第75話
止まない喧騒の中で、ふと誰かが言った。
「せっかくだから、もう一回プロポーズしておけば?」
リューズナードがキョトンとした様子で繰り返す。
「プロポーズ……」
「そうそう。仲直りの記念に、改めて自分の気持ち伝えておけよ。お前がちゃんと言わないから拗れたんだろ、どうせ」
「良いじゃない! 結婚しているんだし、前にも言ったことはあるんだと思うけど、素敵なことは何回あっても良いからね。ほら!」
「…………」
「え、あ、あの……」
リューズナードと目が合ってしまい、ロレッタは慌てて謝罪の言葉を探した。
今回の騒動は、ロレッタが承諾も得ず勝手に国へ戻った為に起きたものだ。むしろ、ロレッタのほうが言葉足らずを謝罪するべきだろう。これ以上、彼にばかり尽くさせるわけにはいかない。
「皆様、違うのです。リューズナードさんに非はありません。この度は、私の勝手で多大なご迷惑をおかけし、て……?」
ロレッタの必死の謝罪を、聞いているのか、いないのか。リューズナードが体ごとロレッタのほうを向いた。そして、その場でゆっくり跪く。いつか王宮で見たのと同じ光景だ。
しかし、今の彼の瞳には、あの時見えた嫌悪や憎しみは微塵も無い。例えようもない甘さだけをひたすらに閉じ込めた瞳で、うっとりとロレッタを見上げている。付き合いの長い仲間たちでさえ息を呑む色気を纏いながら、彼は口を開いた。
「お前のことを守らせてほしい。俺が、この世界で生きていく為の理由になってくれ」
ロレッタは目を丸くする。
祖国で過ごした最後の日に、彼は「殺してくれ」と言ったらしい。迫害や争いが蔓延るこの世界で、妹を見殺しにされ、自身も殺されかけ、生きる理由を見失ったのだろう。
仲間たちに居場所と役割を与えられ、それを理由にして、彼は今日まで生きてきた。この村の全てが、血肉となり、骨身となり、酸素となり、彼の心臓を揺り動かしてきたのだ。
その一部に、自分がなれるのなら。自分が隣に居ることで、彼が死を望まなくなるのなら。ロレッタはしゃがみ込み、傷だらけの手を包んだ。
「――はい。私でよろしければ、喜んで」
「お前が良いんだ、ロレッタ」
嬉しそうに笑う彼に、優しく抱き締められる。今回はきちんと力加減をしてくれているらしく、ロレッタも両腕の自由が利いたので、分厚い体を抱き返すことができた。
おめでとう! 良かったなあ……! リューがふわふわだ! などなど、周囲からも惜しみない祝福の声が届く。
「……こいつのプロポーズ、重っ……ビビるわ……。やり方知らないにも程があるだろ……」
「ううん……まあ、ロレッタちゃんが嬉しそうだから、良いんじゃないかしら……」
実質、これが初めての正式なプロポーズであることを知っているウェルナーとサラが、やや引き攣った笑顔を浮かべた。
やがて柔らかな拘束が解け、先に立ち上がったリューズナードに手を引かれてロレッタも立ち上がる。今日は、彼の手がずっと温かい。それだけで、なんだか嬉しくなってしまう。
「改めて、俺たちの村へようこそ」
どことなく満足気な様子のリューズナードが言う。彼らの大切な居場所に迎え入れてもらえる喜びが、ロレッタの全身を駆け巡る。
ロレッタが返事をするより先に、住人たちの輪の中から、ジーナがひょっこり顔を出した。
「『村へようこそ』って言い方、いつものことだけど締まんないよね。語呂が悪いって言うか……」
「他に言い様がないだろ」
「そうだけどさあ」
きっとこれまでも、新しい住人が増える度に、こんな風に温かく迎え入れてきたのだろう。ただ、この村には名前がないので、「村へようこそ」としか言い様がない。できて精々、俺たちの、私たちの、といった語句を付け足すことくらいだ。
ほんの少しだけ、ロレッタも気になってはいた。正確には、村に居た時には「そういうものか」と深く考えず受け入れていたのだが、姉や父が「あんな村」「あの集落」などとぼんやりした呼び方をしているのを聞いていて、漠然と違和感を抱いていたのだ。
この村の温かさを知らない外の人々にそう呼ばれると、住人たちの大切な居場所がひどく曖昧なものになっていくような気がして、嫌だった。
「あの……皆様。よろしければ、この村に名前をつけませんか?」
おずおずと提案すれば、リューズナードも、ジーナも、他の住人たちも意外そうな顔をした。
「……名前?」
「はい。この村で生きる皆様が、ご自分たちの居場所に誇りを持てるように。……如何でしょうか?」
初めて村へ来た日にリューズナードは、名前なんて決めるだけ無駄だと言っていた。自分たちがいくら主張したところで、魔法国家の人間はどうせ非人の村と呼び続けるのだから、と。
世の中の意識を変えるのは、確かに難しいかもしれない。けれど、そうではなくて、他の誰よりも自分たちがこの場所を愛し、堂々と胸を張ってその愛を呼称できるようになったなら、それはとても素敵なことなのではないかとロレッタは思うのだ。
「……名前、か。例えば、お前だったらどんな名前をつける?」
「え、私ですか?」
「お前が言い出したんだろう」
催促するような目を向けられ、慌てて考え込む。新参者が務めて良い仕事ではない気もするが、言い出した手前、意見の一つくらいは出しておくべきなのだろう。採用されるとも限らないのだし。
この村に相応しい名前。魔法が使えず迫害されてきた人々が、安息を求めて築いたこの場所を象徴する呼称。魔法国家ほどの規模はなく、しかしどの国にも負けない魅力に溢れた、唯一無二の集落の、名前。
「……それでは、原石の村は如何でしょうか」
ロレッタの口から、自然とそれは零れた。
「原石の村……」
「あるがままの美しさと、これから何にでもなれる可能性を備えた、皆様に見合う呼称かと思います」
生まれ付き強大な魔力を宿していた自分が言うのは、傲慢かもしれない。けれど、そんなものがなくとも十二分に美しく、強かに生きるこの村の住人たちを見ていたら、自ずとこの言葉が浮かんできたのだ。
「……うん、良いんじゃないか。俺は好きだ」
「!」
リューズナードが穏やかに呟く。すると、その呟きを皮切りにして他の住人たちからも、良いじゃん! 素敵! 賛成! と次々に賛同の声が上がり出した。
「じ、じゃむす、とん?」
「ジャム、じゃなくて、ジェムだよ。ジェー!」
「じぇー?」
ネイキスとユリィの、そんな微笑ましい会話まで聞こえる。なんだか、このまま採用されてしまいそうな勢いだ。本当に良いのか確認したかったが、住人たちはすでに盛り上がり始めていて、声が届きそうにない。
「決まりだな」
「あ、あの、よろしいのですか? もう少しきちんと話し合われたほうが……」
「誰も反対していないんだ、問題ないだろ。……それじゃあ、」
リューズナードが優しく微笑む。他の住人たちへ向けるものとは異なる甘さが含まれていて、ロレッタの心臓を強く叩いた。
「ロレッタ。原石の村へようこそ」
彼らの大切な居場所に迎え入れてもらえて、これからは、ここが自分の居場所にもなる。その感動を噛み締めながら、ロレッタも笑った。
「はい、よろしくお願い致します!」
第1部 原石の村&水の国編 終