第7話
日差しのピークが過ぎて、太陽が地平線へ向けての折り返しを始めようとする頃。数刻前には足早に通り過ぎてしまったその土地へ、ロレッタは再びやって来た。この村の人々の声を聴き、生活や文化を肌で学ぶ為に。
都会の街並みと豪奢な王宮しか知らないロレッタにとって、村の生活風景は全てが新鮮だった。何よりも先に驚いたのは、空気の純度だ。大地、風、水、そして太陽の香りをふんだんに蓄えた空気に、全身が心地よく包まれる感覚。両手を広げて大きく息を吸い込めば、まるで体が歓喜しているかのように足取りが軽くなった。明確な理由は分からないけれど、驚くほど呼吸がしやすい。
粗く加工した木材と土で造られた簡素な家屋、エリアによって様々な種類の野菜や穀物が実っている畑、外の川と繋がっている用水路、村を囲っている背の低い石の壁、余計な装飾がほとんどない衣服を汚しながら働く大人、駆け回る子供たち。見渡す限り、目に飛び込んでくる情報はそのくらいだった。主に農耕で生計を立てているのだろうか。
ひとまず話を聞きたいと思ったが、明らかに浮いているドレス姿のロレッタに、いきなり気やすく接してくれる者など当然いない。目が合った住人に会釈をしてみるも、戸惑いながら軽く頭を下げるだけで、すぐに自分の作業へと戻ってしまう。先に出て行ったリューズナードから、きちんと事情を説明されているかどうかも判断がつかない。
どうしたものかと考えていた時、突然背後から声を掛けられた。
「あの、お姉ちゃん」
「ねーたん」
「?」
振り向くと、王宮で人質にされていた少年が不安気な表情でロレッタを見上げていた。その横にはもう一人、少年よりもさらに幼い少女が、少年のズボンを掴みながら立っている。
ドレスに土が付くのも構わず、ロレッタはしゃがみ込んで少年たちと目線を合わせた。
「こんにちは。きちんとご挨拶ができていませんでしたね。私は、ロレッタと言います」
「ロレッタ、お姉ちゃん……」
「れー、たん?」
少年の言葉を頑張って真似しようとしている少女が微笑ましくて、自然と笑みが零れてしまう。
「ふふふ、はい。これからこの村でお世話になるので、仲良くしていただけると嬉しいです」
「……俺はネイキス、こっちは妹のユリィ。よろしくお願いします」
「よーしく、おね、しま!」
「よろしくお願い致します」
幼いながらもきちんと挨拶する少年たちに、ロレッタも誠意を込めて頭を下げた。
「ロレッタお姉ちゃん、あのさ……リュー、怒ってる?」
「りゅー、おこる?」
「え? ………ええと、『リュー』というのは、リューズナードさんのこと、でしょうか?」
他に近しい名前の心当たりがなく、困惑しつつも聞き返すと、ネイキスが泣きそうな顔で頷いた。
「俺が、言い付けを破って、一人で村の外に出たから、大変なことになっちゃって……。リューも、ずっと怖い顔してたし……もう、俺のこと嫌いかな? 一緒に遊んでくれなくなっちゃうのかなぁ……?」
「にーたん、なかない」
「泣いてないぃ……!」
喋るうちにどんどん声が震え出し、しゃくり上げながら目元を覆うネイキス。下からユリィが心配そうに兄の様子を窺っている。
水の国から村へと向かう馬車の中で、リューズナードは確かに終始険しい表情で窓の外を眺めていた。自分と村のこれからについて、考えなければならないことが山ほどあったのだろう。
けれどあの時、彼の左腕は自分にしがみ付いて震えるネイキスの体をしっかりと包み込んでいたし、右手はネイキスの頭を優しく撫で続けていた。とても怒りをぶつける対象へ取る行動とは思えない。
ロレッタは、ネイキスの両手をそっと包んだ。指先が冷たい。
「……リューズナードさんが怒っているのだとしたら、その相手は私と姉です。ネイキス君ではありません。それに、嫌いになっていたら、わざわざ他所の国まで迎えになんて来ないと思います。大好きで、大切だから、来てくれたのですよ」
「うぅ……本当に……?」
「はい。心配でしたら、後でごめんなさいをして、きちんとお話ししてみましょう。大丈夫、ちゃんと聞いてくれるはずです」
「……うん、する……」
「りゅーと、おはなし!」
少年の手が、わずかに熱を取り戻した気がした。少しは安心できたのだろうか。
険しい顔をしたリューズナードは、ロレッタだって怖い。そして、出会ってからというもの、険しい顔しか見ていないロレッタの中では、もはや彼自身が「怖い人」という認識になりつつある。けれど、これだけ子供から慕われているところを見ると、決して「悪い人」ではないのだろうとも思う。
村人たちの生活と同様、彼のことももっと知りたい。いつか自分とも話をしてくれるだろうか。やりたいことが増えていく。