも呼んでね~」
景姝は多く聞かずに、ニヤニヤしながら部屋を出た。
景姝の話は正しいけど、人にあんな口調で冷ややかされたら、やはり恥ずかしい。
幸一は顔の熱さを隠すために、わざと手で風を起こす。
「この部屋、熱いな……」
「ああ、狭いからね」
修良は顔色も変えずに応答した。
「寝台も狭い、二部屋をくれればよかったのに、景姝先輩に聞いてみよう」
「厄介なことがないように、私たちを集中したほうが管理しやすいだろう」
「俺たちは何か危険物か!?」
「そう思われたのだろう」
「……」
三虎観のみんなの態度を思い出すと、幸一は部屋のことを諦めた。
熱が落ち着いたら、さっきからの疑問を口にした。
「そうだ、二年前、なぜ常勝先輩のことを教えてくれなかったんだ?」
「ちゃんと治したし、幸一に教えても結果は変わらないだろ?」
「俺がやったことだから、俺は責任を取るべきだ。先輩まで恨まれる必要はないのに」
「でも、幸一が怒ったのは私のためだろ?それに、私は幸一の保護者だ。幸一のやったことは、私が全責任を取るべきだ」
(教えなかったのは正解だった。常勝なんかに責任を取ったらどうする。)
修良は本心の一部を隠して、正当な理由だけを述べた。
幸一は修良の考えも知らず、ただ修良の過保護に申し訳ないと思った。
「けど、先輩にとって、生命の霊気は貴重なものだ。俺がやらかしたことのために使わせたくない……とにかく、今後そのようなことがあったら、全部俺が処理する。いいよな!」
真剣極まりな表情で自分を心配する幸一をしばらく見つめたら、修良はズルっぽい微笑みを浮かべた。
「ということは――今後、幸一は誰かの骨を折ったり、体を切ったりようなことをして、生命の霊気でそれを治す予定はあるのか?」
「そ、そんなつもりはない!変に解釈しないで!」
「ごめんごめん、幸一の表情は真面目過ぎるから、思わず」
プンプンなってきた幸一を見て、修良はもっと楽しそうに笑った。
「真面目な話だ!先輩は『前科』があるから、ちゃんと約束してほしい!もう俺のために自分を削らないって!」
幸一と修良の関係を知らない人からみれば、幸一の勢いは決闘の申し込みに近いものだろう。
そんな幸一に、修良は静かな声で答えながら、手を出して、幸一に指切りを誘った。
「分かった。約束するよ。でも、幸一にももっと私を信じてほしいな。たとえ生命の霊気がなくても、私はまだまだ幸一と一緒に生きていくつもりだ。悪鬼だから、なんとかなるさ」
幸一は小指を出して、修良の指と絡まる。
「たとえの話は要らない。俺はいつでも先輩に生命の霊気を分けられる。必ず先輩の体を完全に治す」
修良は仕方なく笑った。
どうやら、幸一はまだ自分を「純白」に戻すことを諦めていない。
自分は本当に気にしていないのに、彼はなぜそんなに執着するのか……
幸一は修良の考えを知らないわけでもない。
修良は以前から悪鬼という役目も身分も完全に受け入れた。
だけど、どうしても、どうしても修良に知ってほしい。
本当の修良は、輝かしい光を持っている……
自分は彼の光をずっと追いかけ続けていた……
幸一は修良の顔を凝視すると、視線が無意識的に修良の唇に滑った。
修良の体が人間のものに回復した後、霊気を修良に分けたことはなかった。
もちろん、「霊気の融合」もしなかった。
修良から教えられた霊気の融合は、口付けと言えば口付けだけど、本当は、かなり真面目な術作法だ。
相反する二人の霊気を融合するには――
まず、幸一が生命の霊気を精製し、純粋な一点の霊気を抽出する。
修良は破滅の力でその霊気を包む。
生命の霊気が破滅の力に強引に打ち消すのではなく、じっくりと破滅の力を浸透し、ふたつの力が中和した霊気玉を形成する。
その霊気玉が媒体となり、幸一の霊気を修良の体内に導く。
そうすれば、生命の霊気は衝撃を与えないまま、破滅の力に染み切った修良の体に入れる。
人間の体での霊気操作は丹田(下腹部の中)で完成するもの。精製した霊気を口経由で交換したほうが一番消耗が少なく、外部からの干渉も避けられる。
最初の一回だけ、やり方も分からないまま唇をくっつけられて、口づけに似たようなことをしていたけど、作法が分かった後、幸一はいつも真面目に霊気の操作に集中していた。修良も度を超えるようなことをしなかった。
修良を助けられるならどんな形も不満がないけど、何度も唇を重ねていくうちに、幸一の胸に異様な衝動がもぞもぞと動き出した。
「あの、先輩……」
幸一は躊躇いながらも、口を開けた。
聞きたい。
霊気融合のためじゃなくても、その唇に触れていいのか……
「ん?」
「その、霊気……!」
しかし、幸一は肝心な質問を言い出す前に、部屋の外から騒ぎ声ががあった。
「……困ります!ここは内院です。弟子以外の方はご遠慮をください……」




