第72話
王宮から追い払われ、情けで用意してもらった送迎用の馬車に乗り込んで、小一時間。煉瓦やタイル、石材などを基調に建築された建物と、整備された豊かな緑や水路が調和する美しい街並みが、視界に映り込んでは次々通り過ぎて行く。まだ見えるけれど、王宮はだいぶ遠ざかった。
義家族からも、恐らくは兵士たちからも、清々しいほど嫌われたロレッタの伴侶は今、窓の外を眺めてムスッとした表情を浮かべている。魔法を使える人々、魔力で動く機械、魔法によって発展した国。憎んでいるものばかりが並ぶ光景に、居心地の悪さを感じているのかもしれない。
そこに王族の人間まで加わってしまったら、いよいよ十全の備えである。リューズナードと対面するような形で座っていたロレッタは、なるべく隅に居ようと少しずつ座る位置をずらしていく。すると、振り向いたリューズナードが不思議そうな顔をした。
「……おい、何故離れる?」
「王族が視界に入っていると、不快なご気分にさせてしまうかと思いまして……」
「??? そんなはずがないだろ。戻れ」
「は、はい……」
当たり前のように否定してもらえて、ホッとする。出会ったばかりの頃は拒絶されて当然だと思っていたが、今改めてそんな言葉を投げ付けられたら、とても悲しい。気が変わらない内にと、いそいそ元の位置へ戻った。
「あ……そう言えば、王宮を出る前に、父の遣いの兵からこちらを預かったのですが……」
ロレッタは、王宮の私室から持ち出してきたポーチを開く。中に入っているのは、連絡手段として渡された小型無線機と、以前ミランダに書かされた書類だ。
それらの内の契約書を取り出してリューズナードへ差し出すと、彼はその紙を忌々しそうに睨んだ。
「……そうか。明かりを点ける時の火種にでもしておけ」
「し、承知致しました……」
一応、「捨てる」のではなく「再利用する」という発想になる辺り、質素な生活が身に染みているのだなと実感する。ともあれ、村を縛る契約が完全に無効となった証として、責任をもって処分しようと思う。
「それでは、こちらも同様に致しますか?」
続けて婚姻届けを出して見せると、彼は真顔でそれを眺めた後、ボソリと呟いた。
「……それは……別にいいんじゃないか、そのままでも」
「え……?」
「その紙きれを処分したところで、状況は何も変わらないだろう」
確かに、ロレッタたちの婚姻はこの国で正式に受理されていて、他国にも通達済みである。個人間で交わした契約とは異なり、書類を処分しただけでは、どうにもならない。
「仰る通りですね……。それでは、国を出る前に役所へ寄っていただきましょう。そちらで正式な手続きを踏んで――」
「…………そんなに、嫌か」
「え」
婚姻届けを眺めていたはずの彼が、いつの間にかロレッタを見て淋しそうな顔をしていた。
「お前……村へは帰りたいが、俺とは離縁したいままなのか……?」
「……!」
離縁したいまま。その言葉の意味を考えて、すぐに思い当たる。村を出る直前、ロレッタはリューズナードに「離縁しよう」と言ってしまった。自分と縁を切ることが、村の住人たちやリューズナードにとって最良の選択なのだと信じて。ただそれを、他でもないリューズナード本人が、命懸けで否定しに来たわけだが。
ロレッタが手放そうとした縁を、彼が繋ぎ止めてくれた。今となっては、ロレッタもこの縁を手放したいとは思わない。
「い、いえ! そのようなことはありません……!」
慌てて取り消すと、リューズナードが安心したように息を吐いた。しっかりと向き合ってみれば、彼は自身の心の揺らぎが全てそのまま言葉や態度に表れる人間であることが見て取れる。きっと、ロレッタが気付いていなかっただけで、最初からずっとこうだったのだろう。ウェルナーが「分かりやすい」と言っていたのは、こういうところなのかもしれない。
「それなら、いいだろ」
「……リューズナードさんは、よろしいのですか? その……私が、お傍に居ても……」
「……居てほしいから、わざわざ連れ戻しに来たんだ」
「! ……左様、ですか」
「……ん」
――好きだ。どこへも行くな。
修練場で告げられた言葉を思い出し、顔がじわじわ熱くなってくる。
あんな言葉を貰うのなんて、初めてのことだった。美貌も才覚も、人を惹き付けるようなものなど何も持ち合わせていない自分の、一体どこを気に入ってくれたのか。見当も付かないけれど、あの言葉が心底嬉しかったことだけは、きちんと伝えておきたい。
「あの、リューズナードさん」
「なんだ」
「この度は、誠にありがとうございました。心よりお慕い申し上げております」
「!?」
金縛りにでも遭ったのか、と錯覚するほど綺麗に固まったかと思えば、みるみる顔が真赤に染まっていく。以前、本人が言っていた、ふわふわしているらしい状態だ。
ふわふわリューズナードは、やがて落ち着きなくあちらこちらへ視線を泳がせた後、
「……………………うん」
とだけ呟いて、それきり喋らなくなった。
可愛い、と感じるのと同時に、自分も彼に「好きだ」と言われた際、いっぱいいっぱいになって何も返せなかったことを思い出し、さらに体温が上昇する。
その後も、中継地点の宿に着くまで、互いに言葉が発せなかった。