第8話
「ところで、どうして一人で村の外へ出てしまったのですか? 先ほどのお話だと、普段から、一人では行かないように、と言い付けられていたのですよね?」
気になっていたことを、なるべく優しく、責めるような響きにならないよう注意しながら尋ねると、ネイキスが少し俯いた。
「……最近、母さんの元気がないんだ」
「かーたん、ないない」
「え……」
「一週間くらい前に、母さんが怪我しちゃったんだ。大丈夫だって言うんだけど、ずっと元気なくて……。それで、母さんの好きな花が外にあるから、持って行ったら、元気になってくれるかなって、思って……」
「かーたん、おはなたん、すき!」
たどたどしい説明から情報を汲み取り、ようやく納得する。母親の見舞いに花を渡したかったが、その花の生息地が村の外にしかなかったのだろう。なんとか母親を元気付けたくて、大人の目を掻い潜って外へ出た結果、ミランダの遣いで行動していた兵士と遭遇してしまった、といったところか。
「そうだったのですか、それは心配ですね……。お母さまがお好きなのは、どのような花なのですか?」
「うんとね、白くて、ちょっとピンクで、真ん中が黄色くて、木の上に咲いてる花! 実もなってて、果物だけど、あんまり美味しくないんだって」
「ぺっ、ぺっ!」
「果物……」
頭の中で、幼い頃に読み込んだ植物図鑑を思い浮かべた。単体ではあまり美味しくない果実が実る、白い花を咲かせる木。生息地は森の中。それほど多くはない候補の中から、最も可能性の高そうなものに当たりをつけてみる。
「それは、このような花でしょうか?」
ロレッタは近くに落ちていた枝を手に取り、地面に花の絵を描いて見せた。特徴を残しつつ簡略化した花を、手早く構築していく。最初は不思議そうに覗き込んでいたが、やがてその絵の全貌が分かり始めると、子供たちの目が輝いた。
「そう、これ! 母さんが好きなヤツ!」
「れーたん、じょーず!」
「ありがとうございます。これは、ルワガの花ですね。確かに、この村へ来る道中で見かけた気がします。私の故郷にも生息していて、幼い頃に母が果実を食べさせてくれました」
「美味しくないのに?」
「ぺっ、ぺっ、しない?」
「味はなんとも言えませんが、微量の魔力回復効果があるので、体調を崩した際に重宝するのですよ」
怪我や病気に体が蝕まれると、体内の魔力制御が乱れることがある。人によっては、魔力が一気に暴発したり、欠乏症を起こして体力が著しく低下したり、といった症状が現れてしまう。ロレッタは後者の症状を引き起こしやすい傾向にあるようで、幼少期に熱を出す度、母がルワガの実を剥いて食べさせてくれたものだった。
「……魔力、回復?」
「ちょーほー?」
「!」
しばし郷愁に駆られたロレッタだったが、不思議そうな顔をしている子供たちを見てハッとする。この子たちは、魔法が使えない。「魔力が回復する」という感覚が伝わらないのだ。
「ええと、とっても元気になる、ということです。それよりも、あの、この花、よければ私が取ってきましょうか?」
「え、いいの? でも、外は危ないよ?」
「ないないよ?」
「……私は、大丈夫です。お任せください」
自分の身に何かあったところで困る人はいない。だから、大丈夫。
胸に刺さる小さな痛みを飲み込んで、ロレッタはニコリと笑った。
石の壁に備え付けられた通用口を再び潜り抜け、村の外へ出る。改めて見てみても、この壁はお世辞にも堅牢とは言えない。野生動物の侵入を防ぐくらいはできるかもしれないが、魔法相手では歯が立たないだろう。
つまり、この壁の役割は「守護」ではなく「警告」だ。住人に対しては、この向こうへ一人で行くな。外部の人間に対しては、ここより内側へ踏み込むな。そんな確固たる意思を感じる。
なにせ、この村には、魔法国家の王族さえもが警戒するほど腕の立つ剣士がいるのだ。彼の存在そのものが、何よりも堅牢で強固な護りに他ならない。
馬車の窓から見えた光景を頼りに、ロレッタは森の中を進んだ。上品なドレスの裾があちらこちらに引っ掛かり、足を取られそうになる。ヒールと美しい装飾の付いたパンプスも、砂利道には向いていない。しかし、着の身着のままで王宮を追い出されてしまった為、他に着替えがないのだった。裾を括って片手で持ち上げ、慎重に足を踏み出しながら目的地を目指す。
時間をかけて必死に歩き、ようやくルワガの木の群生地まで辿り着いた。恐らく村からそれほど離れてはいないのだろうけれど、必要以上に時間と体力を消耗した気がする。少しばかり呼吸を整えてから、大木の根本へと近付いた。
太く立派な幹、無数に分かれた枝、風を浴びてそよぐ緑の葉、赤い皮に覆われた果実、そして小さな可愛らしい花。昔、図鑑で見たものと全く同じだ。水の国の国内にも栽培している敷地はあるらしいが、ロレッタは直接見たことがない。写真の印象よりもずっと猛々しく、それでいて大自然を生き抜くしなやかさをも持ち合わせたその姿に、言い知れない高揚と感動が押し寄せてくる。