第9話
「そんなことより、貴方に相談があるんですけど、良いですか?」
「なんだ」
「俺、水の国へ行きたいんです」
「は……?」
自分の眉間に皺が寄るのを感じる。フェリクスの主張が上手く呑み込めない。
こちらを見詰める瞳は真っ直ぐだ。冗談を言っているわけではないのだろう。だからこそ、リューズナードは困惑する。
「……国へ帰りたいのか? お前、倒れるほど必死になって逃げて来たところだろう。なんの為に帰るんだ」
「助けを呼んで来るって約束したから。もう一人、この村に迎えてほしい人がいるんです」
「仲間がいる、ということか。それなら何故、一緒に逃げて来なかった? 一度来たから分かると思うが、原石の村と水の国の間を徒歩で移動するとなると、それなりに過酷な道のりになるぞ。また倒れたいのか」
「そ、れは……その、捕まってるんですよ。俺一人の力では助け出してやれなくて、でも、非人の俺に力を貸してくれる人なんていないから、それで……」
「もう少し具体的に説明しろ。捕まってるとは、どういう状況だ」
「ええと……じ、人身売買を生業にしている連中に捕まったんです」
「人身売買? そんなものが横行するほど、水の国は治安が悪いのか? 炎の国じゃあるまいし」
「炎の国にあるんですから、水の国にだってありますよ。そのくらい」
「…………」
炎の国には、確かに人攫いや人身売買が横行している区画があった。特に、リューズナードが生まれ育った郊外に位置するような小さな街では、頻発していたと聞く。役に立たない非人に金を払うような価値はないので、自身や仲間たちがその標的にされたことはなかったが。
他所の国の事情は分からないけれど、水の国にも似たような環境があるのだろうか。
「……お前、どこの出身だ?」
「え? だから、水の国です」
「違う。水の国の中の、どの街で暮らしていたのかと訊いている」
「……なんで、ですか?」
「助けに行くんだろう? 目的地を教えろ」
「あ、ああ……ええと……ブ、ブラストルです」
「ブラストル……。分かった、考えておく。お前はとにかく、今は大人しく休んでいろ」
「は、はい! ありがとうございます!」
大きな声を出したせいで、軽い頭痛がしたらしい。頭を抑えるフェリクスに水を飲むよう勧めてから、リューズナードは避難所を出た。
原石の村の中央、その先にある通用口を目指しつつ、リューズナードは思案する。
新しく仲間になるのだから、できる限り力になってやりたい。そうは思うがしかし、フェリクスの言葉はどこか曖昧で、ぼんやりしている。こちらの質問に対する回答も、変に歯切れが悪かった。全てを鵜呑みにして良いものなのか。
幸い、この村には水の国出身の住人も居るし、なんなら王女も居る。該当者の誰かに尋ねれば、何かしらの情報が得られるだろう。その為に、知りもしない街の名前を聞き出したのだ。これから先、フェリクスを仲間として信用していきたいからこその措置である。
そうして、リューズナードが最初に見つけた該当者は、他でもない王女だった。
畑の近くで、服を泥だらけにしながらネイキスやユリィの相手をしている彼女。その姿が視界の中心に収まると、リューズナードの眉間に刻まれていた皺が、スッと消えた。本人に自覚はない。
驚かせないように、少し離れた地点から名前を呼んだ。
「ロレッタ、少し良いか?」
ロレッタがこちらを振り向く。遊び相手を盗られた子供たちも、不服そうな顔で一緒に振り向くのがなんとも微笑ましい。
はい、なんでしょう、と。普段通りの応答が返ってくるものだと思って返事を待った。
しかし、
「あっ……」
リューズナードと目を合わせるなり、何故かロレッタがその場で硬直した、ように見えた。瞬く間に頬が赤く染まり、今にも泣き出してしまいそうな目になる。
「??? ……どうかしたのか」
不審に思って近付くと、ロレッタはバッ! と顔を背けた。さらに、年端もいかない子供たちを盾にする形で、リューズナードと距離を取ろうと動く。全く隠れられてはいないけれど。
恐らく状況を理解できていないであろう子供たちが、それでも背後のロレッタを守ろうと両手を伸ばして立ち塞がっている。
「ロレッタちゃん! ちょっと来てもらえる?」
「! は、はい! すぐに参ります!」
家屋の中から、サラがロレッタを呼ぶ声がする。それを聞くなり、ロレッタは脇目も振らず、とてとて駆けて行ってしまった。
「お、おい……!」
「リューがロレッタお姉ちゃんを泣かせた!」
「りゅー、めっ!」
「は……!?」
引き留めようとしたリューズナードを、共に取り残された子供たちが厳しく非難してくる。すると、近くに居た男性の住人が驚いて駆け寄って来た。
「何騒いでんだ、お前ら?」
「リューがロレッタお姉ちゃんを泣かせたんだ!」
「たんだ!」
「ああ? またかよ……リューお前、今度は何した?」
「何もしていない! 声をかけただけだ!」
子供たちの証言を聞いた住人が、一瞬の迷いもなく子供たち側に付いてしまった。常習犯のような言い方をされるのも遺憾である。以前、ロレッタが独断で水の国へ行こうとした時のことを前例としているのだろう。
あの時は、様々な要因が重なっていた。しかし今回は、全く身に覚えがない。