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三十一 神の声

珊瑚の案内で書斎に入ったら、机の後ろに幸一(こういち)を待っている中年男性がいた。


(この人が、妖界の大将軍……)


誰かに言われなくても幸一は一目でわかった。


男性はゆったりした私服を着ているが、体格が普通の武人より一段たくましく、謹厳な顔から威厳が溢れ出す。妖力を抑えているようだが、威圧感がそこら辺の妖怪たちと桁が違う。


大将軍の隣に黒須少尉が立っている。


この策士っぽい妖怪が劉石夢(りゅうせきむ)の「先祖様」であること、幸一はまだ知らない。


簡単な自己紹介が終わったら、意外にも大将軍から頭を下げた。


「まず、妖界側の管理に不備があることにお詫びをする」


「!」


「この前代未聞な非常事態に関して、妖界は最善を尽くし、一時も早く真相を明かすつもりだ。ご協力を願う」


「もちろん、協力いたします。珊瑚は俺に証人になってほしいと言ったけど、それだけでいいですか?」


相手の謙遜は幸一に好感を持たせた。


幸一の態度を確認したら、黒須少尉は話を続けた。


「今の時点で掴んだ情報から見ると、乱を起こした兵士たちは何かによって操られ、乱心したようだ。仙道の人間や鎮圧しに行った精鋭軍と戦っている間に、負傷者がたくさん出たが、重傷者がいなかった」


「乱心した兵士の階級がそれほど高くない。出動した仙道の人間と精鋭軍の力を持っていれば、彼らを生き捕まるのは難しいことではない。その上に、事情が明らかになる前に、当事者や証人を保護する重要性はみんなも理解している」


「だが、天修良(てんしゅうりょう)とぶつかった二人だけが一撃で殺され、いいえ、滅ぼされた」


「……」


実は、幸一もかなり疑問を持っている。


自分に自制を教えて、考えの深い修良が、過激な手段を取るのは違和感がありすぎ。


それでも妖界の者の前で、自分の疑問を解決するより、修良をかばうのが先だと思う。


「あの時、俺の家族が二人の百妖長にさらわれて、先輩は人助けのために焦ったのかもしれません。例えそうじゃなくても、先輩のやり方はきっとあの時の最善策だと俺は信じます」


「その信用の根拠は?」


「先輩は誰と争うこともない、無欲な人間です。最上級の法術を使えるが、力で他人をねじ伏せることをしません。交渉できる状態なら、まず相手を説得するはず。玄天派では周知のことです」


「……」


自分が見た修良と全く別人の描写を聞いて、黒須少尉は眉をひそめた。


「幸一、その話をほかの妖怪に言ったらすぐ喧嘩になるよ」


同じく幸一の認識を認めない珊瑚は苦笑した。


「妖怪は人間より仲間を大事にするものだ。いかなる状況でも、仲間を犠牲にする最善策なんてない」


「……わかっている。修良先輩のやったことは妖界の皆さんにとって許されないことかもしれない。ただ、俺個人として、先輩のために弁解したい」


「なんの説明をもらっていない上に、置き去られたのに?」


「俺に言えないほどの事情なら、きっと想像以上に大変なことだ。俺は先輩を信じなくてどうする?」


「その先輩が羨ましいね」


珊瑚は仕方がなく笑った。


幸一の意思が分かった以上、妖界の三人はもう深く問詰めない。


大将軍から幸一に希望を伝えた。


「我々としてもこの惨事の悪影響を最小限度に抑えたい。だから、まずはその事件の真相と背後の原因を究明に尽力する。珊瑚一人の証言だと不十分のゆえ、ぜひ、幸一殿の記憶を拝見させてほしい」


「問題ないけど、俺は記憶再現の術がわからない……」


「ご心配なく、わたくしが引き出してあげます」


上品な女性の声と共に一縷の薔薇の香りが書斎に入った。


書斎の内室の暖簾が上げられ、とある美しい女性がそこにいた。


(珊瑚と似ているな……)


女性の美貌より、幸一は彼女が珊瑚と似っているところに注目した。


「家内の嘉玉(かぎょく)だ」


大将軍は簡単に女性を紹介した。


「失礼します」


嘉玉は一礼をして、前に出て、掌を幸一の額に当てた。


「目を閉じて、焦明と焦暗が殺された時のこと、正直に思い出してください」


「分かりました。お願いします。奥様」


言われた通り、幸一はあの時の記憶を呼び起こした。


嘉玉の手から薄赤の光が浮かんで、ゆっくりと幸一の眉間に入った。


すると、一輪の月のような光の円盤が幸一の頭の上に浮びあがり、幸一があの時に見たことを映した。


「!!」


妖界の者たちは真剣極まりな表情でその記憶を確認した。




記憶の確認が終わったら、珊瑚は幸一を屋敷に送る。


ほかの三人は書斎で幸一の記憶について検討した。


幸一の前では通常対応していたが、あの記憶を確認した三人とも、ある程度の動揺があった。


「照らし合わせた結果、珊瑚の記憶は衝撃により生じた錯誤ではないわ」


「あれは、確かに仙道の法術ではない。肉体どころか、魂まで一瞬に消滅させられる、恐ろしい波動だった」


見聞の広い大将軍も、修良の法術を見たのは初めてだ。


「記憶だけでこれだけの余韻が残っているとはな……黒須(くろす)少尉殿は法術の歴史に詳しいだろ。何か心当りはないか?」


大将軍は質問を黒須少尉に投げた。


しかし、黒須少尉も頭を横に振った。


「世界は、自分自身を保護する機能があります。私たちの世界はまだまだ新しい。世界が生み出した霊気はほとんど新生と成長を促すもの、このような破滅の力の満ちた法術は一体どこから養分となる霊気を集めたのか……っ!」


ふいっと、黒須少尉は何かに気づいた。


「どうした?何か思い出したのか?」


「『旧世界の扉はまだ完全に閉まっていない』という噂、お聞きになったことはありますか?」




*********




幸一たちを柳蓮(りゅうれn)県に置いて、修良は妖界の扉が破られた場所を回した。


乱を起こした妖怪兵士はほぼ仙道の人間と妖界軍に鎮圧され、捕獲された。


梁谷嶺(りょうこくりょう)という山脈だけで、一人の百妖長が包囲から逃れた。


ほかの人に捕まれる前に、修良はその百妖長を山の一番奥にある洞窟に追い詰めた。


黄色の砂に変化した百妖長が洞窟に逃げ込んだら、後ろから数本の黒い風が追いつけてきて、彼が変化した砂を囲んだ。


黒い風が収束すると、砂は人間の武人の形になった。


百妖長は抗えようとするが、黒い風が紐のように彼の頸を強く締めて、声も力も出せない。


修良は洞窟の入り口から、穏やかな足取りを踏んで、百妖長の前に歩いた。


「こちらも完全に浸食されたのか。魔は己の心から生み出すもの。一度それに取り込められたら、心の欲念が消えない限り、正常に戻れない。お前たちみたいな欲念が心そのものになった場合、永遠に魔の虜になる。旧世界の力を求めて、一体どんな深い欲念を満たそうとしているのか?」


百妖長の口が辛うじてパクパクと動いた。


彼の念が音になり、洞窟の中で響いた。


(……なぜ、われわれはこんなにも苦労をしなければならないんだ……)


(なぜ、報われないんだ……)


(なぜ、昇格のための霊気が集まらないんだ……)


その苦痛の訴えに、修良は冷たい金属質な声で答えた。


「この世界はまだそこまで進化していないからだ。生み出せる資源が限られている」


(違う!理不尽だ……!)


しかし、百妖長の念はその解釈を認めなかった。


(……やつが、いるのに……上に立つやつが、昇格したのに!奴らが、奴らが自分より強い妖怪の誕生を恐れいている……妖界の分離を阻止したからだ!すべては、奴らのせいだ、奴らから、われわれのものを取り戻すために、あの世の力が、必要だ!)


「お前の欲念は分かった。これ以上くだらない文句を訊きたくない」


修良は百妖長の念を断ち切った。


「もう一つ教えてもらおう。旧世界のことは誰から聞いた?」


(……)


今回は返事がなかった。


「拒否か、それとも拒否するように仕掛けられたのか。まあいい、その答えを持ってこの世界から消えろ」


修良は気にしないように、軽く指を鳴らした。


黒い風は黒炎へと化して、一瞬にして百妖長を灰燼に燃やした。


修良は空中から落ちる灰燼を握り、もう一度質問した。


「今なら言えるだろ。旧世界のことは、誰から聞いた?」


灰燼から、最後の念が響いた。


(か、み……)


「神……?」


その答えを聞いた修良は、深刻な表情を浮かべた。







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